(写真の左はウィーン楽友協会大ホールの座席図。 右はウィーン国立オペラ劇場の座席図。)
旅にはトラブルがつきものだが、何と7月の出発まで3ヶ月も前の予約段階よりトラブルに見舞われている。
そのトラブルとは、予約担当の私の大ミスなのだが。
今回の娘と二人の「ウィーン個人旅行」の第一目的は、ウィーン楽友協会大ホールにてオーケストラコンサートを観賞することにあった。
ところが私のポカミスにより、楽友協会の休館日チェックを忘れていたのだ。
一昨日旅のバウチャーが届いた後に、その休館日を確認してみると。 な、な、何と! 予約した日程のすべての旅程日が「休館」となっているではないか!?! しかも不運な事に、これだけ長い休館は1年中でその時期のみだ。 こんなとてつもない“外れくじ”を引き当てるのも稀な確率ではなかろうか?? せめて滞在中に1日だけでも開館していれば行けたのに……
その事実を、一昨日夜に仕事から帰宅した娘に告げたところ。
やはり、「是非とも楽友協会ホールにてコンサートを見たい。」との意向だ。
これに応えて、「個人旅行の予約とは煩雑な作業だし、これを一旦キャンセルして新たな日程に変更したとてキャンセル料が発生したり手間がかかるし、いろいろと損失が大きい。 ここは楽友協会ホールは“見学”のみにしよう。 ウィーンは数々の著名なコンサートホールがあるから、そこでオーケストラコンサートを観賞しようよ。」 との私の説得も虚しく…
「どうしても、楽友協会ホールで見る!!」との娘の宣言だ。
(この子、こんなに頑固な子だったかなあ。 そう言えば、思い当たるふしは幾らでもある。 一見おとなしく自己感情表出が苦手な娘だが、こうと決めたら譲らない一貫した意思がある子だ。 その心意気は尊重してやりたいが…。)と思いつつ……
「貴方の気持ちは分かった。 自分の意思を貫き通すのは立派なことだよ。きっと貴方は職場でも外見上の寡黙さとは裏腹のその“頑固さ”故に生き残れ、自分の居場所を築けているのかとも想像する。 ただね…… 予約担当かつ旅のスポンサーの私の身にもなって欲しいし、やはり不要な時間的・金銭的損失は避けたい。」
このサリバンからの嘆願にも関わらず、娘は頑なに口を閉ざしたままだ。
そこで私が提案して、「じゃあ条件を設定しよう。 明日予約変更を申し込むが、もしも多額のキャンセル料が発生したり、変更手続きのために私が大変な苦労をせねばならないならば、原案通りの旅程実行としよう!」 (参考だが、昨夏の米国旅行の際にも現地オプショナルツアー参加に際し、英語にて現地へ条件確認をする等々の“実力以上”の負荷が私にかかったものだ… )
納得出来ていない娘の様子だが、もう夜も遅いためもの別れのまま寝る事とした。
さて昨日の午前中、私はこの「予約変更」作業に取り掛かった。
今回の申込み旅行会社は外国を拠点としている企業であり、もしかしたら現地語での対応が必要か??と心配していたところ、日本語での対応がなされた事に安堵した。
昨日は昼間外出したため、帰宅後夜になってその回答を確認したところ。
案の定、航空券キャンセルのみで国内旅行1回分程のキャンセル料が発生することが判明した。加えてホテルに関してはキャンセルが困難との事、要するにホテルに掛かる費用は返金不能、とのことだろう。
ここは是非とも、原案にて旅行を挙行するべきと判断した私は。
昨夜その旨を冷静に我が娘に伝えると共に、ウィーン楽友協会大ホールコンサートの代替案としてウィーン国立オペラ劇場でのコンサートを提案した。
頑固者の娘も私の苦労は察したようで、それに納得(妥協というべきか?)してくれ一件落着した。
と言う訳で、一昨日公開したウィーン旅行に伴う“各種バウチャー類”はそのまま生きることと相成った。
さて、それ程までに我が“頑固娘”がオーケストラコンサートを見たかった“ウィーン楽友協会”に関する情報の一部を、ウィキペディアより引用しておこう。(我々自身の旅情報収集が第一目的ですので悪しからず。)
1997/08/04-2008/03/18
ウィーン楽友協会(Musikverein/ムジークフェライン) 正式名は:GESELLSHAFT DER MUSIKFREUNDE IN WIEN
楽友協会の言葉は2つの意味合いで使われる。長い伝統を持つウィーンの音楽家達の協会の名称。 世界最高という揺るぎ無い肩書きを持つ演奏会場。
楽友協会内のホールは2つのホールが主で、両ホール共に内部に金箔が一面に張られている。
