今のこの時期、ちょうど大学の後期試験が実施されている頃だろうか?
ここのところ、我がエッセイ集「左都子の市民講座」カテゴリーの閲覧が増えている。
この「左都子の市民講座」は、“経営法学修士”を取得している我が学術経験や、高校教師として「商業法規」の授業を担当した時の授業ノートを参照しつつ、「法学」関連項目を中心に素人にも分かりやすく解説した内容である。
近年綴った「左都子の市民講座」の中には、多少難易度を上げ、大学の定期試験にも対応できそうな話題も取り上げている。
例えば2017.06.02公開の「普通取引約款に関する学説研究」などは、まさに我が学生時代に定期試験対策用として自分で模範解答を作成した内容である。
本文内でも断っている通り、あくまでも30年程前の我が学生時代に記載したものであり、その後の法規改正等々時代の趨勢に対応出来得るものではなく、また学術的誤りも多々あろう事をご承知願った上で参照して頂ければ幸いなのだが。
それにしても、ここのところ「左都子の市民講座」カテゴリーへの閲覧がスタンダードに寄せられている事実に気を良くして。
本日の当エッセイ集に於いては、30年程前の我が「商法Ⅰ」大学講義ノートより、表題の「“商法”の対象」論に関して公開させていただこう。
「商法」とは何か。
これに付き形式的意義に於ける商法、すなわち、「商法」という名称で制定された法典であると答える方法と、実質的意義における商法、すなわち、法律の規制対象とされる生活関係の実質的内容に基づいて分類される商法、と答える方法がある。 問題となるのは後者である。
商法は、歴史的にまず商人法として生まれ発展した。 つまり商人という概念が先にあり、その商人の生活関係を規制対象とする法規制として商法が生まれた。 近代になり、商法はそれまでの商人法から商行為方へと転換した。 すなわち、誰であろうが商行為を行った時に生ずる生活関係を規制対象とされるようになる。 そうなると、一般市民の生活関係を規制する民法との規制対象との相違が問題となる。
商法の規制対象に関する学説論争は、商法に定められた商行為を所与の前提としてこれを検討することから始まった。
「媒介行為説」とは、“固有の商”すなわち、財貨交換の媒体行為に着目し、そこから製造業、加工業、補助商、さらに第三者の商へと拡大し、それらを商行為と捉え商法の対象とした。 この説は発生史的な関連を説明しているが、固有の商とその他の商との共通の原理が明らかにされておらず、支持を失ってきている。
「実証説」とは、商法典が商として定められているものが対象となると考えるものであるが、共通の原理を統一的に把握する事を断念しており、支持されていない。
「商的色彩説」とは、民法が規定している対象がもっている特色を把握し、その中で商的色彩を持つものが商法の対象となる、と考えるものである。 やはり共通の原理を把握する事は断念しているが、民法に対する商法の独自性を理論的に確立するという役割を果たし、また、商行為についての統一的な把握への方法論的きっかけを提示したという点で意義がある。
今日(30年程前時点)では、商法の対象を企業の生活関係として捉える「企業法説」が通説となっている。 すなわち、利潤追求の目的で投資するという経営の方法、方式により捉えるものである。 しかし、企業とは関係がないのに商法の対象とされているものもあり、これらは「企業法説」からすれば商法の対象から控除されるべきこととなる。 手形・小切手法は企業法に含まれるか否かの問題については、実務上、銀行と無関係に利用する事は稀であるため商法的であり含まれるとする。 独禁法については、自由競争における経済的秩序の維持が目的であり、商法とは経済に関する規制の仕方が異なるため含まれない、とするのが通説であるが、企業法の基本原理を定めているから商法に含まれる、とする説もある。
現代(30年程前時点)の企業を鑑みた場合、利益の等質性、立場の相互交換性のような性質は既に失われており、従来の伝統的商法には企業の実態に合わなくなってきている。 商法典が基本ではあるが、独禁法、証取法等すべて含めて、新しい企業法として研究していく必要性がある。 新しい企業観に基づき企業の社会的責任を追及し、意思決定への市民の参加、情報の開示、また、集団企業の法規制、多国籍企業の法規制等も商法に加える必要がある。
(以上、私が30年程前に大学の定期試験用に作成した記述を引用したもの。)
ここで私見だが。
いやいや上記記述内の、特に最後の部分に記した内容など。
あれから30年との年月が経過した現在、「商法」を取り巻く企業・経済社会環境が世界規模で大々的に移ろい行き目まぐるしい程の革新の一途を辿った。
その間に我が国でも「商法改正」が実施され、現在の「商法」の“あり方”議論も大幅に移ろいだ事であろう。
2008.01.04公開の「左都子の市民講座」バックナンバー「法の適用と解釈(その1)」に於いて、私は以下の記述をしている。
法律は解釈論が面白い。
元々理論派の私は法解釈の“理屈っぽさ”にはまってしまい、学業の中途から「経営法学」へ方向転換したといういきさつがある。
まさにその通りだ!
