(冒頭写真は、原左都子が20代前半期にスカウトされてボーカルを担当した当時の勤務先企業内ロックバンド公演にて。 中央のボーカルが私。 写真が超不鮮明な点お詫びします。 元々小さい写真しか保存していなかったのだがその写真が見つからず、過去に当該gooブログのフォトチャンネルに掲載した写真を再撮影したもの。そのためとんでもなくピンボケですが、あしからず…)
今回のエッセイ表題は、前回の東京芸術大学入学式の際に今春から学長を務めておられる日比野克彦氏が式典内で新入生に伝えたメッセージ、「心が揺れ動いたところにアートがある」を引用させていただいたもの。
この日比野克彦氏のメッセージをみて、原左都子なりに過去の「心が揺れ動いたところにあったアート」を探ってみた。
医学部を卒業して上京後は医学本業はもちろんのこと、私生活においても各方面で“”破竹の勢い”で活躍していた私だ。(いや、“遊び惚けていた”と表現する方がより正解だが。)😝
そんな私の趣味の一つが、ジャズダンスなのだが。(これに関しては、20代前半の1年間のみ元SKDダンサー・プロ講師による厳しい指導を受けている。)
それよりも少し以前の事だったが、職場の社員旅行にて「ディスコダンスコンテスト」が開催された。
当時休日は六本木や新宿にてディスコ三昧だった私はもちろんのこと、そのコンテストに出場した。
ここでディスコクイーンに選抜され調子づいたものだが。
そのディスコダンスコンテストを見ていた社内ロックバンドのリーダーが、私を女子ボーカルにスカウトして下さったのだ!
これは、私にとって一生忘れもせぬサプライズだったのだが。
私の歌を聞かずして何故私を女子ボーカルにスカウトしたのかを問うと、
「とにかくリズム感が素晴らしい! そしてルックスが舞台映えする。 是非とも我がバンドでボーカルを担当して欲しい。」
その直後から、バンド練習が大変だった。
まず目指したのは、次年度の新入社員歓迎会(会場は東京・中野サンプラザ上階にある収容人員300名程の大宴会場だったが)でのデビューだった。
これらがその当時の写真だが。
舞台衣装に関しては、その洋服選びの趣味が元々あった私が自ら自費で購入したものだ。 この我が独自の衣裳選択に関しても、バンドメンバーから賞賛頂いた。
ちなみに下の赤い衣装に関しては、舞台衣装専門の店舗を訪れて購入した。
そんな努力も買われて、ある程度このバンドの一員としてスタジオ練習を続行したものだ。
その後バンドメンバーが昇格して課長になったり、九州へ転勤したり、この私も係長昇格になったし、当該ロックバンドは自然消滅の道程を辿った…
「心が揺れ動いたところにアートがある」
との日比野克彦氏のメッセージを見て我が脳裏に真っ先に過ったのが、この20代前半期に突如として経験することが叶った“ロックバンドへの女性ボーカルとしての加入”だった。
私の場合は、むしろダンス・音楽がこの私をアートの世界へいざなってくれたと表現するのが適切だろうが。
それにしても、我が“若気の至り”期のディスコ通いが私を一時のロックバンドヴォーカルに誘ってくれたのは、揺るぎない事実であろう。
まさに私にとっては一生忘れ得もしない、“ロックバンド女性ボーカル”経験譚である。