大ホールは一般には「黄金のホール」とも呼ばれる。 ウィーンフィルの本拠地としてニューイヤーコンサートが開かれるのはここ。
ブラームスホール(小ホール) 室内楽用の小ホールは、楽友協会理事だったブラームス(1897没)の胸像が置かれ、彼に捧げられたことから小ホールではなく「ブラームスホール」と呼んでる。
楽友協会ホールへの移動と座席への移動
◆移動公共機関の最寄り駅は、地下鉄U1、U2、U4号線カールスプラッツ/ Karls Platz 駅、路面電車と路線バスならオペラ座/StaaatsOperなど。
◆入場は、建物内部でそれぞれのホールに登る階段が分かれている。 階段登り口でチケットを係員に見せてから階段を登る。
楽友協会の歴史
ウィーンに楽友達の協会ができたのは1812年。 1812年というとハイドンが没した3年後、ベートーベンが没する15年前、シューベルトが没する16年前。 そのころは、まだナポレオンがヨーロッパ中を走り回り、ハプスブルクのマリー・ルイゼと結婚した2年後。
当時のウィーンにはまだ環状道路は無く、中世時代からの直径1キロ程度の環状城壁が残った。 ナポレオン戦争後に無用の長物となってしまった城壁上には樹木が茂り、多くの人々が散歩したことからカフェーハウスもあった。 音楽家達は市民階層の勃興によって中世時代からの宗教の足かせや、ルネサンス・バロック時代からの王侯貴族パトロンから解放され、多くの市民!を相手に自立するようになった。 コンサートを開き、楽譜を売り出し、フリーの音楽家として生活を始めようという頃だ。
ホール内部は、音響上一番有利とされる木造に、金箔の輝かしい響きが加えられた。 さらに、床を2重構造にすることにより共鳴箱としての機能を加え、宙づりの天井は響きへの共振を考えて作られたものでした。幸運なことに、楽友協会完成直後にすぐ横を流れるウィーン川に蓋がされ、その大きな坑道が巨大な共鳴空として機能するようになった。
ウィーンフィルのチケット入手
ウィーンフィルの定期演奏会は、もちろん「黄金のホール」において行われるが、会員が先祖代々の会員席を手放さず、売り切れのまま。 そのため、もしもウィーンでウィーンフィルの演奏を聴きたいという場合は、キャンセルされて再販売されるチケットの手配を急ぐ必用がある。
ウィーンに来た方には、是非とも黄金のホールで最高の西洋音楽に触れていただきたいと願うが、世界中から文面予約が可能になってからは、有名な演奏家が演奏する場合にはチケットはほとんど手に入らない状況。
下手に四角四面のコンサートに行っても、演奏がはじまったが最後1時間半ずっと休み無く演奏が続き、時差も手伝って眠いばかりで楽しめなかったという話もよく聞く。 普段からよほどコンサートに通いつめていなければ、かえって気軽なコンサートの方が楽しめるかもしれない。 ご一考あれ。
(以上、ウィキペディアより「ウィーン楽友協会」に関する情報の一部を引用したもの。)
私事及び私論でまとめるが。
本日昼間、“ウィーン夏旅行”にはいつもの事ながら不参加の我が亭主が。
「ウィーンへ行ったとて、ウィーンフィルの演奏が聴けるの?」と私相手に(自分は行かない事の“負け惜しみ”とも想像出来る)“無茶ぶり”をしてくるではないか!
私応えて「そんな大それたものが聴ける訳も無いでしょ! ウィーンとしても観光客相手目的の“余興”を披露せんとしている事ぐらい十分承知の上よ。 要するに我々の旅行はウィーン感覚を楽しみたいとの目的だけど、それにしても日本国内の一般的に名の知れたオーケストラよりはずっと素晴らしいんじゃないのかなあ? それよりも何よりも、今回我々が訪れる予定の“ウィーン国立オペラ劇場”だって19世紀に建てられた歴史的建造物よ。 この歌劇場の一席に座れるだけでも行く価値はあると私は思っているよ。」
いや確かに、ナポレオン時代に“楽友の友会”が発足したという歴史は素晴らしいし、ハイドン・ベートーヴェン・シューベルト、そしてブラームスとの輝かしきクラシックの歴史を紡いできた“ウィーン楽友協会”業績の程こそがさすが音楽の都・ウィーンと表現するべく大いなる価値があろう。
最後に“頑固者”の我が娘よ!
そうだとせよ、必ずや冒頭写真右の19世紀歴史的建造物である「ウィーン国立オペラ劇場」へ貴方を誘ってオーケストラコンサートを共に観賞する予定ゆえに、このサリバンの“大ミス”をどうか許しておくれ!
