駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

校庭の桜に思う

2014年03月31日 | 小考

             

 昨日の吹き降りが嘘のような晴天になった。青空の下、児童生徒の居ない校庭に桜が咲いている。こうした光景を目の前にすると世は全てことも無し、という気がするのだが、それは自然界のこと、人間世界はそうも行かない。

 今日で消費税5%が終わり明日から8%、やがては10%になる。アベノミクスという大風呂敷はほころびが出て、景気は徐々に低迷してゆくだろう。庶民の懐が暖まらなければ、消費の伸びようもないからだ。わざわざ悲観論を唱えているわけではない。事実を直視すればそうなると予想されるからだ。勿論、景気回復が抹消に浸透しなくても、上手くいっていると安陪さんは言い回すだろう。

 四方を海で囲まれ、地続きの隣国のない日本が独自の文化を育み、黒船来訪に賢明に対応し瞬く間に科学技術を身に付け、無謀な戦争の敗戦後も再び国力を回復してきたのは事実だが、バブル破裂後の停滞を抜け出し夢よもう一度と上り調子を再現するのは無理だと気が付く必要がある。大多数を占める中流意識の人達は景気回復の兆しが自分の懐に感じられないのを訝しく思わないのだろうか。事実現実を見つめる姿勢を不協和音と叩く人は、自分は選ばれると思っておられるのだろうか。選ばれた人さえ自らを優先させた意識を持たないのが、日本的な心根のように思う。甘えの構造以降の展開分析の深まりを聞かないが、不都合は見ないとなくなるというわけではないだろう。強くよりも賢く生きる道を、という声が聞こえる。

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