原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「会社法改正」、 法が法としての機能を果たすには…

2019年01月27日 | 時事論評
 前回の本エッセイ集に於いて、私は「商法」に関する学説研究記事を公開した。

 実にタイムリーに、本日2019.01.27付朝日新聞「社説」が「会社法改正」に関する内容だった。


 早速、「会社法改正 『外の目』を生かすには」と題する当該社説を以下に要約引用しよう。

 法制審議会の部会が先日、会社法の開設要綱案をまとめた。 来月にも法相に答申される。
 上場企業や非上場企業でも、一定規模以上の大企業に社外取締役を置くのを義務付けることが主柱となっている。 義務化は5年前の改正時にも課題にあがったが見送られ、改めて検討された昨年2月の部会中間試案でも両案併記にとどまっていた。
 経済界の一部の反対を受けたものだが、取締役会内部にあって独立した立場で経営をチェックする存在は欠かせない。 東証上場企業の大部分は既に採用しており、さらに進んで今や「2人以上」が標準になっている。 「義務」に踏み込んだ今回の要綱案は妥当で、むしろ遅すぎたと言うべきだ。
 一方で、相次ぐ企業不祥事は社外取締役をただ置けばよいのではなく、有効に機能する態勢をどう築くかを真剣に考える必要性を示している。
 ゴーン前会長の摘発で揺れる日産の場合、17年まで社外取締役は1人だけで、しかもゴーン氏が会長兼最高経営責任者の仏ルノー出身だった。 また複数社外取締役がいても、不正会計を見ぬけなかった東芝などの例もある。 
 「生え抜き」とは異なる視点から直言できる人材を迎え入れる。 十分な情報を提供し、適切な判断を下せる環境を作る。 そんな取り組みが欠かせない。 
 とはいえ、経営監視の役割を果たせる知識と経験を備えた人材は決して多くないのが現状だ。 担い手をどう育てていくか。 法制度とは別に社会全体に課せられた大きな宿題といえよう。
 要綱案はまた日産事件で注目された役員報酬についても、報酬の概要や基本的な考え方を取締役会で決め株主らにより詳しく説明させるなど、透明化を図る方策を打ち出した。 日産では権限がゴーン前会長に集中し、報酬決定過程がブラックボックス化していた。 社外取締役を中心とする報酬委員会も設けられていなかった。
 東証は企業統治指針を昨年改め、この委員会の設置を明示的に求めるようになった。 金融庁もこの3月決算から役員報酬の決定方法を有価証券報告書で開示するよう義務付けた。
 ルールに形式的に従うのではなく、「外部の目」を主体的に生かして企業価値の向上につなげようという通底する趣旨をくみ取り実践する。 それが今、各企業に問われている。
 (以上、朝日新聞本日の「社説」より、要約引用したもの。)


 昨日公開した我がエッセイ 「“商法”の対象論 学説研究」内で、私は以下の記述をいている。

 現代(30年程前時点)の企業を鑑みた場合、利益の等質性、立場の相互交換性のような性質は既に失われており、従来の伝統的商法には企業の実態に合わなくなってきている。 商法典が基本ではあるが、独禁法、証取法等すべて含めて、新しい企業法として研究していく必要性がある。 新しい企業観に基づき企業の社会的責任を追及し、意思決定への市民の参加、情報の開示、また、集団企業の法規制、多国籍企業の法規制等も商法に加える必要がある。(以上、私が30年程前に大学の定期試験用に作成した講義ノート内記述を引用したもの。)
 ここで私見だが。
 あれから30年との年月が経過した現在、「商法」を取り巻く企業・経済社会環境が世界規模で大々的に移ろい行き目まぐるしい程の革新の一途を辿った。 その間に我が国でも「商法改正」が実施され、現在の「商法」の“あり方”議論も大幅に移ろいだ事であろう。
 (以上、前回エッセイより私見部分を引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 私が大学院にて法律(「商法」特に「会社法」中心だったが)を学び「経営法学修士」を取得した時代より30年近くの年月が経過し、企業を取り巻く経済社会実態が世界規模で大々的に移ろいだ今尚。 

 上記朝日新聞「社説」内に記されているように、未だ“法”と企業上層部現場での経営実態との間に大いなる齟齬があることに落胆させられる。

 例えば、我が国の巨大自動車企業の一つである“日産”に於いて、現在発生中のゴーン前会長摘発問題だが。 社外取締役ゴーン氏一人にそれ程までの絶大な権限を与えたきりそれに一任し、取締役会や監査役等々は一体如何なる経営思想に基づき行動した挙句、何故ゴーン氏独裁を放置したままにしておいたのか?! (実際現在まだ続くゴーン氏拘留措置に関しては、諸外国よりバッシングを受けている実態だが…)
 東芝の例とて驚かされる。 複数の社外取締役を配備しておきながら何らの不正会計を見ぬけなかった取締役会や監査役は、一体何をしていたのか?

 要するに外見のみは「法」に従ったとしてもその内部実態がずさんであれば、これら大企業の例のごとく、企業とは破綻の道を歩まないとも限らない運命下にあるのが実情だろう。


 我が国「日本」は成文法国家であるため、“法改正”を滅多やたらと実施したものならば法基盤が揺らぐ、と私は過去に於いて学んだ。
 それ故、法と現実の隙間を埋めるのが「法解釈論」であるとも学習した。

 それと今回のテーマとはまったく別問題である事は把握しているとしても‥。

 何故、これ程までに“法”と現実社会の実態が乖離しているんだ?!?  と、今回の「会社法改正」に関する朝日新聞社説を取り上げてみて、改めてゲンナリせざるを得ない私だ…… 

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