原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

娘のサリバンとして生きた我が平成時代

2019年04月30日 | 人間関係
 10連休2日目の一昨日の事だ。

 某金融機関より娘宛に電話が入った。
 娘は在宅しているか? と問うため、(どうせ営業目的と予想して)「在宅していますが未だ就寝中です。 午後になりましたら起きて来ますので午後にもう一度電話を頂けませんか?」と応える私。
 相手がすかさず、「平日はご自宅にいらっしゃいますか? とにかく今一度娘さん宛にお電話させて頂きたいのですが…」と言うのに対し、再び私が応えて「平日は仕事に出ていますが、土日はお休みです。この10連休も休みですが、先程申しました通り休日の午前中は必ず寝ておりますので悪しからず…」

 この某金融機関営業マンの魂胆を娘のサリバン母である私はお見通しだ。

 娘が子供の頃に親族から貰った「お年玉」「誕生日祝い」「入学卒業祝い」等々のお祝い金を、私が娘名義の貯金通帳を作りそれに貯め込んだのを、娘成人の暁に「今後は自分自身でしっかり管理するように」と指導し娘に手渡したのだ。
 (その総額たるや、おそらく皆様の想像をはるかに超える金額なのだが…??) 
 サリバン指導に従順・素直な我が娘は、20歳を過ぎてもそれを決して浪費することなく、実にしっかりと保管している。 (加えて、新卒就職後は別通帳を給与振込口座として、その通帳も堅実に管理している様子だ。)

 私がため込んだ娘の通帳金額の一部がこの5月に10年満期を迎えるに当たり、既に冬頃から金融機関より満期後の扱いに関して娘宛に幾度も郵送にて通知が届いていた。

 そうしたところ、どうやら娘に専属の営業マンが付いたようだ。 
 営業マンの意図はお見通しだ。 「どうか引き続きその満期金を我が金融機関に預け入れ下さいますように」である事は明白だが、とにかく娘を信じ、今後の対応を娘に任せることにした。



 前置きが長くなったが。
 本日で、30年少し続いた「平成」時代が終焉する。

 この「平成時代」を私なりに振り返るに。
 まさに「娘のサリバンとして精力的に生きた時代」であったと総括出来そうだ。

 何分主体的に長き独身を貫き、“華の独身貴族時代”を謳歌してきた私だ。
 縁があって見合い結婚にて婚姻に至ったものの、亭主共々「子供はいてもいなくてもどちらでもいいね、もしも授かったら産もう」程度に軽く捉えていた身勝手な我々親どもだ。

 ところが天はそんな我々に、婚姻後すぐさま実に可愛い女の子を授けてくれた。
 その可愛い娘がその後の我が人生を180度転換する結末になるとは、妊娠中も予想だにしていなかった…
 
 我が高齢妊娠中の勤務先が新居から(片道2時間半!)と遠方だったことが一番の理由で、私は娘が生まれる1ヶ月半程前に出産退職した。 ただその時の我が脳裏には、当然ながら出産後は近いうちに職場復帰しようとの考えがあったものだ。(実際、娘が6歳時に一旦基礎医学分野へ職場復帰した。)


 当エッセイ集バックナンバーにて何度も取り上げているが、娘の出産が超難産であったが故に、その後の私には娘のサリバンとして生きる道筋が決定してようなものだ。

 そのバックナンバーのひとつである2008.08.02公開の「医師の過失責任」と題するエッセイを以下に要約引用させていただこう。

 私のお産も壮絶だった。
 高齢出産に加えて逆子だったため元々帝王切開の予定だったが、手術予定日より2週間も早く産気付いてしまった。 しかも運が悪い事にその日がたまたま祝日で通っていた産院が休診日のため、主治医の電話での指示でひとりで自宅待機することになった。 ところが主治医の判断より早い時間に自宅で破水してしまったのだ。 既に体が硬直して動けない私は、それでも余力を振り絞り産院へ向かった。
 私と胎児を診察した主治医は直ぐに救急車を手配し、私は大きな病院へ搬送され緊急手術となった。 もう自分の命はないものと覚悟を決め、生まれてくる赤ん坊の無事を祈った。手術室は始終緊迫状態だった。赤ちゃんが私のお腹から引っ張り出される時に、お腹が陰圧になってペッちゃんこになるのを実感した。その後、お腹が一針一針縫われるのもすべて手に取るようにわかった。
 緊急手術が終了し、私は憔悴し切っているもののまだ生き長らえていた。
 命が危ういのは私ではなく、赤ん坊の方だったのだ。
 娘は息をせずに産まれてきた。すなわち仮死状態での誕生だった。 手術室が緊迫していたのは、娘が生死の境目をさまよっていたためである。
 娘のその後に関してはプライバシー保護観点より詳細の記述は避けるが、医学的、教育学的ケアとサポートをしつつ親子で二人三脚で歩み続けている。 生命力の強い子のようで2008年現在元気に生きていることに関しては、当ブログのバックナンバーで時々姿を見せている通りである。
 この出産に関し、私は医師や病院の過失責任を問う事を検討したことがある。 産気づいた日の主治医の自宅待機の判断は正しかったのか、帝王切開手術日の日程の設定が遅すぎたのではないか、また、緊急手術は適切に行なわれたのか。 等々、医師や病院に対する不信感は拭い去れず、子どもの将来に対する不安感と共にやるせなく重い気持ちを私は脳裏に引きずっていた。
 だが専門家よりのアドバイスもあり、医師や病院の過失責任を問う事は断念した。そんなことでエネルギーを消耗し疲れ果てたところで、娘が仮死状態で生まれてきたという事実はどうしても消し去ることはできない。 私が母として親としてエネルギーを注ぐべきなのは、今後この子と共に歩んでいくことである。
 そして私はきっぱりと気持ちを切り替え、子どものケア、サポートに専念し今日に至っている。 幸い、私には医学と教育、両方の職業経験があるため、それらの知識を十分に活かしつつ日頃子どものケア、サポートに当たっている。 これが功を奏しているのか、子どもは中学生になっている今、予想をはるかに上回る成長を遂げてくれている。
 (以上、2008年公開のバックナンバーより引用したもの。)


 平成最後のこの日に、娘のサリバンである我が心境を語らせていただこう。

 もしも我が娘が出産時のトラブル無くしてこの世に生誕していたならば……

 いやいや、もうこの話はやめるべきだろう。

 娘は十二分に立派に成長している。
 金融機関の担当者が付く程に自己管理力にて金力を増強している事実こそが素晴らしい! この子は将来的に高齢親亡き後にも“食いっぱぐれ”無くして生命を保てることと期待できそうだ。

 おそらく神は、我が長き独身時代にあまりにも自由奔放に生きる我が姿を天から見ていたものとも想像する。
 こいつには少しノルマを与えよう、との目的で、私にこの娘を授けてくれたのではなかろうか??

 娘のサリバンとして日々全力で闘う我が平成時代の道程を、必ずや天は見てくれていたと信じたい。


 明日から始まる新たな元号の時代に幸あれ!!