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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

この木、何の木??

2019年05月16日 | 雑記
 (写真は、10年程前より我が家の室内にて育てている観葉植物。)


 何だか、冒頭からNHKのチコちゃんに叱られそうだが…。
 
 「ねえねえ、この中で、この木が何の木だが言えるステキな大人は誰??」
 (困ったなあ。 我が家には大人が3人もいるのに、しかもこの木を10年もの年月室内で育てているのに、それが分かる人間が1人として存在しない…… )
 亭主が苦し紛れに応えて、「ソテツの仲間じゃないの?」
 私応えて、「いや、ソテツは昔郷里で住んでいた家の庭にデカいのがあったが、全然違うと思うけど…」

 チコちゃん怒って、 「ボーっと生きてんじゃねーよ!!」 


 冒頭写真をよ~~~くご覧頂きたいのだが、この“名称不明”の木に実が実ったのだ!
 それを昨日、初めて発見した!

 前回水をやったのが先週末だが、実が付いているのを発見していない。 もしかしたら、それらしきものがあったかもしれないが、気に留める事もなかった。
 昨日の事だ。 遠目でこの木を見るに、明らかに葉っぱ以外の何かが付いている。
 近づいて観察すると、確かに何とも可愛らしい小さい実が葉っぱの間に実っているではないか!

 この木に関して説明しよう。
 ほぼ10年前頃に2年間通っていたスポーツジムの隣に「JAあおば」店舗があるのだが。
 その店舗では、数多い花々や観葉植物が所狭しと並べられている。 それを観賞するのが楽しみで、必ずやジムの帰り道に立ち寄ったものだ。
 しかも、安価!!
 毎回、この「JAあおば」にて何らかの鉢植えの花や観葉植物を買い求めて帰宅したものだ。

 ある時は「メダカ」の稚魚3匹を買い、それを自宅にて我が”細腕1本”で数年間飼育し、まるで“ギネス級”と表現しても大袈裟でない程までに繁殖させた実績もある! 
 水道水で育てていたため、東日本大震災時初期におそらく福島原発事故の放射能汚染に遭い大量死等々の被害を受けたりしつつ…、 その2,3年後最後の1匹を看取った後、我がメダカ飼育歴の幕を閉じたものだ……  (バックナンバーにて、その「メダカ飼育記録」を何本か公開しております。)

 私の生命体育て歴は“サリバンとしての我が娘の成育歴”を筆頭に(いえいえ我が最愛の娘と他生物を一緒くたにした失礼を、どうかお許し下さい。)上記メダカのみならず実は多岐に及んでいるのだ。
 (誤解を恐れずに発言するならば、過去に受けた医学教育が我がその源泉となっているとも考察可能だが。)


 その一例として、過去に現在の自宅ベランダにてビワに実を実らせた実績も綴っているため、その2011.04.29公開のバックナンバー「ビワの木に実が実りました!」を要約引用して以下に紹介させていただこう。

