駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

習い性となる

2010年09月12日 | 医者
 ご存じのように医師には守秘義務がある。生来どちらかといえばおしゃべりな方ではなく、守秘義務を履行するのはつらくない。
 そうは言っても本当に一言も話せなかったらつらいかもしれない。正直なところ楽しい患者さんばかりではないし、あの時ああすれば良かったということも皆無ではない。
 結局、愚痴や鬱積は職員間でやり取りしてお互いのストレスを解消している。
 いつも閉院間際に滑り込んできて、くどくどと訴えて行くA子さん。「いつもおんなじ話やかなわんなあ」。
 医師にはにこにこ、看護師には威張りのE子さん。「先生、あの人ひどいんですよ」。
 「先生さっきご家族から電話で、Fさん大動脈解離で入院ですって」。「そうか、送っといて良かったなあ」。
 などなど、患者の居ない時や昼飯の時に話題にする。
 そのせいか、家庭では患者のことは話さない。稀に例えに話すことはあっても固有名詞は出ない。時々、妻の友人が受診することがある。「どうなの」。と聞かれても上手に誤魔化している。その代わり妻とは医師会の医者のことをあれこれと話題にする。褒たり貶したり。「Hさんなら間違いないよ」。とか「あいつ、いらん検査をしおる」とか。
 映画で女スパイに機密を漏らす部長だか少将だかが出てくるが、自分は大丈夫のような気がする。尤も残念ながら機密を知る立場にもないし、そうした誘惑にも出くわしたことはないが。 
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町医者の嘆き

2009年10月10日 | 医者
 台風一過、季節外れの暖気の中に秋風が吹いている。朝、医院を開ける時、一人の町医者であること、町医者であったことを僅かな時間だが後悔する思いが胸を過ぎった。 それは自分が人生の盛りを過ぎて、もはや残照の中に佇むと気付いた時、誰しもがふと抱く感慨かも知れない。
 もう何十年も前に目にした料理特集で、山形か秋田かの漬け物名人が思わず口にした言葉を思い出す。取材の記者が見事な漬け物の色と味に感じ入り、近所でも評判の名人を褒めちぎると「自分はみんなに美味しいと言われ懸命に家族や近所の人に漬け物ばかり作ってきたけど、これで良かっただろうかと思う。本当は東京に出て勉強したり働いてみたかった」。と寂しそうに呟いたのだ。
 何をいい年をして世迷い言をと思われるだろうが、市井にあって病人を診ることはあの60年代に膾炙したほろ苦く懐かしい言葉「消耗」そのものなのだ。これは異な事を言うと思われる方も多いだろう。テレビの医者と違うではないか。医療というのはもっと輝く生業に見えると。
 勿論、普段はこれでよいと思って働いているわけだが、決して辱めて言うわけではないが一般大衆のどうしようもない無恥蒙昧に晒される側面もあるので、時に臍を噛む。「患者なんて・・」。と意に介さない仲間が多いのだが、どうもあれこれ考える妙な星の元に生まれたらしい。
 人より優れようとか何か業績を残したい等という色気が残っているのが多分よくないのだろうと思う。そうした志向の対極にあるのが、臨床の本質本領で、還暦過ぎて道半ばと思いなしている。
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優柔不断には雷男

2009年09月27日 | 医者
 毎日60人前後の患者さんを診察している。そうすると2,3日に一人、紹介が必要な患者さんが出てくる。紹介が必要な理由はいろいろあるが、大抵は病気が重いか高い専門性を要するかのいづれかだ。高い専門性を必要とする場合はこちらから病院(医師)を指定するが、どこの病院でも診療できる疾患の場合は患者さんの意向に添っている。
 困るのは優柔不断(ほとんどが女性)な患者さんだ。面白いことに優柔不断な人は少しでも良い方にという意識が強く、A病院はどうですかというと、あそこはどうもと急に優柔不断でなくなる。そういう患者さんには腹部外科はY先生を勧めている。彼は私より7,8歳若い決断力に優れる外科医らしい外科医だ。患者さんに迷う暇を与えず、ではこうしましょうと決めてしまう。スポーツマンでクラシック音楽が好きで、いつもにこにこしながらせかせか歩いている。エネルギーが溢れてゆっくり歩けないらしい。勿論、腕は一流で、手に負えない進行がんなどはがんセンターや大学病院へ送る謙虚さも持ち合わせている。
 彼に紹介すると優柔不断な患者さんは99%良い先生を紹介して頂いてと帰ってくる。紹介した方も、彼は適当なところでもう来なくていいよと患者を戻してくれるので喜んでいる。時には慎重なのか忘れたのか、いつまでも戻してくれない先生もいるのだ。
 なんだかY先生はとてもいい先生に思えるだろう、確かにそうなのだが。まあ、大きな支障はないのだが実は彼は大変な癇癪持ちなのだ。滅多なことでは爆発しないが、怒鳴られた本人は20cm、周りも5cmは飛び上がってしまう。私も一度その場に居合わせたことがあるが、本当にびっくりした。雷とよい勝負だ。
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研修医気質

