原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

医師から「やせなさい」と簡単に一言アドバイスされてもねえ…

2019年05月23日 | 自己実現
 先程ネットにて、「第32回サラリーマン川柳優秀ベスト10」が発表されたとのニュース報道を見た。

 その中で、私が一番笑い転げた 川柳とは。 

 第5位に輝いている、 「『やせなさい』 腹にしみいる 医者の声」 である。
  
 いやいや、医師先生。  そりゃ、いくらなんでも医師としての責任放棄だよ。
 少なくとも如何なる手段でやせればよいかの、もう少し詳細のアドバイスが欲しいものだ。

 と言う原左都子自身は我が60年余りの人生に於いて、「もう少し太ったらどうか?」と言われる事は数多かれど、「やせなさい」のアドバイスとは無縁の人生を貫いている。


 そんな生涯通じて“スリム体型”の私が、2017.02.23付バックナンバーにて 「ご自身の体重を長年維持したい方への簡単アドバイス」と題するエッセイを公開している。 
 以下に、当該エッセイの一部を要約引用させていただこう。

 先程視聴したテレビ番組のゲストが宝塚出身の和央ようか氏だった。
 クラシックバレエ公演へはよく足を運ぶものの、残念ながら「宝塚歌劇団」には縁が無い。 故に和央ようか氏に関しても、その名は知れどもご本人をじっくりと拝見するのは今回のNHKトーク番組が初めてだった。 これが、何とも会話内容に茶目っ気のあるチャーミングな女性だ。 見た目30代前後かと拝察したら、どうやら現在49歳であられるようだ。
 そのご年齢にしては、抜群にスタイルの素晴らしい事! 身長174㎝の長身スリム体型は我が理想体型(私の場合、身長165㎝と伸び悩んだ… 是非共170㎝欲しかったと今でも悔やんでいる…)だが、長年厳しい宝塚のレッスンに耐え抜かれたスリムながらも筋肉質のそのボディに羨望感を抱かされる。
 その和央ようか氏が、番組冒頭で司会者より「どうしたらそのスリム体型を長年保てるのですか?」なる質問を受けた。  これに応えた和央氏のご回答の程が、原左都子が長年実行している“体重維持”手段とピタリと一致していたのに驚かされた!
 和央氏の回答とは、  「一日に何度も体重計に乗るのです。」
 すかさず女性司会者が、「食後は1~2キロ増えるでしょ?」  和央氏応えて、「その通りです。 それがレッスン等々の活動により何処まで減るかが肝心です。 必ずや元に戻ります。 それを体重計で確認しつつの日々です。」 
 いやはや、驚かされた。
 私は決して元宝塚トップスターの道程を歩んではいないが、我が体重維持の一番の秘訣も一貫して「体重計に頻繁に乗る」事なのだ!
 これをスタートしたのは、上京後だ。 上京してすぐに我が必須アイテムとして「体重計」を購入し、朝晩は必ず体重測定を実施した。(昼間は仕事等に励んでいたため、どうしても朝晩しか計測出来ない身だった。)
 若い頃は、その体重の変動を日々グラフに記録したりもした。 このデータは今尚保存してあるのだが、これが自身の「排卵周期」確認にも役立った。 私の場合、排卵直前頃より体重が増え始め若干の体調不良を毎月引き起こした後、生理直前期より体重が減り始めて生理後最低体重となり身体が楽になるとの月間体重変化を繰り返す事が判明した。  そのデータ管理は体重維持目的ならず、我が独身時代の体調管理に於いて様々な意味で大いに役立った。 例えば、多少体調が悪いのは排卵周期のせいであり特段病気ではない、などと自己診断しつつ仕事を頑張れたものだ。
 昨年夏に永久不滅ポイントを利用して「体組成計」を自宅まで届けて貰ったことは、バックナンバーにて記載した記憶がある。 今まで利用していた「体重計」から「体組成計」測定に移行した事実が、我が体重管理を大きく変遷させることと相成っている。
 「体組成計」の一番の利点とは、体重を小数点以下1位まで測定可能なことだ。(現在のデジタル体重計もほとんど同様だろうが。) これが一日に何度も体重を測りたい私にとって大いに役立つ。
 上記の和央ようか氏がおっしゃるところの、食後の体重変化等々、自身の行動毎に体重が上下動する事実をまず実体験可能だ。  これこそ、体重維持の一番の重要点と考察するのだ。 
 (参考だが、体組成計は「体脂肪率」や「内臓脂肪」「体内水分率」「基礎代謝値」等々も自動測定してくれる。 ただ、これらはあくまでも参考データであり、その測定結果がいつも「やせ過ぎ」「標準」の範疇にある私の場合、たまに確認すれば十分と捉えている。)
 やはり一番に確認するべきは、「体重」であろう。  この体重を日々小数点以下1位まで数回測定してこそ、自身の体重管理に大いに役立つとの思いを「体組成計」が届いて以降、実感している私だ。
 えっ、5㎏減量したい??
 申し訳ないが、その域にまで発展してしまっている“メタボ人種”の方には今回の我がエッセイは残念ながら無意味であろう。 
 少なくとも、現在の体重を今後も維持したい皆様には、「日々何度も体重計に乗り、自分の体重をいつも把握する」なる手段はいとも簡単であり、自己健康維持目的に於いても大いに役立つと指南させて頂こう。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 このエッセイ公開よりずっと以前にも、私は“メタボ体型”に関するエッセイを公開している。
 先程それを探したのだが検索不能のため、我が記憶に辿り以下に紹介するならば。
 要するに、“メタボ体型の人種がその体型を改善しようしない”背景には、自身の心理内にその体型を認めてしまっている思想がある。 との結論である。
 