 我が家ではビワの木をベランダにて鉢植え状態で育てている。 このビワの木を、一体どういう経緯で大都会のマンション住まいの我が家にて育てる事に相成ったのかについてまずは話そう。
 実は今を遡る事8年前の初夏にスーパーで買い求めたビワの実を食べた後、その種を我が娘がベランダの鉢に4個蒔いたのである。
 まさか芽を出すとは思っていなかったところ4個の種すべてが芽を出し、まさかその後育つと思っていなかったところ4本ともすくすくと育ち、毎年大きな葉を付けその葉を年々入れ替えつつ、今や最高で130cmの高さにまで成長している。  そして、まさか花が咲くとも思ってもいなかったところ、昨秋一番大きく育っている木に30程の白い花が咲いたのだ! 
 我が家が自然栽培(単に水だけやって放ったらかしていると言う意味ですが)で育てたビワの木が来年の初夏には実を結び、一家で食することができるぞ!と期待していたところ、その期待通り現在実が大きくなっている最中という訳である。
 それにしても、「桃栗3年、柿8年」と言うが、ビワは8年にして実を結ぶ樹木であることを今回体得した思いだ。 我が家のスリムなビワの木は、来年以降も花を咲かせ実を結ぶのか?今後の楽しみにとっておこう。
 さて、原左都子が大都会東京に於いて何故自宅でメダカを飼ったり、狭いベランダでビワを育てたりしているのかに関して、ここで私なりにその我が行動のルーツを自己分析して少し説明することにしよう。
 私が幼少の頃に育った父系の実家は元々梨農園を経営していた名残で、家屋の敷地内に数多くの果樹等の樹木が育っていた。 私の記憶によるとその頃の家屋敷地内には、みかん、夏みかん、渋柿、グユミ、イチジク、ざくろ等々、沢山の果樹木が生育していて毎年その樹が育む果実を食して育ってきたともいえる私である。 ビワに関しては自宅内には植生していなかったのだが、隣家のビワの大木が我が家の敷地内にもその枝を伸ばし、たわわに実っていたことを記憶している。 その頃の日本(特に過疎地域)は、隣家に伸びた枝でもめることなどない平和な時代であった。 毎年毎年お互いの敷地内に育った果実を含む植物等を“物々交換”しつつご近所同士の友好が健全に築かれている時代背景だったものだ。
 我が家の“イチジク”や“ざくろ”の一風変わった味や柑橘系の酸っぱさは苦手だったものの、隣家のビワに関しては子供心にその甘さや独特の香りを好んだものである。
 大人になり上京して以降も原左都子にとってあの頃食したビワの味が忘れられず、それを買い求める機会は多かった。 それを我が娘にも毎年食べさせていたところ、娘が種を植える行動に至ったといういきさつである。
 我が家には、現在ベランダに大小様々な鉢が10鉢程ある。 その鉢に、すべて“自然栽培”(この意味に関しては上記を参照下さい)にて、ビワ以外の植物も栽培している。 例えば、我が娘が小学校1年生の時に学校の校庭で拾って来た(おそらく“夕顔科”と思しき)植物の種を我が家の鉢に蒔いたところ芽を出し、今に至るまで毎年6月頃から10月頃までショッキングピンクから白色色調の花を毎日咲かせて楽しませてくれている。 やはり娘が友人から貰って来た“風船かずら”の種は、天然にハート模様にデザインされていて実に可愛い。  この種を娘が貰ったその年に早速鉢に蒔いたところ、成長して黄緑色の風船型の可愛い実を結んだ時には母娘共に感激したものだ。 その実から種を毎年収穫しておき、ちょうど今頃の季節にベランダの鉢に蒔くのだが、年々の気象状態にも左右されつつ毎年種が収穫できるのはうれしいものだ。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)



 大変残念ながら、集合住宅に暮らす我が家の特有な事情である5年程前に実施された「大規模修繕工事」の際に、ベランダにて育てていた植物をすべて廃棄処分とせざるを得なかった。

 メダカ飼育を終焉し、ベランダ植物も廃棄処分の暁に、室内に残された「観葉植物」が実を実らせてくれた事実が実に嬉しい。

 何という名前の植物かも私は知り得ないが、この小さき実が今後我が家のリビングにて如何に生育していくのか見守りたいものだ。 
 

「姨捨山大国ニッポン」高齢者孤独死が社会現象に…

2019年05月14日 | 時事論評
 冒頭からお断りしておくが、上記表題は本日2019.05.14付朝日新聞広告欄、本日発売の「週刊朝日」記事の広告より無断転用させて頂いたものである。


 かなり前の事だが、トレーニングジムにてよくお声を掛けて下さる70代後半男性が私に話しかけてくる。
 「うちのばーさんが、姨捨山に行っちゃってね…」
 私応えて、「えー。姨捨山って自分で行く場所ではないですよ。 ははあ、分かりました! もしかしたら奥様が入院されたのですか?」
 これが図星だった。 私が付け加えて「それで、寂しいんでしょ??」
 「うん、寂しいよ。 今日もジムの帰りに病院へ寄るんだけど… 」

