秋生のEtude

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『マリー・アントワネット』 12/10(日) マチネ

2006年12月13日 21時26分27秒 | 舞台
前回飛び込みで観てから、少しあいだが開いています。
はじめての1階上手席でした。またまた、見え方がちがっていろいろ発見が。
最初にお断りしておきます。・・・感想、長いです(笑)


『マリー・アントワネット』 12/10(日)13:00 帝国劇場


マリー・アントワネット   涼風 真世
マルグリット・アルノー   笹本 玲奈
アニエス・デュシャン   土居 裕子
アクセル・フェルセン   井上 芳雄
ルイ16世   石川 禅
ボーマルシェ   山路 和弘
オルレアン公   嶋 政宏
カリオストロ   山口祐一郎
ロベスピエール   福井 貴一
ローズ・ベルタン   春風ひとみ
ラパン夫人   北村 岳子
ランバル公爵夫人   河合 篤子
ベメール/エベール   広田 勇二
ラ・フェルテ   tekkan
ギヨタン博士   佐山 陽規
ロアン大司教/レオナール   林 アキラ


とにかく舞台が近く感じられて、それぞれの役がよく見えました!

山口カリオストロ
冒頭のシルエットでの登場場面、細くしなやかな指先が美しいこと!!(力仕事や、土いじりは似合わない指だわ)
あいかわらず素晴らしい歌唱力。このお声で歌われると、胡散臭さもカリスマ性に変わる?
そしてさすが!マントさばきはピカ1です。美しい。・・・慣れていらっしゃる。
カリオストロはフードを深く被ってたたずむ場面が多いので、立ち方ひとつにも美しい見せ方を追求しているなぁ、と感じました。
私的に、三度目にして、やっとこの舞台でのカリオストロの存在価値を認められたような・・・
カリオストロが操ってこの歴史が創られた、とは思えませんが、運命の歯車、というか押し寄せる時代の大波、というか、こんなドラマチックな歴史はそうそうない、と思わせるものはあります。それを、カリオストロという錬金術師になぞって語らせた(歌わせた)のか?
他の誰よりも、そういう“絶対的な存在”役はあっていると思います。
・・・そして随所で、山口カリオストロ、楽しそうに踊ってましたね~なんか・・・う~ん、踊る山口さん。すごいもんを見たような・・・(その昔は、『コーラスライン』でだって踊ってたのよね・・・

山路ボーマルシェ
・・・いいお声です
すべてを語るナレーター、というわけではありませんが、このひとの語りがないと、この『MA』はまったくわからないものになってしまう!?
長くなったと聞いていた“ぼやきツッコミひとり芝居”はなく、あっさりと。テキパキと役をこなしていた印象です。
・・・マニアックな見方ですが、ジャコバン党の赤い頭巾がよくお似合い。(案外かわいい?)

高嶋オルレアン公
見た目がとにかく怖いです。アブナイ人だと一目瞭然。やっぱりこの人って、悪役が似合うんだよね・・・
歌いだすと、ルキーニっぽいのは仕方ないけど、ああ、やっぱりお歌が上手い(山口さんや、井上くんとはちがう意味で)と思いました。

土居アニエス
透明感、清涼感があって美しいお声の方ですね。
マルグリットと再会して二人で歌う「流れ星のかなた」女性のデュオもいいな、と思いました。
聖職者であるアニエスは、常に正しきもの、というイメージです。でも、マルグリットが娼婦になることも、そして革命の陰謀の中に取り込まれていくことも、止められないのよね。そしてその心の葛藤も描かれないのも・・・それがちょっと残念。

禅さん(なんでか、さんづけ)ルイ
何度見ても、いい人キャラ全開。一番安定して役にピタッと納まっていて、不器用にマリーを愛するルイの心、そして家族思いのやさしい父親ぶりに涙、涙、
どんな役もそれなりに作り上げて、いつのまにか、禅さんワールドに引き込まれます。
悪い人役は観たことがないけれど、・・・おそらくジャベールも作り込んで、すごいんだろうな。うわっ!楽しみ~
本当に上手くて、素晴らしい役者なんだと思います。