 例えば、我が20代前半期に仲が良かった女性が“メタボ体型”だった。 若くして既婚だった当該女性曰く、「主人がふくよかな私が好きだと言うの。 だから私はこの体型を一生保つわ。」
 それは勝手にしてもらうとして…。

 既婚男性が太っているのも、もしかしたらこの論理によるのかもしれない。
 奥方が日々丹精込めて作ってくれる食事がとても美味しくて、「美味しいよ!」と褒めているうちに更なる“メタボ体型”を呼び起こし。 それでも奥方にとっては「料理が美味しい」と褒めてもらえる事実こそが亭主が“メタボ体型”になるより優先された挙句の果てに……

 そういう我が家でも、晩婚当初に我が亭主が急激に体重を増やすとの「失敗」を経験している。 どうやら男とは母親に管理されていた親元離れると、ある意味で心が自由になるとの習性があるのではなかろうか??? 

 いやいや、主題が表題からずれてしまったようだ。 


 私論結論を語ろう。
 
 とにもかくにも、医師から「やせなさい」とアドバイスされたならば、そうせねば今後の自身の身体が大なり小なり危ういに決まっている。
 その“お言葉”が腹にしみいった冒頭の川柳入選作者の方は、今後やせるための自助努力を目指すであろうと信じたいものだ。

相変わらず運転不調が続く我が家の日立冷蔵庫

2019年05月21日 | 人間関係
 (写真は、つい先ほど撮影した我が家の日立冷蔵庫。)