 その後1ヶ月程経過した頃からだろうか。 その男性が、ピタリとジムへ来なくなった。
 奥様が亡くなられたのに間違いない。 
 ご自身は「うちのくそ婆が…」などと照れ隠し発言をよくしていたが、なんのなんの、仲良しオシドリ夫婦であることはその口調から実感させていただいていた。
 後期高齢期以降に男性がその高齢域にして突然一人暮らしを強いられることの、心の拠り所の無い“喪失感”“わびしさ”が痛い程伝わった出来事だった。
 子供さんが出来なかったご夫婦で、その後当該男性がどうされているのかなしのつぶてである…


 話題を変えて、昨日郷里の高齢者自立支援施設にて暮らす実母より電話が入った。 予想通り、母の日用に贈った菓子折りの御礼電話だったのだが。 
 実母とは米国在住実姉の件等々で昨年トラブルが多かったものだが。 その後、当該問題が一件落着して以降、比較的心穏やかに施設ライフを楽しんでいる様子だ。
 入居3年半が経過し、すっかり施設暮らしが板につき、今ではむしろ一人暮らしをしていた頃よりも活性化され若返った様子すら伺える。
 そんな実母が私に言うには、「いつも贈り物ばかりしてもらって申し訳ない。お返しをしたいのだが、車の運転免許証を返上した今、自由気ままな外出がままならない。 でも、とても嬉しいよ!」
 応えて私曰く、「お返しは今後一生要らないよ。 そんなに嬉しいのならこれから幾らでも送ってあげるからね。」 その後も電話にて実母が「申し訳ない。」と「嬉しい。」を何度も繰り返す…

 そんな実母は施設入居に際し、一人暮らしをしていた住居を単独自力で売却に持ち込んだ! 
 私が売却を手伝うと申し出ていたのに、それに先行してさっさと自宅を売りに出したのには驚かされたものだ。  あれぞ、実母の今後の施設暮らしへの“決死の決意”と私はみた! 自宅住居がいつまでも残っていたのでは、施設入居への意思が薄れると判断したのであろう。 
 
 上記記載の「週刊朝日」にても、「ゴーストタウン化する郊外 3戸に1戸が空き家で地価暴落」なる記事が公開されているようだが。
 まさにこの問題、既に大きな社会問題化している。 古びた空き家が崩れそうになりつつ放置されている光景は、私が住む大都会でも見つける事が可能だ。


 標題に掲げた、“一人暮らし高齢者の孤独死”も切実な課題だ。
 上記広告によれば、「高齢者の5人に1人が一人暮らし」だそうだ。

 これに関しては、この原左都子とて他人事ではない。 実母や義母のごとく素直に施設へ入居するべくキャラが生来的に備わっていない。  と言うよりも。 天邪鬼でアウトサイダー、集団嫌いの私が施設で共同生活など出来るすべも無い事実が切実だ!
 我が娘がおそらく一生嫁に行かないであろうとも想像しているが(?)。 そうだとせよ、サリバンの私が娘の世話になる訳もない! いやいや娘の存在こそが、我が老後に於いても“老化”を抑えてくれるエネルギーの根源であろうと期待すらしている。
 (それよりも何よりも遠い将来の我が死後の、娘の“孤独死”こそがサリバンとしての大きな課題だ。 だからこそ私は130歳まで生きて、娘のサリバンを貫徹したいと半ば本気でバックナンバーにて宣言した。


 この「週刊朝日」本日発売号の主たるテーマが「シニアを使い捨て 急増ブラック労災」だった。

 確かにこれぞ切実なシニア課題だ。
 安倍政権は高らかに「高就業率」を伝えてばかりいるが、その実態とはこの貧弱事態だ。
 要するに、生活に困窮した高齢者をはじめ全世代の貧困層が、何でもよいから仕事にありつこうと彷徨っている我が国の実態だ。
 そんな中、確かに若者達は何らかの方面で使い物になるだろう。

