秋生のEtude

音楽も映画も舞台も大好き!トキメキと感動を求めて、思い立ったらGO!
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『M!』の余韻

2008年01月05日 20時36分49秒 | 『モーツァルト!』
新年早々、振り返るのはどうなの?と思うのですが・・・
2007年最後の舞台『モーツァルト!』。
二人の素晴らしいヴォルフに魅せられ、魂を持っていかれた状態のまま、年明けをしてしまいました
思えば、この『M!』再々演のニュースを聞いたのは、昨年のお正月でした。

2005年の再演の時、井上ヴォルフの伸びやかで澄んだ美しい歌声に惹きつけられ、そして音楽へのあふれんばかりの愛を感じる「僕こそ音楽」を聴いた瞬間から・・・ずっと頭から離れず、そのひと夏は『M!』モード全開、千秋楽には仕事を休んでまで、帝劇に駆けつけました。
その間、双璧のヴォルフといわれるアッキーヴォルフの歌声ををどうしても聴いてみたくて、娘その2にも内緒で観に行きました。
・・・それもまた衝撃的で。
Wキャストの醍醐味を味わうような、またひと味もふた味もちがって観えた舞台でした。

そして、再々演された2007年の『モーツァルト!』。
二人のヴォルフは大きく成長し、深く深化し、それぞれが心が震えるような感動と涙と興奮と・・・多くの素晴らしいものを私たちに残してくれました。
もちろん、その脇を固める役者さんたちのそれぞれが個性的で、そしてその役割が非常に明確で際立っていた舞台でもありました。


「私ほどおまえを愛するものはいない」と明言し、未熟な息子を心配し干渉する父・市村レオポルド。
まるで歌の通り“市村さん以外にはいない”と思わせる深い父親像を見せてくれました。

弟を愛しながらも、女ゆえに家庭に入ることを余儀なくされ、才能ある弟に自分の夢を投影する姉・ナンネール。
高橋由美子嬢のいつまでも変わらぬ少女ぶり年齢を重ねるごとに落ち着いていく姿に深く感嘆。

モーツァルトの才能を認めながら、絶対支配をしようと対立するコロレド大司教。
迫力の歌声、そしてここまでやってくれるか!?のお笑い(?)担当・お茶目な山口さん。

そして、未熟なもの同士、愛し合いながら非凡な才能を持った夫に寄り添うことができず、だんだんと心が離れていってしまう妻・コンスタンツェ。
hiroの新鮮で真剣な歌声、演技。その健気さがかわいかった~

そしてそして、この舞台の華!!です。
あのー有名な!シカネーダー・吉野さん。
なんといっても、あのリーヴァイさんに“世界で一番カッコいいシカネーダー”と絶賛されたお方です。
チョッピリ、オツムに チョッピリ、ハートに~
ダンスもバトンも拍手も完璧!・・・・・・(これ以上言葉がない


すばらしい舞台に惹きこまれてしまったのは言うまでもありませんが、それとはちがう観点で、この『M!』という舞台に盛り込まれたテーマを、考えてしまう私でした。それは・・・



レオポルドに扮する市村さんは、父親としての威厳にあふれ、親の端くれである私はいつでも一番感情移入できて、しかも胸が苦しくなることもしばしば。
なぜなら、この父子関係は、すごく身につまされるものがあったからです。
(もちろん、我が家の娘たちは、天才でも秀才でもない、ごくごく普通の凡人ですが)


実は丁度、この舞台の再演の2005年の頃、我が家の娘その1は高校に入ったばかりの16歳。
高校生になったその時点から、何もかもの世界が広がって、学校も遊びもおしゃれも一気に花開いた頃で、その欲求はとまるところがなく・・・
どんどん細くなる眉や、日々短くなるスカートに、母親の私はキーキーしていました。
「○×△~~!!」娘の顔を見ればいつも怒鳴っていたような気がします。
「たまには遊んだっていいでしょう!!みんな、やってるんだ!!」
私が注意すれば、まるでこのヴォルフのセリフ通りの答えが返ってきて・・・
そして、挙句の果てには
「どうして、このままの私をわかってくれないの!?」

・・・
まさか、舞台で観ている通りのことを、自分の娘に問われるとは!?

・・・母親だからこそ、正しく生きてほしいと思うからこそ・・・“ダメな事をダメ”と言ったつもりでした。でも、娘にはその思いは届かない・・・
娘からすれば、自分のすることすべてを否定するかのような、さぞや横暴な母親に見えたことでしょう。


そして今、もうすぐ高校生になろうかという娘その2に対し、今期の涼風・男爵夫人の歌う「星から降る金」の中の一節が・・・
♪愛とは解き放つことよ 愛とは離れてあげること 自分の幸せのためでなく 涙こらえ 伝えよう
・・・胸に響きました。

一番下の娘ですから・・・私の中でどこかしらいつまでもそばに置いておきたいような、おそらくは私が離せないという気持ちが強いのは・・・いつも感じていました。
娘はどんどん成長するのに、母親である私はちっとも成長していない。
子どもの自立は、親がどう手放すかにかかっているのかもしれません。
親への反発から巣立つ子もいれば、親の死から立ち上がらなければならない子もいます。
過干渉はいけないとわかっていても、つい口を出してしまうのが母親です。
それこそ「私以外にいない」と思い込んでいるからです。



この先、いずれ来るであろう“その時”に、私はきっとこの歌を、この舞台を思い出すでしょう。
舞台の感動や興奮が残っただけではなく、舞台そのまま自分自身に様々な問いかけをされた『モーツァルト!』・・・やはり忘れられない舞台になりました・・・


それほどに心踊り、魂をゆすぶられ、涙に瞳を潤ませ、そして様々なことを考えさせられた舞台『モーツァルト!』。
出会えて・・・本当にしあわせだと思っています。




コメント (6)
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