私が二度目に通った大学に「経営法学コース」があった事が実に幸いだった。
そのコースにて素晴らしい指導教官氏との出会いが叶い、私はその後修士課程へ進学し「経営法学修士」を取得する事が叶った。
この経験無くして、更に後の「原左都子エッセイ集」開設もあり得なかったこととも振り返る。
いや、確かに元々理論派だった事実には間違いないが。
それでもやはり、二度目の大学・大学院にて学び論文を書き上げた事実が大いに活き、その結果としてこの「原左都子エッセイ集」に於ける“辛口論評”が冴え渡る(??)結実となったものと自負している。
当該エッセイは「左都子の市民講座」カテゴリーとして公開するため、私事の披露はこの辺で済ませよう。
学生皆さんの向学心持続の程を応援しつつ、今後も機会ある毎に「左都子の市民講座」の充実も目指したいものだ!
ここのところ、我がエッセイ集「左都子の市民講座」カテゴリーの閲覧が増えている。
この「左都子の市民講座」は、“経営法学修士”を取得している我が学術経験や、高校教師として「商業法規」の授業を担当した時の授業ノートを参照しつつ、「法学」関連項目を中心に素人にも分かりやすく解説した内容である。
近年綴った「左都子の市民講座」の中には、多少難易度を上げ、大学の定期試験にも対応できそうな話題も取り上げている。
例えば2017.06.02公開の「普通取引約款に関する学説研究」などは、まさに我が学生時代に定期試験対策用として自分で模範解答を作成した内容である。
本文内でも断っている通り、あくまでも30年程前の我が学生時代に記載したものであり、その後の法規改正等々時代の趨勢に対応出来得るものではなく、また学術的誤りも多々あろう事をご承知願った上で参照して頂ければ幸いなのだが。
それにしても、ここのところ「左都子の市民講座」カテゴリーへの閲覧がスタンダードに寄せられている事実に気を良くして。
本日の当エッセイ集に於いては、30年程前の我が「商法Ⅰ」大学講義ノートより、表題の「“商法”の対象」論に関して公開させていただこう。
「商法」とは何か。
これに付き形式的意義に於ける商法、すなわち、「商法」という名称で制定された法典であると答える方法と、実質的意義における商法、すなわち、法律の規制対象とされる生活関係の実質的内容に基づいて分類される商法、と答える方法がある。 問題となるのは後者である。
商法は、歴史的にまず商人法として生まれ発展した。 つまり商人という概念が先にあり、その商人の生活関係を規制対象とする法規制として商法が生まれた。 近代になり、商法はそれまでの商人法から商行為方へと転換した。 すなわち、誰であろうが商行為を行った時に生ずる生活関係を規制対象とされるようになる。 そうなると、一般市民の生活関係を規制する民法との規制対象との相違が問題となる。
商法の規制対象に関する学説論争は、商法に定められた商行為を所与の前提としてこれを検討することから始まった。
「媒介行為説」とは、“固有の商”すなわち、財貨交換の媒体行為に着目し、そこから製造業、加工業、補助商、さらに第三者の商へと拡大し、それらを商行為と捉え商法の対象とした。 この説は発生史的な関連を説明しているが、固有の商とその他の商との共通の原理が明らかにされておらず、支持を失ってきている。
「実証説」とは、商法典が商として定められているものが対象となると考えるものであるが、共通の原理を統一的に把握する事を断念しており、支持されていない。