 ところがどっこい。 
 誰が喜んで高齢者など雇う??  結局、そこに行きつくのがこの世の常だ。
 これに関しては、私自身も50代に我が専門力を活かそうと就職活動を成した経験をバックナンバーにて公開済だ。 その結果とは、現在の我が身が物語っている通りである…。
 いえいえ、我が医学及び教育専門分野に於いては何でもよければ仕事があるにはあるのだが。
 ただ結局、下手にアルバイト等の底辺身分で就業をしてしまうと、若造に顎でこき使われてしまう等々の予想だにしない結末が訪れるのだ。 それに耐えられるのなら専門を活かせば良かったのだろうが、私の出した結論とは、下手なりにも自己のプライドを保ちつつ心穏やかに老後を迎える事を優先したとの結末と言えるであろう。

 いやはや、「週刊朝日」の広告を一見すると。
 「シニア使い捨て 急増ブラック労災」!
 要するに、定年後に底辺職場にて下働きをせんと志したとて、若者よりもひどい扱いを受け…。
 工場で熱中症、転倒事故多発、機械への巻き込み事故、骨折で休んだらクビ… 状態らしい。
 実際、60歳以上の労災発生は年間3万件超、死亡者は328人、隠れ労災告発否定……


 最後に私見だが。
 
 その労働者実態を知りもせず、単にデータのみ見て「高就業率」を高らかに吹聴している安倍政権の支持率が上がっているとの昨日のNHKニュース報道でもある… 
 NHKの相変わらずの「安倍政権」偏向報道にも辟易とさせられるが…


 まさに「姨捨山大国ニッポン」にて、特に高齢者は今後如何に生き延びましょうかね!?!
   

そう言うアンタは“アホ”でないつもりかい??

2019年05月12日 | 人間関係
 (写真は、本日2019.05.12付朝日新聞広告欄に掲載されていた一広告を撮影したもの。)


 まず、原左都子の“悪い癖”である「著書を読まずして」書評や広告のみ見て論評せんとする無礼を冒頭からお詫びしておこう。


 上記写真の広告を朝日新聞紙面で見たのは、今回が初めての事ではない。 近い過去に既に何度か見ている。
 その時の感想が、今回の表題の通りだ。

 この広告を見せられて、この本を読んでみたいと思う人間がこの世に現存するのであろうか?(昨年のビジネス書ベストセラーというからには、多くの人間がこの本を読んだのであろうか??)
 もしこの本を敢えて購入して読んだという人が存在するとしたら、よく言えば従順か素直、おそらく“自分はアホではない”とあくまでも悪気なく信じてこの世を生きている人種だろう。
 はたまた生まれ持っての天然質あるいは人生経験が希薄で、この世で自分が周囲よりも賢く偉い人材であり、他の人間どもは皆アホ、ああいう奴らとは勝負したくない、と決めてかかっている勘違い野郎とも想像可能だ。

 片や、この広告のみ見せられて“嫌悪感”を抱かされる人達にも多様性があるように分析する。
 
 その中で一番の正統派は、「人を“アホ”と決めつける事は控えるべき」との一種“上から目線”派だろうか?
 あるいは、原左都子私見による表題のごとく「そう言ってる著者のアンタは“アホ”でないつもりか?」派。
 更に発展チャレンジ案を付け加えるならば、「私もアホだが、アホの相手と闘って何が悪い!」派。(私自身、この派でもあるなあ。)