 冒頭より、2018.08.16公開の「日立冷蔵庫は欠陥品! リコールに持ち込みたい!」と題するエッセイの一部を要約引用させていだだこう。

 またもや我が家の冷蔵庫が壊れた様子だ。
 今朝一番先に冷蔵庫を開けた娘が、いの一番にそれに気付いた。「製氷室の氷が全部溶けてる…」と、滅多に人に話しかけない寡黙な娘がサリバンの私に訴える。 急いで駆けつけると、製氷室の氷が溶けた水に浮いた状態。 更にはチルド室(と言うのか?、少し温度が高めの冷凍室)のアイスクリーム類がトロリと溶けて、凍結していた肉類が柔らかくなっている。 大型冷凍室内では水が大量に垂れている始末…。
 以前より我がエッセイ集をご覧頂いている皆様は覚えて下さっているかもしれないが、そもそもこの日立のRF48M1 型冷蔵庫を、昨年2017年2月に買い替え購入した。
 その後3ヶ月しか経過していない2017年5月に、第1回目の故障を起こした。(症状は本日とまったく同様。) 保証期間内のため当然ながら無料修繕と相成ったのだが、結局その原因は不明のまま…。
 更に6月に、まったく同様の故障を起こした。
 5月の故障時に故障原因が不明だったため、再び同様の故障を引き起こしたならば機種交換をこちらから提案していた。 日立は渋々それに従ったものの「欠陥商品」である事は断じて認めず、あくまでも顧客であるこちら側の“使い方が悪い”せいにして、事を済ませようとするではないか?!! (中略)
 2017.6.24 午前中、修理担当者より電話が掛かって来た。 そして電話口で言うには、「コンピュータ制御部品の分析結果、グラフに不安定要因が出ています。 並行して貴宅の冷蔵庫のドアの開閉が多いという結果も出ています。」  私応えて、「ドアの開閉が多いとおっしゃいますが、自覚症状はまったくございません。 我が家は大人3人暮らしで小さい子供もいなければ、私自身が元々節電観念が強い人間でして、冷蔵庫ドアの開閉には十分に配慮しています。 我が家の冷蔵庫使用実態を責められる事態が納得いきません!!」  との我が発言を遮るかのように修理担当者が更に言うには、「これからの季節、更に暑くなりますので冷蔵庫ドアの開閉に関してご注意され…」  怒り心頭の私が、「冷蔵庫を新品交換するとの昨日の話は如何進んでいるのですか!?!」  担当者曰く、「はい、交換致します。」  我が内心だが、(ならば、さっさとその話をするべきだろうに!)
 更に私が尋ねて曰く、「交換して下さるとの事は承知しましたが、同機種が他にも欠陥を多発しているとの事実はありませんか? せっかく交換してもまたもや故障続きとの事態だけは是が非でも避けたいのですが。」  これまた担当者が我が発言を遮って曰く、「そのような事はまったくございません!!」
 要するに、メーカー側が「冷蔵庫交換」を実行するとの事実は、イコール 販売した冷蔵庫が「欠陥商品」だったことを認めている、との揺るぎない事実である事に間違いない。
 顧客側の私としては、それのみ伝えて欲しかったのに、何故交換最終段階に至って“我が家の冷蔵庫の使用法に誤りがある” と主張して片付けたいのか!?? つまるところ、我が家が日立冷蔵庫に対する悪風評を世間にバラ撒く事態を回避したいのであろう。 そのためにたとえ欠陥商品だとしても、顧客側にも使用上のミスがあったと強調せざるを得なかったものと理解した。 (中略)
 2018.08に当該日立冷蔵庫2台目が再び同様の故障を起こし、またもや冷蔵庫入替となった暁に。
 亭主と表題の「リコール訴え」を話し合いつつ、亭主曰く「国内では冷蔵庫のリコールの話は聞いた事が無い。とにかく別機種への交換の折衝をしよう。」 明日我が家へやって来る日立技術者は、再再度「使い方が悪い」と我々家族に責任転嫁をするのだろうか?  いやはや、まったくもって勘弁して欲しいよなあ。 米西海岸旅行出発日も切迫しているこの時期でもあるのに…。 
 私はわずか1年半足らずの短期間内に、三度(みたび)の冷蔵庫内食品入れ替え“重労働”をこなさねばならない運命を背負っているのか!?!
 (以上、我が家の日立冷蔵庫不良入替に関するバックナンバーより一部を引用したもの。)



 話題を現在に戻し、我が家の日立冷蔵庫にまつわるその後の成り行きを語らせていただこう。

 本日昼間、初夏の暴風雨嵐が吹き荒れた東京地方だが、我が家庭内でも負けず劣らずの夫婦喧嘩バトルが勃発した。

 その原因は他でもなく、この日立“欠陥”冷蔵庫だ。
 (冒頭写真が、故障続きの挙句の果てに日立が取替品として我が家に搬入した3台目の冷蔵庫だが。)