2009年09月07日 | 医者
 秋風が立ち、また研修医が回ってくる季節になった。毎年印象が違う。年ごとの印象があるから、人間の個性の他に卒年の特徴といったものがあるのだろう。
 我々の頃に比べればスマートで人当たりも概ね良好で、医学知識もおしなべて優れているように思う。ただ思考がマニュアル式にパターン化している傾向があり、症状から考えられる病気を挙げて、可能性の高そうなものにアプローチしていくので、閃きはあまり感じられない。勿論、三振かホームランかのような診察では困るので、これでよいのだろうと思う。
 患者や職員に対する態度も評価の対象になっているせいか、挨拶などきちんとするが、人を見慣れている私には言葉以外の態度も気になる。僅か数日居るだけだが、食事をご馳走しながら話をするので、人となりが分かる。医学的知識もさることながら常識があり先輩の前でも普通に話ができる研修医を好ましく感ずる。それは臨床医に欠かせぬ資質で、入学以前に家庭で形成されるものだ。
 将来の希望を聞くとこじんまりしており、その点はちょっと物足りない。ダイナミックな外科医や学問で業績を上げる研究者を目指そうといった上昇志向は少ない。以前にも指摘したが、QOL(Quality of life)が大切といっても患者のではなく自分のQOLが優先で、緊急呼び出しの多い外科、産婦人科、小児科は敬遠し、自分の時間が確保できる眼科、皮膚科、精神科希望が多い。女医さんの中には最初から産業医になりたいという人も居て、まあ家庭を持とうとすればそんなものかと思いながら正直がっかりする。優しさは大切だし安定志向も分かるが強さの裏打ちがないと、小さめの夢も実現できない。棒ほど願って針ほど叶うというのは実感している。
 肩肘張ってちょっと生意気でも未知の世界を切り開いてゆく気概があれば大目に見たい。覇気がないと新風をもたらすことは難しいのだ。
 まあどこかに闘志溢れる研修医が居るだろうし、闘志はさほどなくても素直な人は伸びることが多いので、若い研修医を温かく見守り、いくらかでも力になってやろうと待っている。

 
 
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煙論争

2009年06月23日 | 医者
 喫煙者には暮らしにくい世の中になった。煙草が健康を害することは明白なのだが、どうも周りに居る非喫煙者にも伏流煙による被害があるということで、ますます禁煙区域は広がっている。
 私は生まれてこの方、通算して10本くらいふかしたことがある程度で、喫煙者だったことはなく、煙草の魅力を知らない。勿論、医師として喫煙者にはその都度必ず節煙禁煙を勧めてはいるが、脅かしたり強くは言わず穏やかに忠告している。というのは独り楽しむのは、まあいいじゃないかという気持ちがどこかにあるのと、煙草に纏わる風情や文化はあると認めているからだ。
 いろんな人が居るわけだから、当然いろんな医者が居る。医者の方が我が儘が言いやすいので極端な人が多いかも知れない。
 医師会で禁煙宣言をしろとガチガチの禁煙運動推進医師が医師会に申し入れてきた。なにをぐずぐずしている、医者こそ率先して禁煙宣言をしろというわけだ。どうもこうした物言いは、ある種の人達を刺激するようで「何を言っている、俺は吸うぞ、喫煙に害がなんかない。N先生を見てみろ、80過ぎてるけど煙草吸ってお元気じゃないか」。とても医者とも思えない発言が相次ぎ、大もめに揉めた。古狸の医師会長は「それじゃあ、M先生を担当にして検討してゆこう」。と逃げてしまった。最近肉が付いてどこかむじなに似てきたM先生「僕、困るなあ」と頭を抱えている。
 業界というのは不思議な世界で、地元の蛇は龍より強いところがあり、一筋縄では行かない。物は言いよう、医者のくせに煙草吸ってけしからんと言われれば、なにをとなってしまうわけだ。M先生、大狸に化けるか、腕の見せ所だ。 
コメント (2)
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