 いずれにせよ、今後共120%この本を読む気が皆無の原左都子にして、一体何処のどういう輩がこの本を執筆・発刊したのかがマイナス面で気がかりだ。

 そこでウィキペディアより、著者である田村耕幸太郎氏に関する情報の一部を以下に引用して紹介しよう。

 日本の政治家 田村耕太郎 生年月日1963年7月23日(55歳)。 出生地 鳥取県鳥取市職人町
 出身校 早稲田大学商学部 慶應義塾大学大学院経営管理研究科 イェール大学大学院 デューク大学法律大学院 東京大学EMP修了
 前職 会社役員
 現職 ミルケン・インスティテュートシニア・フェロー  国立シンガポール大学リークワンユー公共政策大学院兼任教授
 所属政党 (自由民主党→) (民主党→)無所属
 称号 MBA  経済学修士 法学修士→  参議院議員 選挙区鳥取県選挙区 当選回数2回 在任期間
2002年 - 2010年 
 山一證券に新入社員として入社すると、企業買収・合併担当に抜擢され、1990年から1991年に全社で営業成績第1位となった。 その実績で企業派遣留学生として選抜され、イェール大学大学院(国際経済学科・開発経済学科)修士課程を修了し経済学修士、デューク大学ロースクール(証券規制・会社法専攻)を修了し法学修士を取得[2]。またベルギーのブリュッセル自由大学[要曖昧さ回避]にて単位取得。
 その後新日本海新聞社に入社し、取締役編集局長などを経て、系列紙の大阪日日新聞取締役社長に就任。 37歳での社長就任は新聞協会加盟紙で最年少だった。夕刊紙だった同紙を朝刊紙として再生させた。 (途中大幅略)
 政界への転身。 自民党離党と民主党入り2009年12月、自民党から離党。これは、自民党の下野後で初めての自民党現職国会議員の離党として注目された。 自民党を離党した理由として、自民党の国会での審議拒否戦術や、経済政策の不一致をあげた。 2010年2月、小沢一郎民主党幹事長と会談を経て、自身の経済政策の考え方を与党に反映させるためとして民主党へ入党。 この後2012年12月まで続いた民主党政権において、現職国会議員が自民党を離れて民主党に移籍したのは、田村が最初にして最後の例だった。
 民主党は2010年参院選鳥取県選挙区で坂野重信の孫娘である坂野真理を擁立することが決まっていたため、鳥取県選挙区ではかつて自身が戦った坂野重信の孫娘を支援しつつ、自身は比例区からの当選を目指すことになった。  地元の鳥取県を最も重視して選挙戦を戦って6万688票を獲得したが、民主党比例代表の当選ラインである10万票余りには及ばず落選。 
 落選後は、ランド研究所で日本人研究員となり、執筆・講演活動などを行なう他、インドで衣料ビジネスを立ち上げるなどしている。 現在はシンガポールに居に構え、国立シンガポール大学リークワンユー公共政策大学院で兼任教授として日本の政府・民間のリーダー向けのエグゼクティブプログラムを主催し、アジアで活躍する日本人リーダーの育成に励む。 2015年から世界的な金融・経済シンクタンクであるミルケン・インスティテュートの初の日本人フェローとなり、世界のリーダーと日本の橋渡し役となっている。
 (以上、著書の執筆者である田村耕太郎氏に関するウィキペディア情報より一部を引用したもの。)


 一旦私見だが。

 このウィキペディア情報、田村氏ご本人がウィキペディア宛に記載・掲載依頼したのではなかろうか? 随分と“我が身息災な記述”との印象を受けるのだが…。
 まあとにかく、資金力ある人物なのであろう。 故に広告力により自身の著書を出版社に売り込むなどお手のものとも推察可能だ。
 ただ、1963年生まれとのこと。 高齢化が急激に進む時代に於いて、今後まだまだこの世を背負って生きるべく人材でもあろう。 単に売れる本を出版してよいのだろうが、社会には反発心も抱く人間も存在することを弁えられつつ、“受け狙い”目的の本の出版の今後の在り方を問われてもよろしいのか。とも指摘申し上げたい。


 最後に私論だが。

 “売れてなんぼ”の出版業界の現在置かれている厳しい現実に同情もする反面、実に辟易とさせられている。
 今回取り上げた著書の題名は「頭に来てもアホとは戦うな!」だが。
 特に私が若者達に考えて欲しいのは、この世に於いて真の「アホ」とは誰なのか?? だ!
 それを今一度きちんと学び自分自身の考えを確立した暁に、この種のビジネス本を手に取っても少しも遅くはない。