 実は今年2019.03 春分の日の2日後(と記憶している故に)、3月23日土曜日の事だが。
 それこそ、またもや! 冒頭写真の日立3台目の冷蔵庫が、過去2台と同様の故障を引き起こしているではないか!!
 ただ今回は故障に慣れ切っている私が、すぐさま「故障」と判断するのに過去程の時間を要しなかった。 要するに故障症状が今までとまったく同様だ。 氷室の氷が溶けかかっているのに加えて、冷凍室の中に水が垂れ、アイスクリームが溶け始めている状態…
 私が咄嗟に取った対策とは、冷蔵庫機能のすべてを手動にて「急速・急冷」にして回復を待つとの方策だった。 
 その間、亭主とも話し合った内容とは。 「これを日立に三度(みたび)訴えたところで、“使い方が悪い”だのと我が家に責任転嫁をされるのがオチだ。 もはや、あの言葉を聞かされるのにとことん嫌気がさしトラウマになっている私の考えとしては、このまま手動にてこの“欠陥冷蔵庫を何とか操りつつとことん使い切った挙句に、もう一度故障を起こした暁には、日立冷蔵庫を廃棄処分にして自力経済力にて他社の冷蔵庫に買い替えようよ。」
 我が発言に対する亭主の回答とは、「いや、やはり日立には故障を連絡したい。」
 私が即座に応えて、「ちょっと待て! それがいつも私の担当じゃないか! それをするのにほとほと嫌気がさしているからこその我が提案だ! アンタがその連絡をするのか!?」 
 亭主応えて、「うん、それでもいいよ。」 我が内心で思って(ウソ扱けよ! アンタが緊急で動いた前例など、結婚後一度足りとて無いくせに…)
 その後、何度か我が手動にて“欠陥”冷蔵庫を操っているうち、今日に至るまで何とか持ちこたえている様子だ。


 さてさて本日に話題を戻すならば、我が家の昼のメニューが「流水蕎麦」だった。(いや~~。料理嫌いの私としては、この種の商品に日々実に助けられているなあ~~ 
 ところがこれをいざ流水せんとすると、何と冷蔵室に保存しているにもかかわらず「凍結」してしまっているではないか?!!
 この現象とは、やはり3台目の日立冷蔵庫の不調が続いている証拠でもある。
 やむを得ず別メニューに切り替えた後、昼食中の亭主にこの事実を訴えるなり、亭主から無責任な解答が来た。 「〇子(私の事)が勝手に冷蔵庫の調節を手動にするからこうなるんだよ。」
 これに怒り心頭の私であるに決まっている!! 「私が悪いんじゃなくて、欠陥冷蔵庫に運悪く当たってしまった不運だろ!!? 我が手動でやっと持っている日立冷蔵庫3台目だよ!」

 ここまでは正論として、夫婦喧嘩とはそもそも他事項にまで発展するのが世の常だろう。
 我が怒りは止まるすべを知らず… 「だいたいアンタねえ。 何で私には平然と反発するのに、アンタの認知症の母親には優しいんだよ。 時には保証人としての指導力も発揮せねばならない場面もあろうに!」
 ここで亭主の怒りも爆発!! 「うるさいよ! どーのこーの……!! 」
 まあこの辺で話をまとめるべきと考えた私は、「日立欠陥冷蔵庫に関しては、我が当初の提案通りこのまま手動にて様子を見よう。 ただし、今年7月に娘とのウィーン旅行を控えている身として、その直前期の冷蔵庫入替作業のみは是が非でも勘弁させてもらいたい。 あれやると実際旅行中も帰宅後も物凄い疲労感に襲われるのよ…。」

 これで夫婦喧嘩が一見落着したのかどうかは不明なものの… 
 亭主も一応黙った事に安堵しているが。(まあ我が家の場合、大抵はこれで一件落着に持ち込めると自負している。)

 一旦欠陥冷蔵庫(のみならず欠陥家電)を買わされてしまった挙句の果てには、夫婦喧嘩、ひいてはもっと厳しい結末が訪れないとも限らないだろう。

 どうか皆様、ご夫婦円満のためにも、欠陥家電に当たらぬようくれぐれもお気をつけられますように。

 そう言えば、東京地方の暴風雨も通り過ぎたようだなあ。

超ビックリ!! 速報です!

