原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

COVIT-19(新型コロナ感染症)に関する「そもそも論」は抽象的に語られることが多い?!?

2022年10月04日 | 時事論評
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.10.01付「書評」コーナーより、児玉聡著「COVIT-19の論理学 パンデミック以後の公衆衛生」を転載したもの。)



 久々に朝日新聞「書評」コーナーよりエッセイの題材を得よう。
 
 本日取り上げるのは、上記著書に対する書評、法政大学・政治思想史教授 犬塚元氏による「コロナ対策で考える自由と公平」。

 早速、以下に要約引用しよう。

 ELSI(エルシー)という言葉を目にする機会が増えた。 直訳すれば「倫理的・法的・社会課題」だ。 ヒトゲノム計画、再生医療や人工知能の研究を考えてみると分かりやすい。 これらの研究は、私達の社会に影響を及ぼして様々な課題をもたらす。 例えば、私達の遺伝情報は、どのように保護されるべきなのか。重要なのは、当の生命科学や自然科学だけでは、こうした社会的な課題に答えを与えれるわけではない点だ。 ここでは社会科学や人文学にも果たすべき役割がある。
 同じように、新型コロナウィルス感染症対策についても、「倫理的・法的・社会的課題」を問うことができる。 本書はこのような学際的な問いに、倫理学の見地から取り組む。
 中心的に問われるテーマは、自由と公平だ。
 休業要請や外出制限のように、感染症対策では、私たちの自由が制限される。 自由主義社会の根幹にかかわる大問題だ。 自由の制約は、どんな場合にどこまで正当化できるか。 なるほど、「全体の利益のため」が根拠となりそうだが、それだけではどこまで制約されるかが曖昧だ。 本書は必要最低限の制約か、補償はあるか、政策決定は透明か、などさらなる検討が必要であることを丁寧に示す。
 医療資源の配分では公平が問われる。 一人10万円の一律給付は平等に思われるが、公平だろうか。必要に応じた配分だったか。 各世帯2枚マスク配布はどうか。 (中略)
 こういった「そもそも論」は抽象的に語れれることも多いが、この本は、専門用語をほとんど使わない。 
 この本を読破した次は、広瀬厳『パンデミックの倫理学』がよい。

 (以上、朝日新聞「書評」コーナーより、要約引用したもの。)



 原左都子の私見に入ろう。

 私のように既に現役を引退している身にしては、COVIT-19が全世界の人民の及ぼした休業要請や外出制限にさほど混乱を来たしていないと言えるかもしれない。

 いやいや、それは今回のCOVIT-19による世界規模パンデミックが発生して既に3年近くの年月が経過し。 そんな生活に順応してしまっているだけの話であるとも言える。

 この異常状態に慣れっこになってしまい。
 日々マスクを着用して、手洗い・うがいを頻繁に励行し。 人と会っても2mほど距離を置き、電車の中では決しておしゃべりをせずただ黙々とスマホをいじり。 酒も決して外では飲まず、必ずやつまみを買い込んで自宅内でひっそりと酔う。??
 旅行計画などとんでもなく、我が趣味だった海外旅行はもう3年実施不履行が続き。 コロナ以前に通っていたジムも音楽スタジオもカラオケもすべて自粛し、家でひたすら歌を歌っていると亭主に「うるさい‼」と時折怒られ…😭 (いえいえ、我が亭主は理解がある方です…) 



 話題を、今回の書評に戻そう。

 書評内容の一部を再度繰り返すと。

 中心的に問われるテーマは、自由と公平だ。
 休業要請や外出制限のように、感染症対策では私たちの自由が制限される。 自由主義社会の根幹にかかわる大問題だ。 自由の制約はどんな場合にどこまで正当化できるか。 なるほど、「全体の利益のため」が根拠となりそうだが、それだけではどこまで制約されるかが曖昧。

 おっしゃる通りであり、ことCOVIT-19議論に於いて「全体の利益」概念を持ち出すことによる弊害の程を察してあまりある。

 原左都子の感覚だと、特に自民党政権はこの「国民全体の利益」論理が安倍政権時代よりお好きなようだが。

 ここはまさに表題の如く、ことCOVIT-19議論に於いては「全体の利益」概念を持ち出して事態を抽象化させるのではなく。

 視野をもっと広げ、国民個々の事情に沿った綿密な対応を望みたいものだ。