左都子コレクション -ミニチュアカー 編 ー

2019年05月11日 | 雑記
 (写真は、コレクションというには一部を除きお粗末だが、近年収集したミニチュアカーを並べたもの。)


 昨夜、残業にて遅く帰宅した娘が持ち帰ったのが、冒頭写真の最前列の赤色ミニカーだ。

 これに関して説明すると。
 昨日昼食時にハンバーガーチェーン店マクドナルド(度々訪れているようだが…)にて「ハッピーセット」を注文しゲットしたのが“おまけ”のこのミニカーだったとの娘の話だ。
 今現在マックの“おまけ”は選択不能で、店舗が5個用意してあるミニカーの中で偶然店員氏から手渡されたものを持ち帰るシステムのようだ。 偶然娘が手渡されたミニカーが、写真の「シビックタイプR」だったとの事だが。

 この「シビックタイプR」が、たかがマックのおまけにして実によく制作されているのに驚かされる! 全長9㎝程とかなり大きく、しかもドアの開閉が可能なのだ。
 シールが付録で付いていてそれをミニカー車体に自分で貼る作業を要するが、今朝娘が寝ている間にその作業にチャレンジした私だ。
 どうやらそのシール貼り付けマニュアルはスマホで閲覧するようだが、スマホ能力が未だ備わっていない私は、我が想像力で車体の各部にシールを貼り付けた。 シールの一つ一つが実に小さく(老眼症状が未だ無い! ホントです!)裸眼の私にしても根気を要する作業だった。

 ところで、我が亭主が「シビック」を生産販売している某自動車大手企業の基礎研究部門に定年まで勤務していた。 あくまでも車とは無関係の基礎研究に定年まで励んだ亭主だが、それでも社内割引販売にて亭主勤務自動車会社の車にお世話になったものだ。
 元々亭主が乗っていた「プレリュード」、娘が生まれた後は「CRV」、その後私が娘の習い事等送り迎えをする段になっては真っ赤な「ロゴ」と某自動車会社の車を乗り換えつつ、(前回のエッセイに記載した通り)娘が中学生になった挙句に我が家は車生活をきっぱりやめて現在に至っている。

 何だか、そんなエッセイを綴り公開した直後に娘が「シビック」ミニカーを持ち帰った事実に感慨無量の思いも漂った… 

 
 写真最後列は、昨夏娘と旅した米国西海岸旅行に於いて「ゴールデンゲートブリッジ」」を訪ねた際にそこの売店にて買い求めた「ケーブルカー」のミニチュア版だ。
 これも実に精巧に作られていて車内に椅子も配置されているのに、わずか1個に付“5ドル”との安価だったため3個も購入した。