旅にはトラブルがつきものだが、何と7月の出発まで3ヶ月も前の予約段階よりトラブルに見舞われている。
そのトラブルとは、予約担当の私の大ミスなのだが。
今回の娘と二人の「ウィーン個人旅行」の第一目的は、ウィーン楽友協会大ホールにてオーケストラコンサートを観賞することにあった。
ところが私のポカミスにより、楽友協会の休館日チェックを忘れていたのだ。
一昨日旅のバウチャーが届いた後に、その休館日を確認してみると。 な、な、何と! 予約した日程のすべての旅程日が「休館」となっているではないか!?! しかも不運な事に、これだけ長い休館は1年中でその時期のみだ。 こんなとてつもない“外れくじ”を引き当てるのも稀な確率ではなかろうか?? せめて滞在中に1日だけでも開館していれば行けたのに……
その事実を、一昨日夜に仕事から帰宅した娘に告げたところ。
やはり、「是非とも楽友協会ホールにてコンサートを見たい。」との意向だ。
これに応えて、「個人旅行の予約とは煩雑な作業だし、これを一旦キャンセルして新たな日程に変更したとてキャンセル料が発生したり手間がかかるし、いろいろと損失が大きい。 ここは楽友協会ホールは“見学”のみにしよう。 ウィーンは数々の著名なコンサートホールがあるから、そこでオーケストラコンサートを観賞しようよ。」 との私の説得も虚しく…
「どうしても、楽友協会ホールで見る!!」との娘の宣言だ。
(この子、こんなに頑固な子だったかなあ。 そう言えば、思い当たるふしは幾らでもある。 一見おとなしく自己感情表出が苦手な娘だが、こうと決めたら譲らない一貫した意思がある子だ。 その心意気は尊重してやりたいが…。)と思いつつ……
「貴方の気持ちは分かった。 自分の意思を貫き通すのは立派なことだよ。きっと貴方は職場でも外見上の寡黙さとは裏腹のその“頑固さ”故に生き残れ、自分の居場所を築けているのかとも想像する。 ただね…… 予約担当かつ旅のスポンサーの私の身にもなって欲しいし、やはり不要な時間的・金銭的損失は避けたい。」
このサリバンからの嘆願にも関わらず、娘は頑なに口を閉ざしたままだ。
そこで私が提案して、「じゃあ条件を設定しよう。 明日予約変更を申し込むが、もしも多額のキャンセル料が発生したり、変更手続きのために私が大変な苦労をせねばならないならば、原案通りの旅程実行としよう!」 (参考だが、昨夏の米国旅行の際にも現地オプショナルツアー参加に際し、英語にて現地へ条件確認をする等々の“実力以上”の負荷が私にかかったものだ… )
納得出来ていない娘の様子だが、もう夜も遅いためもの別れのまま寝る事とした。
さて昨日の午前中、私はこの「予約変更」作業に取り掛かった。
今回の申込み旅行会社は外国を拠点としている企業であり、もしかしたら現地語での対応が必要か??と心配していたところ、日本語での対応がなされた事に安堵した。
昨日は昼間外出したため、帰宅後夜になってその回答を確認したところ。
案の定、航空券キャンセルのみで国内旅行1回分程のキャンセル料が発生することが判明した。加えてホテルに関してはキャンセルが困難との事、要するにホテルに掛かる費用は返金不能、とのことだろう。
ここは是非とも、原案にて旅行を挙行するべきと判断した私は。
昨夜その旨を冷静に我が娘に伝えると共に、ウィーン楽友協会大ホールコンサートの代替案としてウィーン国立オペラ劇場でのコンサートを提案した。
頑固者の娘も私の苦労は察したようで、それに納得(妥協というべきか?)してくれ一件落着した。
と言う訳で、一昨日公開したウィーン旅行に伴う“各種バウチャー類”はそのまま生きることと相成った。
さて、それ程までに我が“頑固娘”がオーケストラコンサートを見たかった“ウィーン楽友協会”に関する情報の一部を、ウィキペディアより引用しておこう。(我々自身の旅情報収集が第一目的ですので悪しからず。)
1997/08/04-2008/03/18
ウィーン楽友協会(Musikverein/ムジークフェライン) 正式名は:GESELLSHAFT DER MUSIKFREUNDE IN WIEN
楽友協会の言葉は2つの意味合いで使われる。長い伝統を持つウィーンの音楽家達の協会の名称。 世界最高という揺るぎ無い肩書きを持つ演奏会場。
楽友協会内のホールは2つのホールが主で、両ホール共に内部に金箔が一面に張られている。
