原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“一人で飯が食える女” の姿がすっかり板についた私

2019年01月18日 | 自己実現
 (写真は、昨夜義母の病院付き添い後一人で立ち寄った回転寿司屋にて。)


 昨日の義母病院付き添い程、ストレスフルな業は無かった程に疲労困憊した。

 何せ、急な話だった。 次回の義母耳鼻科受診は1月末のはずなのに、義母からの連絡で「補聴器が壊れて困っている。」との事だ。 昨年10月に作り替えたばかりなのに、新品の補聴器の一体何処をどうやって壊したのか想像も付かないが、義母より訴えを聞いたならば付き添うしかない。

 元々日々のスケジュール管理が綿密な私である。 こういう“不意打ち”は大の苦手であるし、実際後々のスケジュールまでもが変更を迫られる。 
 認知症高齢者の保証人として、何を我がまま言ってるんだ!? と思う方もおられるだろうが…。
 とにかく、いつ何時も主体的に生きつつ自己管理力旺盛な私にとっては実にストレスフルであり、迷惑この上ないのだ。


 そして昨日、義母を伴って耳鼻科へ足を運び、三度(みたび)の補聴器担当者である“ギリシャ彫刻張り”イケメン氏とのご対面だ。(当エッセイ集を継続してお読み下さっている方々は当該イケメン氏の事をご存知だろうが。)
 そのイケメン氏ですら嘆いておられた。 「我が社の補聴器を利用下さっているのは高齢者が大多数だが、〇さん(義母の事)ほどトラブル多発にして、それをすぐさま耳鼻科に訴え出て来る人は他に類を見ない。 実際本日のような急な故障修理依頼はさほど経験しない。今日は義母さん相手に少し厳しくご指導しますが、よろしいでしょうか?」 
 私応えて、「どんどんご指導下さい!」

 ただ残念な事には、義母側にその指導を聞く能力が元より欠如している。 それもイケメン氏に説明するのだが…

 結局は高齢者施設に義母を連れて戻った後、施設のケアマネ氏に補聴器の取り扱いに際するご協力をお願いする方策を取った。
 ちょうど、その日は秋頃から義母担当のケアマネ氏との初めての面談が実施された。 その際に、現ケアマネ氏に義母の補聴器の現状をお聞き頂き、今後のサポートを申し出た。
 とは言えども、ケアマネ氏とて日々の業務で精一杯の現状である事を重々ご理解申し上げている。
 はてさて、今後いつまた、義母は「補聴器がまた壊れた」と私に訴えて来るのだろう…… 


 義母の耳鼻科付き添い、及びケアマネ氏との面談を終えて施設を出たら既に外は真っ暗闇だ。

 こんなストレスフルな日を耐え抜いた暁には、“一人で一杯やりたい なあ”、 と思いついた私は、すぐさま亭主にその旨連絡した。
 そして「OK!」回答を貰い、いそいそと回転寿司屋を目指した。
 その回転寿司屋で撮影したのが、冒頭の写真だ。


 ここで、本エッセイ集2014.03.08付バックナンバーにて綴った 「身内高齢者を“あの世”へ送った後も一人で飯を食える女でありたい」 と題するエッセイの一部を以下に再度要約引用させていただこう。

 本日(2014.03.08)先ほどNHKテレビで放映された 連続ドラマ「ごちそうさん」内で、主人公め以子の義理姉 和枝が、め以子に向かって発したセリフが現在の我が身とピタリとダブる思いだ。
 「女とはなあ、家族皆を一人ずつ(あの世に)見送ってまた見送って、その後我が身だけ残された後に(この世で)一人でご飯を食べつつ生き残る宿命を背負ってるんや。 あんたも若気の至りで“一人でご飯を食べるのが寂しい”などと言うとらんと、ちょっとは一人でご飯を食べれるようになりや。」
 (原左都子の記憶のみに頼り綴っておりますので、ドラマ内セリフと多少異なっているであろう事をお詫び申し上げます。)
 まさに和枝さんがおっしゃる通りの宿命を、女性は背負って生まれてきていると実感させられる今日この頃の私だ。
 そんな私にとっても、め以子の軟弱さはふがいないし鬱陶しい。 と言うよりも、この場面のドラマシナリオ自体が不自然との実感を抱かされる。 何故、“いけず”の義理姉と一緒に食事をしたいとの発想がめ以子側から出るのか?  何も好き好んで自分を敬遠しようとしている相手(和枝)と本気で食事を一緒にしたい訳などあり得ないだろうに…。
 もしも私が和枝の立場であるとて、め以子と一緒に食事をする事など断じて御免蒙りたい思いだ。
 ここで私事を語るが、私は過去に於いて40歳近くまでの約17年間に及ぶ単独独身生活を貫いてきている。 その間、気心知れた彼氏や友人や職場の上司や仲間と一緒に外食(そのほとんが飲み会なのだが…)をする機会を数多く経験している。 我が若かりし時代のノスタルジーを語ろうが、らちが明かない事など承知の上での話題だが…。
 悲しいことに現自民党安倍政権とは憲法解釈等により、極論を言うならば、我が国を「戦争が出来る国」に仕立て上げようとしている事実に、その政権運営実態から推し量る国民が少なくない事であろう。
 現在放映中のNHKドラマ「ごちそうさん」とは、後半に於いて昭和戦時中に庶民が国家から理不尽や不自由を強いられた時代背景を描くことにより、現在政権を担っている安倍政権へ“ささやかな抵抗”を試みようとの趣旨と受け取っているのは原左都子だけだろうか??
 話題が変わるが、一昨日、私は保証人を担当している親族の一人である義母を伴った旅行から帰宅した。 人生の終盤にさしかかっている(?)義母から、「人生最高の旅行だった!」との感想を頂戴したことが何よりの私の喜びとも実感している今現在だ。
 そんな私は、近い未来に親族皆を“あの世”へ見送った後にも“一人でご飯を食べる”事など容易な事として今は認識している。
 次世代を力強く生き抜かねばならない我が娘に、我が老後の支援など一切頼りたくない思いが強靭だ!
 加えて、集団嫌いな私がまかり間違っても将来「ケアマンション」で集団生活など出来る訳もない。
 ドラマ「ごちそうさん」の和枝さんがおっしゃる通り、女である私は身内皆をあの世に送った後の老後も“一人飯”を堪能し続けるであろうし、そうして生き延びるしか選択肢がない現実を今から切実に実感させられる思いでもある。
 (以上、当エッセイ集バックナンバーより一部を要約引用したもの。)


 最後に、私論でまとめよう。

 2014年時点での我が考察は、どうやらかなり“甘かった”ようだ。
 義母はまだまだ存命し、私の義母保証人との“生業”は今後も続くのだろう。

 なかなか“あの世”へ義母を送れそうもないものの……

 それでも何だか、この私に「1人で飯を食える女」の姿が“板について来た”ような感覚が客観的にあるのだ。
 とにかく“集団嫌い”の私である事は間違いない。
 今後ますますその特質が強靭となるであろう未来を想像しつつ、今後も「1人で飯を食える女」を堪能したいものだ。