2019年05月20日 | 雑記
 (写真は、3本前のバックナンバーにて紹介した観葉植物に花が咲いた様子を撮影したもの。)


 
 もしかしたら、前回公開の郷里の実母に関する「速報」かと思われましたか?
 読者の皆様にはこの件に関しご心配を頂きまして、誠にありがとうございます。
 残念ながら、郷里の実母からはその後一切の連絡がありません。
 私としましても、今回の米国姉による実母入居施設訪問の件の結論は実母本人こそが出すべきと考え、本人から連絡があるまで静観することと致しております。



 さて、ビックリしたのは、冒頭写真だ!
 
 つい先ほど、“かの”植物に花が咲いているのを発見した!

 前回同様、週末に水をやった時点では、引き続き可愛い“実”が実っているその状態のままだった。

 (参考だが、3本前のバックナンバー 2019.05.16公開の「この木、何の木??」に於いて、その写真を公開している。)


 と言うより、ちょっと待てよ。

 植物とは、先に花が咲いた後に実を実らせるものだ。

 という事は、前回の写真は「蕾」だったと訂正するべきだろう。

 いやいや、「蕾」も可愛かったが、花も実に可愛いではないか!

 窓から入って来る初夏の風に吹かれ、花粉を飛ばしている様子だ。

 この先、真の「実」が実るのだろう。

 楽しみに待っていよう! 


 で、未だに、当該観葉植物の名前が何なのかは不明のままです……  



郷里の高齢者施設に暮らす実母からの驚愕訴えに唖然!

2019年05月19日 | 医学・医療・介護
 あっちにもこっちにも高齢身内を抱え、その保証人を真面目に担当していると、精神が休まる暇がないものだが…。

 昨夜の事だった。
 郷里の高齢者自立支援施設に暮らす実母より、珍しく夜7時過ぎに電話が入った。 こちらはちょうど夕食中で酒も入っている。

 (こんな時間に鬱陶しいなあ…)と思いつつ電話口に出るなり…
 「大変な事になった! 助けて欲しい!」と実母が叫ぶ。 
 一体何が起きたのかと思いきや…
 実母が切羽詰まりつつ早口で続けるに、「米国の姉が(事実婚中の4度目の米国人亭主と一緒に)この施設へ私に会いに来たいと言って来た。 始めは私に米国へ来るように言われたが、とてもじゃないがこの高齢では無理だ。 それを姉に訴えると、それならば姉達がここに来ると言う。 それだけは絶対にやめて欲しい! (4度目のご亭主はともかく)あんな恥晒しの長女にここに来られたものならば施設中の笑い者だ! あの娘に来られるならば、私の方が思い切って米国へ行こうと思うがどうか?!?」


 ここで一旦、我々一家が抱えている米国在住実姉に対する苦悩の程を綴った 2018.06.09付本エッセイ集バックナンバー「私も20年程前に実姉との縁を切った」と題するエッセイの一部を以下に要約引用させていただこう。

