高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

門外不出のお宝が長岡へ

2010-02-22 00:35:53 | できごと

先ずは本日の予備知識として、
①日光東照宮を現在の姿に造営し直したのは、3代将軍の徳川家光。
②家光の乳母は春日局。
③国宝の眠り猫は左甚五郎の作品。
④5代将軍綱吉の父は家光、母は桂昌院。
⑤島崎藤村の詩「千曲川旅情の歌」で知られる小諸。
の5つを知っていると説明し易い。

「越後長岡ひなものがたり」と牧野忠昌様の古希、若殿牧野忠慈様の成人、金峯神社桃生宮司の一級昇格の慶事に合わせ、信州小諸から左甚五郎作と伝わる「喜内様阿福様」が長岡にやってきた。前回に説明したが、喜内(きだい)様は3代将軍家光で、阿福(おふく)様は春日局である。将軍家光が、乳母春日局の慈愛と功績を忘れないために、時の名工「左甚五郎」に彫らせ、そばに置いたと言われる。春日局の気品と美貌を感じる素晴らしい像である。
門外不出と言われ、小諸を離れるのは極めて異例のことで、長岡市と小諸市の関係が、今後深まりそうな出来事である。 開幕式には牧野忠昌様ご夫妻、旧三根山藩牧野忠由様、森市長、小諸市の関係者などが多数参加した。


(左甚五郎作の喜内様と阿福様、この画像の複写は禁止します)

 
(入口の田中玉蘭先生の書)  (開幕式の司会で進む)

 
(牧野忠昌さまのご挨拶)   (森民夫長岡市長の祝辞)

5代将軍綱吉の父は家光、母は公家の本庄氏から側室となった「お玉(後の桂昌院」である。春日局と桂昌院の権力は極めて高く、本庄家も大名になり松平姓を許された。家光はこの大切な像を桂昌院に与え、桂昌院は実家である本庄家の康重が小諸牧野家に養子になった時に像を持たせた。
将軍綱吉と牧野康重は従兄弟であるので、小諸藩は石高が低いが由緒ある家とされている。
幕末動乱期に長岡藩の舵取りをする当主牧野忠訓が、本庄家から養子に迎えられるのも歴史の不思議なところである。
ところで、「越後長岡ひなものがたり」の雛は、この像の右に飾ってある。有名な人形師仲秀英(なかしゅうえい)の作で、河井継之助を抜擢したことで知られる牧野忠恭の、奥方とう姫がつね姫(後の忠訓の奥方)を生んだことを祝い、実家の掛川藩太田資始(すけとも)から贈られた雛である。当然のことながら、お内裏さまは向って右側にあるが、立派な雛人形で近いうちに公開する。


(お宝の像の伝わった関連図)

 
(木像の説明)      (春日局の略歴)

 
(家光の時代にこの規模に) (左甚五郎作の国宝眠り猫)

(長岡市)
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
左甚五郎作 (信徳)
2010-02-22 16:46:39
この人形の作者が左甚五郎だと知ったらこの人形を見ない訳には行きません。小諸に行っても見れないのでしょうか?
返信する
自称左甚五郎作は多い (寅太)
2010-02-22 22:41:32
信徳さん、こんばんは。
長岡が期限付きで借りたので、展示期間の3月7日を過ぎれば小諸に戻ります。
懐古園の徴古館で展示されています。
世の中に左甚五郎作といわれるものは多いのですが、この像は将軍家が作らせたものですから、左甚五郎だと思います。
どうです、気品のある顔でしょう。
眠り猫とこの像は本物
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流石、左甚五郎作 (デコウォーカ)
2010-02-23 19:18:41
左甚五郎作の「喜内様阿福様」は越後長岡ひなものがたりの超目玉品なんですね。阿福様の顔は気品があります。300年以上も経ってもこの気品があるのは、左甚五郎作の為でしょうか。
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小さな画像ですみません (寅太)
2010-02-23 23:15:22
デコウォーカさん、こんばんは。
大きな画像で見ると、さらに気品のある顔になります。
家光も少しうつむいていますが、拡大画像ではもっと良い顔になります。
小諸では撮影禁止でしょうね。
お宝画像
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