原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

某知人との20数年ぶりの電話通話

2022年10月23日 | 人間関係
 この某知人をAさんと呼ばせていただこう。


 Aさん(女性)は私にとって「知人」と言うよりももっとずっと重い存在であり、過去の「直属上司」あるいは「恩人」と呼ばせていただくべき存在の方である。

 このAさんとの出会いは、私が医学部卒業後上京し新卒にて入社した企業にてだった。
 当初私は別の部署への配属だったのだが、そこの社員の一人と折り合いが悪く。 と言うよりも医学専門分野に関して早くも“衝突”してしまったのだが。
 こんな場合、新卒入社したての私が当然ながら折れるべきなのだろうが、相手もまったく譲らず個人攻撃逆襲をされてしまい…
 失望の下に短気を起こし、私は職場を3日間無断欠勤するとのストライキを決行した。
 
 実はその間、私は果敢にも都内にて次なる就職先を見つける行動をとり、別社に採用されかかった。
 そして欠勤3日目の朝に新卒入社した企業に電話を入れて、「退職させていただきたい」と申し出たところ。 課長が電話口に出て「そういう訳にはいかない、事情を聴きたいので今夜外部の食事処で面談しよう。」との話になり。
 その課長の人柄の良さにほだされて、新卒入社の企業に残ることになった。 ただし、残るにあたって私側から条件を提示した。 その条件とは、「別の部署にての勤務にして欲しい」との内容だったのだが。

 次の日に出社したところ、その我が条件をすぐに聴き入れてくれていて。
 課長曰く、「〇さんは、本日からこちらの上司の下で業務に励むことになります」とのことで。
 それが、我がAさんとの初対面だった。

 所属したのは、「研究室」。 ただし、その人員はAさんと私のみだった。
 そして当時Aさんは妊娠中で、「今後しばらく〇さんには、一人で▲▲大学医学部「免疫学研究室」(当時の免疫学国内権威の著名先生が室長を務めておられた)へ出向して、そこで新たな免疫学関連の実験に励んでもらうことになります。」
 いきなり重いノルマを課せられたのだが、私としてはくだらない先輩といがみ合いつつ日々を過ごすよりも、その新天地でまさに免疫学実験に励みたい!と、その幸運を喜んだものだ。

 そして「免疫学研究室」にて学んできた新たな実験成果を、社内でルーチン検査化するべくしばらくの期間頑張った。
 そうこうしているうちに、Aさんも無事出産を終えられて研究室に戻って来られた。
 その後、私が29歳時に社内異動するまで、Aさんとの職場・個人関係両者の親しい関係が続行した。


 時が経過して、私が30歳時点で2度目の大学通いをしていた頃も未だAさんのご家族と仲よくさせていただいていた。

 その後我が晩婚結婚式時にも、主賓に匹敵する立場でAさんに参列頂き、祝辞を述べて頂いたりもした。
          
 この写真はその当時のもの。(美人のAさん、無断掲載をお許し下さいませ。)


 私が40歳時に皮膚癌を患い闘病した際にも真っ先に駆けつけて下さったのは、このAさんだった。

 その後も幾度か私の自宅にお越し頂いたりしつつ。
 我が記憶によれば現在の住居に転居後はAさんとお会いしていない。


 そんな折、昨年のAさんよりの年賀状が遅れて到着して、その内容を読んだ私側が久々にAさんに手紙にて連絡を取らせていただいたのがっきっかけで。

 その後、メール交換が続行し。

 そして本日昼過ぎにAさんから電話を頂戴し、来週の再会と相成った!

 本日の電話にて久々にAさんのお声を聴くことが叶ったのだが。
 さすがに高齢域に達して多少声質が変わったかと感じつつ。(お前もそうだろ!と言われそうだが)😖 
 Aさんの、あの明るく理知的な語り口には何らの変化も無い事実に安堵しつつ。


 来週 Aさんと久々の再会を果たせることを、心待ちにさせて頂きます!!