 2度目の再婚国際結婚にて米国に永住した実姉と私が縁を切って、既に20年程の年月が流れている。
 その後、実母を通して姉(やその息子)に関する間接的な連絡はあるものの、私側からはもちろんのこと、姉本人からの連絡も遮断状態だ。 これは、現在の通信手段の“着信拒否”革命の凄さの恩恵によるだろう。 私側から縁を切った直後期に姉が電話にて連絡を寄越そうとしたふしはあるものの、“着信拒否”技術発展の成果により、私はその後20年来姉と一切直接かかわらずに済んでいる。 (途中大幅略。)
 特に近しい血縁身内間での「絶縁」とは、“命がけ”に近いものがあると我が経験から宣言しよう。 今後一生絶対に関係をぶり返さないとの覚悟の下に成される壮絶な行脚なのだ! 今更、我が実姉との「縁切り騒動」を振り返りたくもないため、その理由等々の詳細記述は避けたいのだが…。
 実姉に対する“嫌悪感”は、既に幼少の頃から我が内面に存在していた。 何分、両親が共働き家庭で普段は祖母に育てられていたとの事情もあり、幼少の頃より“お利口さん”の評価が高かった私は、姉に関する苦情を誰にも言えず一人で耐え抜いていた。
 (姉側の名誉も言い分もあろうし、既に絶縁して20年の年月が過ぎ去った今となっては滅多やたらな発言を控えるべきだろうが…)  片や姉は、幼少期より心理面で大きな問題を抱えていたようだ。 私のように“一人で耐える”との能力に先天的に欠け、常に両親は姉に手を焼いていたようだ。 
 そんな姉がちょうど高校生になる時に、父の実家を一家4人で出る事になった。 その時の姉の希望が、「私は祖父母の家に残る!」だったのだ。 これを陰で一番喜んだのは私だが、実は父母共に手のかかる姉が祖父母の家に残ってくれる決断をした事を両親も内心喜んでいたはずだ。 その後姉は大阪の大学へ進学し、その後しばらく大阪で暮らした後、米国人との再婚国際結婚にて米国へ渡ったとのいきさつだ。
 実際、実姉は我々一家にとって実に“迷惑かつ厄介な存在”だった。 その姉が米国に渡り「私は大嫌いな日本へは二度と帰らない!」宣言をした時、特に私と実母は手を取り合って「良き結果となった」と喜んだものだ。
 ところが、自己主張と自己顕示欲が異様に激しい反面、外見要因が整っている姉は、米国男性にはモテモテなものの、その異様な性質の正体がバレたならばすぐに捨て去られる運命に遭う、また遭うのだ…  そうなると、すぐさま日本の妹の私と実母に泣きつく習性は米国に渡った後も続いてしまった…
 しかも嫉妬心激しい姉が、私が先に娘を出産した際に、私相手に何と電話を寄越したのかと言うと、「先に産みやがって! 姉の私がどれだけ辛いか分かるか!!」だった事実を一生忘れる事はない。 ただ、その後姉本人も遅ればせながら43歳で男児を出産し安堵したのだろう。 後は比較的安定していた様子だが、それでもただの一人として女友達が出来ない姉は、日本の私へ愚痴電話を頻繁に寄越し続けた。 その頃、私は娘のサリバンとして日夜切磋琢磨していた。 遠方に住む何の恩恵も無い姉などに関わっていられる訳も無い。 しかもおそらく私は娘のサリバン母として人格的にも強さを築き上げようとしている段階だった事と、後に考察するのだが。
 娘が4歳頃だっただろうか。 米国の姉からいつものように電話が掛かって来て私には無関係の無理難題(その内容は忘却しているが)を告げた際。 
 我が口から冷静にすんなりと出たのは。  「もう、金輪際縁を切りましょうか!? あなた(姉)も米国へ渡りその地で今後生きていくのでしょう?? 私の方は、あなたが大阪へ行った時から正直言ってあなたには何の用もなかったのよ。 それでもあなたがずっと私に電話や手紙を寄越すからそれに義務感で付き合ってきたけど、今後は私は娘の母親として可愛い我が子を大事に育てることを最優先したいと思っている。 私の方は友達等人間関係にも恵まれているし、遠く米国に住むあなたに今後共一切依存するべき事も無い。」  姉が何と応えたかの記憶が薄い。 ただ、我が“絶縁”に対する物凄いまでの覚悟の程は姉に通じたものと実感した。
 そしてあれから20年が経過した今尚、姉からも何らの連絡もない。 きれいさっぱり絶縁できたと私は信じている。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 冒頭の実母からの電話の続きに戻ろう。
 
