原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

貴方はこの「10連休」うれしいですか??

2019年04月27日 | 時事論評
 表題の問いに対する原左都子の解答から述べよう。

 端的に応えると、私は「うれしくない派」だ。


 そうしたところ、本日2019.04.27付 朝日新聞「be」“between”のテーマが「10連休、遠出しますか?」だったのだが、その記事の解答内でも「うれしくない派」が8割を超えているようだ。

 その「うれしくない」理由に関して、当該朝日新聞記事より以下に引用しよう。

 「労働者の4割が非正規雇用で、7人に1人が貧困層という今の日本で10連休を楽しめるのは恵まれた人達だけでは?」
 「10連休を享受できるのは、学生と、ほとんどの公務員と、半分くらいの企業人では? サービス業の人々は普段よりも激務だろう。 そんな連休を作っておいて、何が働き方改革なのか。」
 「連休→旅行→経済効果という考えはもう古臭いと政治家は思わないのか。」
 「休日が収入減に直結する非正規雇用者を殺す気か!」
 「10連休は迷惑以外の何物でもない。 休みを増やせば消費が増えると思うのは、食うに困らない政治家や役人の浅知恵だ」

 別視野からの「うれしくない」ご意見を続けるが。
 「新入生は学校に慣れた頃に10連休。 例年、連休明けに不登校が増えるのに、例年以上の休みが不安。」
 「医師だが、休みは5月1日だけ。結局、多くの病院が本来の歴通りに診療するようだ。」
 「本来は誰もが休みたい時に休めるのが本当の働き方改革だ。」
 「全員で一度に休む慣習を変え、各自が休暇をバラバラに長く取れるようにしないと、海外の人を呼び込めなくなる。」

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用紹介したもの。)


 一旦、原左都子の私見だが。

 「10連休がうれしくない」とおっしゃる朝日新聞読者皆さんのご意見の程、ごもっとも!である。
 私があえて付け加える必要がない程に、各分野より的確な「うれしくない」解答がなされている。


 そこで今回エッセイのまとめとして、本エッセイ集2010.05.06公開の「連休分散化政策より個人連休取得制度の充実を」と題するバックナンバーを、以下に要約引用させて頂く事としよう。

 盆暮れと5月の連休程、主婦にとって憂鬱な期間はない。(2010年当時は未だ亭主が現役勤め人だった。)
 昨日をもってやっとこさゴールデンウィークが終了し肩の荷が下り、本日久しぶりにある程度まとまった自分の時間が確保でき我に返ることが可能となった私である。
 とにかく、我が家の場合“混雑ほど鬱陶しいものはない”という観点では家族全員(とは言っても3人だが)の認識が一致しているため、よほどの差し迫った事情でもない限り連休中の“ビッグバカンス”は避けることにしている。  そうなると連休中は必然的に皆が家でうだうだと過ごす時間が多くなり、結果として「料理嫌いな女」(バックナンバーを参照下さい)として世に“名高い”原左都子にずっしりと“飯炊き女”等のストレスフルな負荷がかかる定めとなるのだ。
 先だってより「連休分散化」政策案が新政権より提出されているようだ。 既に観光庁は “春と秋に5連休を設け地域ごとに西から順に休む” などとする「連休分散化」政策に対する具体案を提示し、その実現に向けて9自治体で実証事業を始めているとの報道である。
 この案には、“休日を分散すれば混雑が減る → 観光しやすくなる → ワーク・ライフ・バランス や経済活性化につながる” なる論理的背景があるのだそうだが……
 「連休分散化」案自体に対しては、原左都子は賛成だ。 国土が狭く人口密度が高い日本で皆が一斉に連休をとれば、現在のごとくの道路の大渋滞を引き起こし観光地の混雑も招く。 それと平行して観光料金や航空便等各種交通、及び宿泊代金等の高騰をもたらす結果となる。
 ならば海外で連休を過ごそうと意図しようが結局発想は皆同じであるため空港は混雑するし、海外ツアー参加者がその時期のみに殺到しツアー料金は大いに高騰する。 たとえ個人旅行を欲しようとその波及を受けるはめとならざるを得ない現状である。
 観光庁の“地域ごとの連休分散案”はどうやらドイツに真似ているようである。 ドイツにおいてはこの“地域ごと分散案”が功を奏し、親子等の家族単位で長期休暇を安価で楽しめる時間が確保され、この案は成功を収めている様子である。
 ただ、未だに“集団志向”が根強い日本において“地域ごとの連休分散案”は如何に評価されるのであろうか?  上記朝日新聞のアンケート結果によると、親族や友人等の“団体のまとまり”を志向する日本人の場合、やはり “それらの人々の休みがばらばらになる” という理由が政府の「連休分散化」政策案反対意見の圧倒的多数を占める結果となっているようだ。
 そんな中、私論とほぼ同様の観点からの意見も朝日新聞記事内に掲載されている。
 「連休分散より有給休暇取得の促進が先」 「どんな職業の人でも休める体制を作らないと…」  これらの見解は私論に近いのだが、どこの職場においても自由に有給休暇が取れるシステム作りが政治主導による「連休分散化」に先行して欲しい思いだ。
 ところが、これが至って困難なことは私ももちろん認識できている。
 労働者の有給休暇を確保しようなどという議論は、現実社会においては一部の“恵まれた”労働者間でしか成り立たない議論であるのかもしれない。 この問題の根源を直視すると、少なからずの国民が現在就職にあえいでいる実態なのだ。
 5月の連休が終わり皆が職場に戻った今、職を欲してありつけない人々の重苦しい心情を察するに、政府が提案している「連休分散化」案には“砂上の楼閣”感が漂う気もする…。 「連休分散化」政策案を顕在化させるためには、そもそも労働者の雇用問題を早急に解決するべくこの国の経済情勢を立て直す事が先決問題であろう。
 加えて、本エッセイ上部に既述のごとく、この国の国民の今に至って尚根強い“集団帰属志向”を政府はもっと認識するべきであろう。 「連休分散化」案作成に当たっては、国民の慣習や思考的特性を最大限考慮せずして改革など出来るはずはないであろう。
 それはそうとして、昔から“集団帰属”よりも“個人行動”を志向しつつ生きている原左都子としては、今回の記事の表題に掲げた通り、個々人が欲する時期に自由に休暇が取れるような「個人連休取得制度」の確立による「連休分散化」の充実を望んでいるのだが…
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を再掲載したもの。)


 上記エッセイを公開して後9年の年月が経過した2019年の今、(あくまでも朝日新聞記事によれば)我が連休に関する思考と同類の読者が増殖している事実に、実に安堵させられる。

 その反面、本日のテレビニュース報道によれば、相も変わらず高速道路は大渋滞、国際空港では旅行者がごった返している始末……
 国家政権が定めた連休にしかバカンスを楽しめない国民の多さに改めて辟易とさせられるが、職場の休みがその時でなければ取得不能なこの国の慣習下においては、やむを得ない光景でもあるのだろう。

 片や、今回の10連休になど何らの恩恵にも与れなかったり、はたまた収入が減少する等々の切実な被害が発生する非正規雇用の皆様の嘆きの声を、しかと受けとめたいものだ。