原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

何故、可愛い我が子に“奨学金”との借金を背負わせる?

2019年01月08日 | 教育・学校
 本日2019.01.08 昼のNHKニュースによると、東京都千代田区が保育士と介護職員の奨学金返済を支援する制度を設けたようだ。


 早速、以下に当該ニュースに関するネット情報を引用しよう。

 保育士と介護職員の確保を進めるため、東京 千代田区は、区内の施設で働く人たちの奨学金の返済を支援する独自の制度を設けることになった。 千代田区が設ける新たな制度は、区内で常勤で働く保育士と介護職員を対象に、大学や専門学校などに通う間に受けた奨学金の返済を助成するというもの。
 千代田区が区内の事業者に聞き取りを行ったところ、保育士・介護職員とも、奨学金の返済が長期にわたって負担になっているという声が多かったようだ。 このため千代田区は、最大で10年間、合わせて240万円を限度に返済の助成金として支給することで、保育士と介護職員の確保を進めるとともに、離職を防ぎたいとしている。 東京23区で保育士と介護職員の双方を対象とするのは初めて。
 千代田区は「人材確保を進めることで、保育や介護のサービスの向上につなげたい」としている。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 一旦、私見に入ろう。

 本エッセイ集にても再三“子供の学費”に関する私論を公開しているが、私は断固として「子供の学費は親こそが負担するべき!」と主張する派だ!
 その私見に関して綴ったエッセイバックナンバーが何本か存在するが、そのうち、(その私論そのままの表題だが)2012.04.05バックナンバー「子どもの学費は親の責任に於いて負担するべき!」の一部を以下に再掲載させていただこう。

 「原左都子エッセイ集」2009年7月のバックナンバーに於いて、「高校無償化公約は安直過ぎる」 と題する記事を公開している。
 当時、民主党に政権交代する直前に選挙の“票取り目当て”で党が打ち出した「高校無償化」公約に大いに反発した私は、それを厳しくバッシングした。
 民主党は本気でそのような公約を打ち出しているのか? その財源確保案に国民公平性はあるのか?  そもそも高校無償化の前提として、現行の学校教育体系における“高校の義務教育化”の議論こそが優先されるべきではないのか?
 どうやら、政治にも“流行(はや)り”があるようだ。 政府やマスメディアが“少子化、少子化”と騒ぎ立て、それがこの世の“元凶”であるかのごとくの社会風潮が捏造されてしまうと、「子育て支援」する振りをして国民にお金をバラまきさえすれば国民の人気が取れると民主党は考えるに至るのであろう。 
 いくら何でもこの公約は保護者を甘やかし過ぎであるし、“付け焼刃”的政策としか言えないお粗末さである。  現在高校進学率が98%に達しているとは言え、現行の学校教育法の下で高校とは義務教育ではない。 現在不況が深刻になり高校生の子どもの授業料が支払えない保護者が激増しているとはいえ、“お金を配る”という至って安直な政策では「子育て支援」を果たし得ないことは明白だ。 それよりも今民主党が優先するべきなのは、経済情勢の如何にかかわらず、可愛い我が子にたかだが年12万円(公立高校の1年間の学費相当額であるが)の高校の授業料を3年間支払ってやれない保護者を量産している、行政の“醜態の現状”こそを見直すことではないのか。  経済構造や雇用体制の見直し、また現行の教育制度改革による“国民が将来に渡って生きる力や自分が産んだ子どもを育てていける力のある”国民の生活基本力の育成等、次期政権を獲るべく目論んでいる政党が優先するべき課題は盛り沢山ではないのか。 “金のバラ撒き”などという、貧困にあえぐ国民をせせら笑うかのごとくの安直な公約ではなく、長期展望に立った成熟した政策を実行して欲しいものである。 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより要約引用)
 別のバックナンバーに於いても子どもの学費に関する見解を幾度か述べているが、私論としては子どもの学費とは親が支払って当然と考えるのだ。
 どういう訳かこの国の親どもの中には、自分の愛車を購入・維持する費用や携帯電話(現在はスマートフォンであろうか)を家族皆が持つ事こそが、子どもの教育費や義務教育過程の給食費を支払う事よりも重要との位置付けの人種が数多く存在するようだ。
 親とは決してそうではなく、愛車を売り払ってでも携帯電話を解約する等自分自身を多少犠牲にしてでも、可愛い我が子の教育費支出を最優先するべきではないのか! (との内容の記事を既に何度か公開している。)
 今回の我がエッセイに於いては、大学生の学費に関して私論を述べさせていただく事を主眼としている。
 私事になるが我が娘が今春入学した大学に於いても、なんと!4割にも上る学生が学費を各種「奨学金」に頼る現実との大学からの説明であった。 その「奨学金」を将来返済するのは卒業した学生本人であるらしい。 すなわち“出世払い”とでも表現できよう。
 この現象とは好意に解釈するならば、学問意欲や将来の就職の安定を我が身の事として自覚できている自立心旺盛な学生達が、親の経済力などに頼らず奨学金を利用してでもその道を極めたいとの“美談”と解釈できるのかもしれない。
 この現象を大学経営者である法人側から考察するならば、学校法人経営維持発展のため入学生に「奨学金」に依存させてでも定員以上の学生数を揃えたいとの、(特に私立)大学側の差し迫った事情もあろうか?
 ところがもっと厳しい現実問題として、この奨学金の返済滞納者が増えている実態でもあるようだ。
 日本学生支援機構に於いては、現在1万人を超える滞納者登録があるとのことだ。 その滞納が9ヶ月以上に及ぶと、奨学金返済を求めて裁判所に督促を申し立てられる運命となるようだ。 
 そのような厳しい「奨学金」制度の現実を招いている諸悪の根源とは、現在の「奨学金」とは名目のみで、その実態は「教育ローン」に他ならない程の高金利を課せられる事実との報道も見聞している。
 この現状では、現行の「奨学金」とはもはや「奨学金」とは呼称できない事実であろう。 子どもの学費を「奨学金」に依存し、その返済を子どもの“出世払い”に頼る親達とは、そんな厳しいこの世の現実を理解した上でそうしているのであろうか?? ( 中略 )
 最後に原左都子の私論に入ろう。
 可愛い我が子を大学へ入学させたい等々、子ども達に出来得る限りの高等教育を身につけさせたい親の思いは我が身を通じて重々理解申し上げる。 そうした場合、親の役割としてはまずその「学費」こそを確保することからスタートするのが常識なのではなかろうか?
 もちろん子ども達の個性はそれぞれであろう。 自立心旺盛に育った子どもの場合「奨学金」を頼ってでも大学へ入学して学問を探究したい!と親に訴えることでもあろう。 そんな健気な我が子に親が甘えて済む話なのだろうか? 
 少なくとも、現在の各種「奨学金」制度が於かれている厳しい現実を親の立場として認識する事から始めるべきだ。 現在の親の経済力の範囲内でその奨学金の返済が将来ままならない状況下を想定できたにもかかわらず、子どもの“出世払い”で大学へ入学させたとすれば、それは一種の“子ども虐待”と私は結論付ける。
 我が娘が今春入学した私立大学の学費とは、(正直言って)容易い金額ではない。 我が家においては、その4年間の学費総額を計画的に蓄積した後に可愛い娘を入学させている。
 この厳しい経済情勢の中、我が娘と同じ大学に入学した学生の4割が“出世払い”の「奨学金」に頼っている現実である。 もしかしてそれら学生達が近い将来就職難にあえがないとは限らない。 その場合、この国の「奨学金」制度とは親の責任を二の次に位置付け、現役学生達に更なる厳しい道程を歩ませるべく魂胆の上に成り立っている“弱者虐待ローン制度”との結論となろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)