 私応えて、「貴方がその高齢身体で米国へ行くには付添人が2人必要だ。 要するに単独渡米など絶対に無理!! せっかく姉夫婦が貴方に会いに来ると言っているならば、来てもらえばいいんじゃないの?」
 実母応えて、「頭が痛い問題だ…、あの姉から現在の写真が届いたりするが、とんでもなく老け込んで見るに忍びないし。 元々の異常性格に加えて、今となってはあのみすぼらしい風貌でここに来られても私の立場が……、どーのこーの……」

 私が内心で思って、(それにしても身勝手な実母だ。 おそらく施設内では、日々米国在住の姉自慢で花を咲かせているのだろう。 そりゃそうだと思うよ。 下の娘はたかが東京暮らし、それに比し長女は米国在住と言っただけで過疎地の年寄り達は驚き賞賛してくれる事だろう。 しかも、おそらく実母は姉が若き頃ミスインターナショナル県代表に選出された事実も自慢しているに違いない。 その後英語力を活かし、米国日本総領事館にて仕事をしている事実も自慢の種にしていると想像する。 ところが、いざ本人が来るとなった暁に! 姉のみすぼらしい実態をやっと思い浮かんだに違いない。 あんな娘に来られ本性を晒されたものでは、私の立場がすべて否定されてしまう! と、とことん焦った挙句、私に電話を寄越したのだろう。) 

 それでも私は、昨夜の電話では「せっかく来ると言う姉の意向もくんでやったら」と締めくくると、実母は、「明日、もう一度米国の姉に電話をかけて相談してみる…」と何だかとても辛そうに言って電話を切った。

 本日朝になり、少し考えを変えた私から再度実母にメールを入れた。
 その内容とは、「姉の件だが、姉が貴方の施設へ来るのがどうしても嫌ならば、正直にその旨を伝えたらどうか? 私が想像するに、実際姉が日本の貴方の施設へ来て直接貴方に会うと、大喧嘩になりそうな予感がする。(これには前例がある。 姉が子どもを産んだ時に実母が米国へ行った際、両人が日々大喧嘩を繰り返しつつ、両人それぞれが日本の私宛に電話を掛けて来ては、アイツが悪い! いやアイツが悪い!の愚痴の言い合いだったものだ…。 そんな事を今更繰り返すならば… ) 高齢域の貴方の寿命こそが縮まる事を懸念する。」とメールに書いたのだが…

 その後、実母からの連絡は途絶えている。(少し、その精神状態の程が気にかかる…。) 
 当然ながら、既に縁を切っている米国の姉からの連絡は一切無い。(これには心底安堵しているのだが…。) 

今年も長野・伊那より“初夏の味覚クール便”が届きました!

2019年05月18日 | 人間関係
 (写真は、昨日伊那市より到着した採れたてのウドとアスパラガス。)


 長野県伊那市にて大規模農場を経営されているK氏より、5月の連休前後の今時分に毎年採れたてのウドやアスパラガス、6月と10月頃にはブロッ娘(K氏が丹精込めて栽培しているブランドもののブロッコリー)、冬には信州リンゴをお届け頂けるようになって、今年で既に12年目を迎える。

 私とK氏との出会いとは、何と!当該「原左都子エッセイ集」がきっかけである事に関しては、バックナンバーにても数回紹介している。
 12年程前にネット上にgooブログにて「原左都子エッセイ集」を開設した半年後頃、ネット上の某ブログコミュニティ(現在既に廃業)に我がエッセイ集を登録した。  その直後から、有り難い事には我がエッセイ集に数百人の読者登録が殺到する現象が起きた。  未だ世間知らず(あくまでもネット世界の話であり現世では海千山千の私だが)の私は、その現象に素直に感激したものだ。
 その感激を頂けた読者の一人がK氏だった。 K氏は実に真面目かつ優しい人物で、私がエッセイを公開する毎に必ずや肯定的コメントをお寄せ下さり我がブログを力強く支えて下さった。

 一昨年の夏、10年もの年月に及んだK氏のご好意に御礼を申し上げる目的で娘を引き連れ長野まで旅に出て、K氏より更なる歓待と厚遇を受けた事に関しては、バックナンバーにて公開している。
 