大ホールは一般には「黄金のホール」とも呼ばれる。 ウィーンフィルの本拠地としてニューイヤーコンサートが開かれるのはここ。
ブラームスホール(小ホール) 室内楽用の小ホールは、楽友協会理事だったブラームス(1897没)の胸像が置かれ、彼に捧げられたことから小ホールではなく「ブラームスホール」と呼んでる。
楽友協会ホールへの移動と座席への移動
◆移動公共機関の最寄り駅は、地下鉄U1、U2、U4号線カールスプラッツ/ Karls Platz 駅、路面電車と路線バスならオペラ座/StaaatsOperなど。
◆入場は、建物内部でそれぞれのホールに登る階段が分かれている。 階段登り口でチケットを係員に見せてから階段を登る。
楽友協会の歴史
ウィーンに楽友達の協会ができたのは1812年。 1812年というとハイドンが没した3年後、ベートーベンが没する15年前、シューベルトが没する16年前。 そのころは、まだナポレオンがヨーロッパ中を走り回り、ハプスブルクのマリー・ルイゼと結婚した2年後。
当時のウィーンにはまだ環状道路は無く、中世時代からの直径1キロ程度の環状城壁が残った。 ナポレオン戦争後に無用の長物となってしまった城壁上には樹木が茂り、多くの人々が散歩したことからカフェーハウスもあった。 音楽家達は市民階層の勃興によって中世時代からの宗教の足かせや、ルネサンス・バロック時代からの王侯貴族パトロンから解放され、多くの市民!を相手に自立するようになった。 コンサートを開き、楽譜を売り出し、フリーの音楽家として生活を始めようという頃だ。
ホール内部は、音響上一番有利とされる木造に、金箔の輝かしい響きが加えられた。 さらに、床を2重構造にすることにより共鳴箱としての機能を加え、宙づりの天井は響きへの共振を考えて作られたものでした。幸運なことに、楽友協会完成直後にすぐ横を流れるウィーン川に蓋がされ、その大きな坑道が巨大な共鳴空として機能するようになった。
ウィーンフィルのチケット入手
ウィーンフィルの定期演奏会は、もちろん「黄金のホール」において行われるが、会員が先祖代々の会員席を手放さず、売り切れのまま。 そのため、もしもウィーンでウィーンフィルの演奏を聴きたいという場合は、キャンセルされて再販売されるチケットの手配を急ぐ必用がある。
ウィーンに来た方には、是非とも黄金のホールで最高の西洋音楽に触れていただきたいと願うが、世界中から文面予約が可能になってからは、有名な演奏家が演奏する場合にはチケットはほとんど手に入らない状況。
下手に四角四面のコンサートに行っても、演奏がはじまったが最後1時間半ずっと休み無く演奏が続き、時差も手伝って眠いばかりで楽しめなかったという話もよく聞く。 普段からよほどコンサートに通いつめていなければ、かえって気軽なコンサートの方が楽しめるかもしれない。 ご一考あれ。
(以上、ウィキペディアより「ウィーン楽友協会」に関する情報の一部を引用したもの。)
私事及び私論でまとめるが。
本日昼間、“ウィーン夏旅行”にはいつもの事ながら不参加の我が亭主が。
「ウィーンへ行ったとて、ウィーンフィルの演奏が聴けるの?」と私相手に(自分は行かない事の“負け惜しみ”とも想像出来る)“無茶ぶり”をしてくるではないか!
私応えて「そんな大それたものが聴ける訳も無いでしょ! ウィーンとしても観光客相手目的の“余興”を披露せんとしている事ぐらい十分承知の上よ。 要するに我々の旅行はウィーン感覚を楽しみたいとの目的だけど、それにしても日本国内の一般的に名の知れたオーケストラよりはずっと素晴らしいんじゃないのかなあ? それよりも何よりも、今回我々が訪れる予定の“ウィーン国立オペラ劇場”だって19世紀に建てられた歴史的建造物よ。 この歌劇場の一席に座れるだけでも行く価値はあると私は思っているよ。」
いや確かに、ナポレオン時代に“楽友の友会”が発足したという歴史は素晴らしいし、ハイドン・ベートーヴェン・シューベルト、そしてブラームスとの輝かしきクラシックの歴史を紡いできた“ウィーン楽友協会”業績の程こそがさすが音楽の都・ウィーンと表現するべく大いなる価値があろう。
最後に“頑固者”の我が娘よ!
そうだとせよ、必ずや冒頭写真右の19世紀歴史的建造物である「ウィーン国立オペラ劇場」へ貴方を誘ってオーケストラコンサートを共に観賞する予定ゆえに、このサリバンの“大ミス”をどうか許しておくれ!