 中段右側は、昨秋私が1人で訪れた「大宮鉄道博物館」内に店舗があるハンバーガー店にて“おまけ”でもらった“博物館内で運転している子供向け鉄道車両”のミニチュアだ。 

 
 上記写真内で一番“高価”なミニカーに関して、我がエッセイ集2019.03.16公開バックナンバーより一部を引用して以下に紹介しよう。

 娘関係の話題エッセイが続くが、ちょうど2年前の2017.03.15に公開した「インパクトがあったホワイトデーのお返し」と題するバックナンバーの一部を、以下に再掲載させていただこう。
 昨日(2017.03)娘が持ち帰ったバレンタインデーのお返しの中でひときわ目に付いたのが、モロゾフが発売している「Meeting Bus VOLKSWAGEN」と銘打つチョコレートとVOLKSWAGENバスのミニチュア模型セット商品だった。 全長わずか6㎝のバス模型が実に精密に出来ていて、バス内に椅子もあれば運転席のハンドルも模倣して作られている。  (参考だが、ネットで調べると¥3,780-と高額商品だ! これを何個も職場の女性に配った男性の“やる気”の程がまた凄い!?!) 「これをホワイトデーのお返しに選んで下さった方は、おそらく車のファンなのだろうね」と娘と共に唸りつつ、プレゼントのお返しもこうやって“自己主張の手段”として利用出来る事を認識したりもした。
 さて、社会人3年目にして職場での3度めのホワイトデーを迎えた娘が、またもやバレンタインデーのお返しの品々を持ち帰って来た。  
 その娘の職場に於いては、どうやら毎年バレンタインデーとホワイトデーの行事を職員達が比較的丁寧に実施する習慣がある様子だ。 バレンタインデーに際しては、職場の女性(とは言えども20数名中4名と少数のようだが)が話合い、つつがなく済ませたとの話は聞いていた。
 その“お返し日”であるホワイトデーの詳細を娘から聞いて、母親である私が唸った! 20数名の男性が用意した4つのプレゼントが、テーブルに披露され、それを女性4名が男性達の“掛け声”と共に、自分が欲しいプレゼントを一斉に指さす方策が採られたのだという。
 そして我が娘が指さしたのが冒頭写真の右側「Pickup Beetle」だ。 このプレゼントを用意して下さった男性職員氏とは、2年前のホワイトデーに「Meeting Bus」をセレクトした人物に間違いない。 私の推測だが、この方、まさに相当の Volkswagenファンなのだろう。  昨日ネット検索したところ、モロゾフが販売していた2019年版の「Pickup Beetle」の販売価格が¥5,000- 近いのだ! 
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 最後に私見だが。
 
 元々車の趣味など皆無の私も、上記のごとく手元にあるミニチュアカーを介してその時々の思い出と郷愁に浸れる事実こそが素晴らしい!と実感させられる。  
 

幼児を集団散歩させるには日本の道路危険性が高過ぎないか?

2019年05月09日 | 時事論評
 我が家は、娘が中学生になった時点で自家用車を売り払うと同時に自転車も廃棄処分して後、一家皆で「歩行者生活」を貫いている。

 その理由は亭主と私とでは大幅に異なるのだが、両人共に車の運転が苦手だったことが第一の理由だ。 
 亭主の場合、生まれ持っての極度の近視のためその矯正をしているが、どうも特に車で遠出長旅等をすると、その後大幅に体調を崩す癖があった。 やむを得ず途中で私が運転を代わる事がよくあったが、元々運転が苦手な私にとって大きなストレスとなったものだ。
 加えて車の運転が苦手な私は、今でいう“あおり被害”によく出くわした。 命に別状はない程度の被害だったが、何故単なる「移動」に際しこんなストレスを溜めねばならないか!、実に腹立たしかったものだ。

 自転車廃棄処分に関しては、我が家特有の理由がある。
 何分、若干の不具合を持って生まれてきた娘が、小3までサリバン指導の下に続けた自転車練習特訓の甲斐無く、自転車に乗る技能が身に付かなかったのだ…  こうなったら一家皆で歩こう!との方針にきっぱり切り替え、既に長い年月が経過している。
 (いえいえ、自転車以外にも娘がやり遂げられなかった課題は盛沢山だ。 例えば小学校にて6年間課せられた「水泳」も結局1メートルとて泳げず終いだった…。 参考だが、そんな事で泣いていたのではサリバン業は決して勤まらない! )
 「車の免許」に関しても本人は最初から嫌がっているが、サリバンとしての我が判断でも娘の能力では危険性が高過ぎるとみなし、免許を取らない方針を貫いている。
 とにかく、そうでなくとも娘の教育指導とは多難を極めていた。 日々最大限の努力を重ねる娘に対し本人の負担を少しでも減らすべく、最低限身に付けるべき指導事項に絞り込む事こそが重要、とサリバンの私が考えた結果である。