 最後に、私論を述べよう。

 冒頭に紹介した東京都千代田区の場合、奨学金返済援助職種を “保育士と介護職員” に限定しているようだ。
 これらは区側にとって必須職種であろうし、しかも厳しい労働条件下の現場で働く職員を支援せんとの意思は尊重したい。
 ただその内容を読むと、その援助金額が10年間限度で総額がたったの240万円とのこと。 単純計算すると年間24万円、月額2万円の援助だ。
 この少額の学費を、どうして親が可愛い子供に出資してやれなかったんだ?!?  しかもこの種の親程、可愛い我が子の働き・稼ぎに自身の生活や老後を依存せんとしている軟弱さ・愚かさであることが想像出来てしまい、実にやるせなくもある…。 
 更にはこの類の親ほど、(上述のごとく)自分の愛車を購入・維持する費用やスマホを家族皆が持つ事こそが、子どもの教育費や義務教育過程の給食費を支払う事よりも重要との位置付けなのだろう。

 保育士や介護士になった子どもの立場からの、奨学金援助に対する問題点もある。
 この恩恵があるお陰で、退職したくともそれを不能とする圧力が区側からかかる事態が懸念される。 未だ若き世代にして、その後の職業選択の自由度が制限されそうだ。
 

 世の子供を持つ親達よ。

 真に我が子が可愛いならば、その子の学費負担は“最低限”親の経済力で成すべきだ!
 その手段とは世の貧富の格差にかかわらず幾らでもあるはずと、私は推測・期待する。

 もしも自身の子が優秀(優秀のレベルも様々だろうが)ならば、その子の優秀さに依存してもよいだろう。
 (参考には一切ならない事例だろうが、我が二度めの大学・大学院6年間の学費すべてを私自身がそれまでに単独で備蓄した医学関連部門での収入や、勤労学生としての労働力にて賄って余りあった。)

 とにもかくにも自分が産んだ可愛い子供の教育費くらいは、親の責任として負担して当然!、と私は今後一生に渡り主張していきたい!!