インフルエンザパンデミックという言葉を聞いたことがありますか?
鳥インフルエンザウイルスが変異を起こして、ヒトに感染するようになりさらにはヒト―ヒト間での感染ができるようになると、世界規模で爆発的な感染が生じて制御できなくなる状態を言います。詳しくは以下のサイトでご覧ください。http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/pandemic/QAindex.html
インドネシアにおける、新型インフルエンザによる死者続出のニュースはつい最近のことですね。
先日NHK でこのテーマに沿って特集が組まれていました。ドラマ仕立てもあったしレポート形式の番組もありました。
アメリカで、インフルエンザパンデミックが起きたとき、「65歳以上の高齢者を治療の最優先対象者にする」と政府側で決定、それが通告されたとき国民側から「それはおかしい。対象者が違う」という声が上がり最終的には「3歳から18歳の国民を最優先」に変わったと報告されていました。
ドラマでも、高齢の末期ガン患者の人工呼吸器を、ドクターが「いいよね」と祈るようにして出産を控えた妊婦に付け替えるシーンがありました。
皆さんはどう考えられますか?
私はまだ60歳ですが、たとえ65歳であったとしてもアメリカ国民の健全な選択を支持します。
というようなことを何人かの友人たちと話しました。みんな意見は同じでした!
熱海梅園にある澤田政廣記念美術館に行ってきました。
没年93歳。
その年に澤田政廣記念美術館が開館。開館にあわせて玄関ホールの天井部分にはめ込まれたステンドガラス「飛天」の原画を描き(直径2.5メートル)、またその年の日展に「大聖不動明王」を出品されています。文字通り、死の直前まで現役の芸術家だったのです。
館内には若いころの作品から最晩年までの作品まで展示されていました。一点ずつ制作年を確かめてしまいました。若々しいというだけでなく、どの作品にも新しい切り口があって、自らの表現したいものに向かって常に挑戦し続ける姿勢を感じたからです。
パンデミックが起きてしまうと、年齢で一律に区分けされることになるでしょうが、澤田政廣の93歳は、あちらに区分けすることが心から惜しいと思えるような93歳でした。
確かに生きてきた時間的な長さは「93年間」ではあるのですが、誕生から93年たった「今の生」の内容は、ほとばしるような若さ・創作意欲・自己実現の希求に満ち、あたかも青年のようであると思いました。
澤田政廣は旺盛な創作意欲で未来を見続けていたに違いありません。そういう意味では思いがけない不本意な死であったかもわかりませんが、人生を振り返ったときには、成すべきことは成したという満足感も同時に感じることができたはずと、作品を見て回りながら強く感じました。
どのように生きるかが、年齢を超えたその人の存在を決めるのですね。
「ローマは一日にして成らず」
充実した私らしい私でいるためには、日々の積み重ね方が鍵。その鍵のカギを握っているのが毎度おなじみ前頭葉。
私が私らしいかどうかは、私の前頭葉が決めるしかありません。
満足した生を終えるためには、充実した日々の積み重ね方が大切です。そうしておけば、人生を振り返ったときの満足感は持てるはず。
パンデミック線引きのとき、あちらに行ってもいいじゃないですか!
彫刻作品は、上から
「銀河の夢」30歳
「天女」83歳
「蓮華」89歳
ステンドグラスはいずれも93歳のときの作品です。