 以下に、2010.5.8バックナンバー「初夏の味覚の宅配便」を参照しつつ、K氏が携わる農業の厳しさや、私との12年間に渡る交友の様子を紹介しよう。
 
 それにしてもK氏よりのメールによると、自然と共存してこそ成り立つ農業世界とは“日々気まぐれに移り行く天候とのバトル”であることが今更ながら身に滲みる思いだ。
 分子遺伝子生物学の発展が農業における品種改良にもたらす恩恵や、工業分野での技術革新の農業分野への進出による発展は凄まじいものがあることであろう。
 とは言えども、農業とは“生き物”を扱う世界であるからこそ自然との共存がその主眼であり、天候や気温による打撃を直に受ける産業であることを実感させていただける。
 この12年間、K氏は我が家に定期的にクール宅配便を届けて下さる事と並行して、ご多忙中にもかかわらず、必ずやその年々の農作物の出来具合や季節背景気象詳細情報等を私宛にEメールにて送信して下さるのだ。
 例えば、2010.05朝届いたK氏よりのEメール内容の一部を紹介しよう。
 さて、今年の「うど」は・・・ まあまあ太くなりました。 今年は温暖化のためか早くに葉が出始めました。 そろそろ掘り起こさねば・・・と思う気持ちをあざ笑うかの如く、天候が《いたずら》してくるんですよ。
 5月3日でしたか、低気圧の影響での大風雨!凄かった!!  被覆材は土止めしてあるのが、見事にハガレ。 定植後のマルチのハガレ。 定植前のマルチのハガレ。  従業員さんと(一人は風邪で休み)二人がかりで2日掛かって直し。 一部の圃場は今春三回目の直し。
 んも~、嫌になるくらいでした。 一番大変なのは《定植後のマルチはハガレ》 強風の止まない中、先ず剥がれたマルチを元に戻し、土を押さえとし盛る。 次にマルチの下になってしまった《苗》を指で探り当て引き出す。 その都度「いやいや、熊本の被災地のことを考えるとまだましよ!」と、言い聞かせながら・・・
 昨日は、雨が降るとぬかるんでしまい定植機械が動けなくなるからと、急遽《定植》を敢行。 天気予報では15時~《雨》 ところが12時頃から降り始めてしまうし、それでも15時には終了し、植え直しは今日13時から3人総出でやることにしました。 (以上、K氏よりのメール内容の一部を紹介したもの。)
 いやはや大規模農場主のご負担とは、自然環境に大きく左右される故に日々格闘の毎日であられる事であろう。  にもかかわらず年に4、5度程、必ずや定期的に我が家に採れ立て野菜類をクール便でお届け下さり、更にはその都度Eメール連絡も欠かさないK氏の律義ぶりに感動させられる。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 昨日頂いたK氏よりのメール内にも、「今冬は寒くて農作物の成長が遅れがち、気が気でない今日この頃… )の記載があった。
 確かに日頃関東甲信越地方の天気予報を見ていると、4月を過ぎても長野県に「雪」マークが出ているのを私も確認しつつ、(Kさん、大変だろうなあ…)と思う日々が多かったものだ。

 昨日、ウドとアスパラが到着した直後、感謝と御礼のメールを出した。
 そんな逆境にもめげず日々農作業に精を出すK氏をねぎらいつつ、「〇さんがお元気そうで何よりです!」の発信をするなり、「ハハハ、何時も元気だよ!! (ウドの)土掛けが上手くいかず白い部分が少なくてゴメン!」のご返答。
 
 なんのなんの冒頭写真の通り、実に立派な「ウド」をお送り下さっている。
 加えて、今年の「アスパラガス」の大きさにビックリさせられている!
 昨日到着直後にアスパラの先端部を少しかじってみたところ、いやはや実に新鮮! 少し苦味があるものの、生でも十分に美味な絶品だ!

 K氏との関係は今後共良好に続行できそうな予感だ。
 そんな恩恵に与れるのも「原左都子エッセイ集」を世に発表している派生的産物と捉えつつ、この人間関係を楽しませて頂いている私でもある。