原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「会食恐怖症」、独身時代に日々 数々の「飲み会」を渡り歩いた我が身としては…

2022年10月05日 | 人間関係
 昨日2022.10.04付朝日新聞「声」欄に、表題の「会食恐怖症」に関する投稿があった。


 その投稿内容を簡単にまとめると。

 20代の会社員女性の場合は、その恐怖症のきっかけが小学校給食にあったらしい。 教員から完食指導を徹底され、他の児童が嘔吐するまで食べさせられる姿等々を見て、給食の時間が怖くなり動悸と吐き気に襲わるようになったとのことだ。
 大人になって以降は会食で人とのコミュニケーションをとる機会が増え、人と会うことが苦痛になったらしい。 
 自身が「会食恐怖症」であることをカミングアウトしたことで食事に誘われなくなり、人との関係性が終わってしまうのが怖くそれを打ち明けられない人は多くいる。 と結ばれている。

 (以下略すが、朝日新聞「声」欄投稿より一部を紹介したもの。)



 上記「声」欄投稿を読んで、我が20代後半期の勤務先企業内食堂にての昼食風景を思い出した。

 既にバックナンバーでも公開しているが。
 この私の場合、20代後半期に早くも職場長に指名されたのに加えて、当時の風習として女子社員の多くは20代半ばを過ぎる前に“寿退社”しているのが常識の時代でもあった。
 それでも他部署の同年代の知り合いと偶然食堂のテーブルが一緒になったりすると、押し黙って食事をする訳にはいかない。
 そうなると職歴の長い私がサービス精神で会話を振る役割を果たさねばならず、私としては正直言ってそれが無用かつ心外だったりしたこともある。

 そこで考え付いたのが昼食はそそくさと食べて、「用件がありますのでお先に失礼します」等々とごまかして、とっとと食堂を後にするとの行動手段だった。
 その後すぐさま自分の職場へ戻って日々朝日新聞をむさぼり読んだ、との日常だったものだ。

 当該朝日新聞「声」欄投稿女性は、「会食恐怖症」との言葉を積極的に持ち出しそれを世間が広く認識して欲しい、との結論で締めくくっておられるが。

 正直言って申し訳ないが、やや面倒臭い感がある私だ。
 ここはこの私が20代半ば頃に実行したがごとく、食後は自らの過ごし方がある故に「お先に失礼します」等と言い訳をして、とっととその場を去るのが一番手っ取り早いのではないかとアドバイス申し上げたいのだが…



 ここで、我が独身時代の「飲み会」に話題を変えさせていただくと。

 こと個人の「飲み会」と職場の昼食タイムとは、必然的に大違いだ。

 本エッセイ集バックナンバーにても幾度となく公開させて頂いているが。
 我が交友関係(特に“酒”にまつわる交友関係)とは、繰り返すが、お互いの信頼関係が築かれていない状況下では成立し得ない関係だった。

 とにかく酒好きで仲良しの面々がいつもいつも集合し、互いに何の遠慮もなく二次会・三次会と盛り上がったものである。


 今の時代は、セクハラ・パワハラ・アルハラ等々、人と人との関係が希薄化するべく文化が育ちにくい環境へと移行してしまっている感がある。

 それに比し、過去に素晴らしき“酒仲間”に恵まれ続けそれら面々と実に楽しい会合を持てた私など、本当にラッキーな世代だったと振り返るのだが…



 それにしても。

 ご自身が「会食恐怖症」を名乗らねば、会食現場から逃れられない時代になっているとすると。

 何とも窮屈と言うのか。

 この世に生きる皆がそのような自己の「恐怖症」を掲げねばならないとの実態にこそ、医学関係者でもある私など恐怖心を抱いてしまうのだが…