「商的色彩説」とは、民法が規定している対象がもっている特色を把握し、その中で商的色彩を持つものが商法の対象となる、と考えるものである。 やはり共通の原理を把握する事は断念しているが、民法に対する商法の独自性を理論的に確立するという役割を果たし、また、商行為についての統一的な把握への方法論的きっかけを提示したという点で意義がある。
今日(30年程前時点)では、商法の対象を企業の生活関係として捉える「企業法説」が通説となっている。 すなわち、利潤追求の目的で投資するという経営の方法、方式により捉えるものである。 しかし、企業とは関係がないのに商法の対象とされているものもあり、これらは「企業法説」からすれば商法の対象から控除されるべきこととなる。 手形・小切手法は企業法に含まれるか否かの問題については、実務上、銀行と無関係に利用する事は稀であるため商法的であり含まれるとする。 独禁法については、自由競争における経済的秩序の維持が目的であり、商法とは経済に関する規制の仕方が異なるため含まれない、とするのが通説であるが、企業法の基本原理を定めているから商法に含まれる、とする説もある。
現代(30年程前時点)の企業を鑑みた場合、利益の等質性、立場の相互交換性のような性質は既に失われており、従来の伝統的商法には企業の実態に合わなくなってきている。 商法典が基本ではあるが、独禁法、証取法等すべて含めて、新しい企業法として研究していく必要性がある。 新しい企業観に基づき企業の社会的責任を追及し、意思決定への市民の参加、情報の開示、また、集団企業の法規制、多国籍企業の法規制等も商法に加える必要がある。
(以上、私が30年程前に大学の定期試験用に作成した記述を引用したもの。)
ここで私見だが。
いやいや上記記述内の、特に最後の部分に記した内容など。
あれから30年との年月が経過した現在、「商法」を取り巻く企業・経済社会環境が世界規模で大々的に移ろい行き目まぐるしい程の革新の一途を辿った。
その間に我が国でも「商法改正」が実施され、現在の「商法」の“あり方”議論も大幅に移ろいだ事であろう。
2008.01.04公開の「左都子の市民講座」バックナンバー「法の適用と解釈(その1)」に於いて、私は以下の記述をしている。
法律は解釈論が面白い。
元々理論派の私は法解釈の“理屈っぽさ”にはまってしまい、学業の中途から「経営法学」へ方向転換したといういきさつがある。
まさにその通りだ!
私が二度目に通った大学に「経営法学コース」があった事が実に幸いだった。
そのコースにて素晴らしい指導教官氏との出会いが叶い、私はその後修士課程へ進学し「経営法学修士」を取得する事が叶った。
この経験無くして、更に後の「原左都子エッセイ集」開設もあり得なかったこととも振り返る。
いや、確かに元々理論派だった事実には間違いないが。
それでもやはり、二度目の大学・大学院にて学び論文を書き上げた事実が大いに活き、その結果としてこの「原左都子エッセイ集」に於ける“辛口論評”が冴え渡る(??)結実となったものと自負している。
当該エッセイは「左都子の市民講座」カテゴリーとして公開するため、私事の披露はこの辺で済ませよう。
学生皆さんの向学心持続の程を応援しつつ、今後も機会ある毎に「左都子の市民講座」の充実も目指したいものだ!