井上フェルセン
本日はやっとまともにおそばからということで、登場から目が釘づけな私(笑)
パレ・ロワイヤルでの舞踏会シーン、世間の中傷のなか、マリーをエスコートして現れる姿を見て“ああ、この二人って普通の恋人同士じゃないのね”と。恋の重い十字架をその背に背負っている哀しさが・・・
マルグリットに対するマリーの傲慢ぶりに狼狽し、さりげにマリーをたしなめるところから、もうオトナ。
低く美しいお声が愛を歌うとき、なぜか胸の奥が震えました・・・
白髪に変わった髪を「見ないで!」と拒むマリーを抱きしめるフェルセン・・・ああ、愛が溢れてる・・・
今生の別れを噛み締め嗚咽する姿は、本当に愛ゆえの苦しみに満ちていて、私まで胸が苦しくなってしまった・・・
う~ん、井上フェルセン・・・更に深まった感じでした。
これを成長と呼ばずしてどうする・・・嗚呼

涼風マリー・アントワネット
1幕のわがまま、無邪気、軽薄さは以前と同じ。
2幕になってから、母としての強さ、王妃としての気高さが増したような。
細かなちがいは覚えていないけれど、最初のころと演出が大きく変わったのはマリーを取り巻くことあたりだったような。特に裁判シーン、セリフもちがう?
上手席で近かったので、ラストのマリーを乗せた木の荷車がよく見えました。その帽子の隙間から見えた横顔が、凛として、高貴で美しかった!
帽子をとって、ゆっくり乱れた髪を撫で付ける姿は、一番好き。本当に清楚できれい。

玲奈マルグリット
今日も、バズーガでした。(笑)
自分と同じイニシャルのマリーと自分の境遇の差を、はっきりと認識し、更にマリーへの憎しみを募らせるマルグリット。
娼婦に身を落としてでも、生き抜いてやるという力強さ、首飾り事件ではマリーのダミーを演じ、投獄された国王一家の世話係りになる(マリーは気づいてない?)
革命の先端にマルグリットはいた・・・
けれど、徐々に心に変化が。
けっしてマリーを許したわけではないと思います。どちらかといえば、同情?



カリオストロと同じく、3度目にしてどうにかマルグリットの心の変化に少し触れたような・・・。
子どもの母親としてのマリー、フェルセンを愛する女としてのマリー。
すぐそばで見た王妃の人間らしい姿、そして見境なく急速に膨れ上がっていく革命の暴徒たち。
“何かがちがう”それに気づきはじめたマルグリット。
マリーが子どもたちに歌う子守唄を聴きながら、どんどん表情を変えていくマルグリット。“なぜ?その歌を・・・”
ありえない?でも、ありえる?マリーと自分を繋ぐ子守唄。(おもしろい仮説だけけど、やっぱりムリがあるだろう、と
でも、その心の変化はラストシーン、断頭台の前で突き飛ばされ倒れたマリーに手を貸すマルグリットに現れていました。
素直にその手を借りて起き上がるマリー。そして両手でマルグリットの手を押し包み最後の感謝を込めるマリー。でも、その手をそっと離して無言でマルグリットを押しやるマリー。
そして、最後まで王妃らしく、断頭台に向かうマリー・・・
・・・はじめて、ここで泣きました。自然と涙がこぼれてきました。

回を重ね、各役者たちが演じる努力を費やし、浅かったものに深い何かが感じられ、少し理解できてきたような。
それでも、個人的には、おいおい、という場面も。
・・・あのナマ首を突き刺して客席からの登場はやめてください。
客席降りがブームでも、インパクトがありすぎ(気持ちが悪い)
それでなくてもラストは、血塗られた巨大なギロチンがまっ正面で、後味は決して良くないし。
しかも最後にみんながそれぞれに叫ぶように歌う「自由」方向性がバラバラでまったく頭に残っていかない・・・(ただ、単に私の頭が悪い?
問題定義したまま終わるのは、舞台のひとつのスタイルですが・・・どうもよくわからないままなんだわ・・・

全体として、無駄な部分が省かれ、舞台美術同様シンプルなイメージ。
それは嫌いではありません。
『MA』・・・たしかにいろいろな意味で斬新な舞台でしたが、“わからないからもう一度、さらにもう一度”と素晴らしい役者さんたちの素晴らしい演技、素晴らしい歌を観たくて聴きたくて・・・“演ずるたびにいいものになっていくはず”、と思いながら通ってしまったのも事実。
結果として・・・世界初だから仕方がない、というのでは困ります。
常に“観てよかった”と納得させていただける舞台でなくては。

・・・私の『MA』は終わりました。
来年4月、本当の意味で進化し深まり熟練され凱旋する『MA』に出会える?のを楽しみにしています。



コメント (12)
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