 そのような経緯で「歩行者生活」を長年続けている我が家の面々は、道路交通面に於ける「歩行者」との弱者の立場を熟知している。
 
 その視点から、昨日発生した「園児の列に車突っ込み2名死亡・2名重体」との何とも悲惨な交通事故を考察することとしたい。


 以下に、本日201.05.09ネット情報より当該事件に関する報道を引用しよう。

 大津市大萱(おおがや)6の滋賀県道交差点で散歩中の保育園児らが乗用車と軽乗用車の衝突事故に巻き込まれ16人が死傷した事故で、現場近くの縁石に事故による目立った傷が残っていないことが9日、分かった。 軽乗用車は右折してきた乗用車と衝突した弾みで歩道に乗り上げており、信号待ちをしていた園児らに縁石のない横断歩道部分から突っ込んだために被害が拡大した可能性がある。 県警は軽乗用車のドライブレコーダーを解析するなどして、事故状況を調べている。
 縁石は高さ約20センチで、交差点の横断歩道部分以外に整備されている。 被害に遭ったレイモンド淡海(おうみ)保育園(同市萱野浦)の園児13人と女性保育士3人は横断歩道手前に集まり信号待ちをしていた。 縁石に軽乗用車が乗り上げた傷はなく、軽乗用車はほぼ真っすぐに園児らに突っ込んだとみられる。
 一方、乗用車を運転していた容疑者(52)=自動車運転処罰法違反(過失致傷)容疑で現行犯逮捕=が県警の調べに「前をよく見ていなかった」という趣旨の供述をしていることが分かった。 容疑者の2台後ろで車を運転していた男性によると、右折待ちで停車していると突然「ドン」という音がしたという。 軽乗用車を運転していた無職女性(62)も調べに「乗用車が急に出てきて左に避けようとハンドルを切った」という趣旨の説明をしており、県警は新立容疑者が安全を十分に確認せずに突然、右折しようとした可能性があるとみて調べる。
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 私見及び私事に入るが。

 昨日このテレビニュース報道を見て、私が一番に愕然とさせられたのは…。
 事故現場が、予想以上に交通量が多い大規模交差点だった事実だ。
 (えっ?? こんな極めて危険な場所を2歳児を含む13名もの大勢の園児たちを歩かせていたの???)と、園側の危機意識にこそ驚愕させられたものだ。
 更に夜になり再度テレビニュース報道を見ると。 園長との人物が会見会場にて机にひれ伏して泣き崩れているではないか! こんな時に厳しい見解かもしれないが、我が教員経験者としての感覚から物申すならば、2名もの園児死者を出している保育園の園長たるもの、感情的に泣いている場合ではないはずだ! 冷静に会見に臨むべきではなかろうか? これでは犠牲園児の保護者のやり処の無い現実の辛さの上塗りをするのみだろう?!?

 常に歩行者である私も、大勢の幼児を引き連れたおそらく保育園や幼稚園軍団に日常的に公道で出くわす。
 我が家の近辺は都会にして(今回の大津市の事故現場のような大規模交差点など無く)比較的交通量が少ない場所ではある。 それでも、おそらく当該事件同様に大勢の園児数に対し、園児を引き連れ統率している指導者数が少数であるのが通常だ。 当然ながら、その種の軍団に出くわすと狭い歩道上でこちらが道を譲りつつ園児軍団が通り過ぎるのを待つのだが… 
 今までのところ我が近隣では事故は発生していないようだが、高齢者運転の車がその軍団に突っ込まないとも限らないだろう。 そのような現在の交通事情を冷静に把握・分析した上で、園は園児を引き連れて公道散歩を実行していると信じたいが…


 もちろんの事、国家や自治体が「道路交通法」に基づき自動車運転者の指導強化を執り行うこそが最優先課題であることは私も承知している。

 ただ世の現実をみると、小学生の集団登校時にせよ、中高生の自転車登下校時にせよ、交通事故の死亡者が多発し過ぎている現状だ。 
 この悲劇をとりあえず打破する手立てとして、今回の園児2名死亡事件も含め、子ども達を預かる施設や学校側こそが“本気で!”子供達の安全を早急に我が事として再考するべきと私は考えるのだが。

 車にも自転車にも乗らず(いえ、もちろん公共交通機関やタクシーは頻繁に利用していますよ。)「歩行者生活」を貫いている我が一家の面々は、歩行者との“弱者”の立場を痛い程知り尽くしている。
 そんな観点からの、今回のエッセイ執筆だ。