原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

日常と非日常の狭間で…

2020年01月06日 | 自己実現
 私は、今朝方“しんどい”夢を見た。
 (“しんどい”には、関西弁で「くたびれる」「難儀だ」等々の意味合いがある。)

 この“しんどい”夢は今に始まったことではなく、長期連休明けに決まって見る夢である。
 今年の年末年始休暇は娘が9連休だったこともあるが、それに合わせた生活パターンを年末の小旅行後7日間続けたせいもあり、この夢が久々に再現したのであろう。

 それでは、その夢の再現に入ろう。

 私はどうやら、2度目に入学した大学生のようだ。
 本日は長期休み明けで、大学へ行かねばならない。 ところが一体私が何処の大学生だったかを忘却している。 それよりも困惑するのは、長期休暇中の課題を何らこなしていない。 原点に戻って、今年の学費すら支払っていないのでは!??  あれ、私って既に出席不足で退学になっていやしないか??  
 それよりも、大学の学生鞄を無くしてしまっている!  やむを得ない、いつも使用しているハンドバックでいいだろう。  いや、これじゃテキスト類が一切入らない。   
 ちょっと待ってくれよ。 今日は何曜日だ??  時間割も分からなければ、私が本日行かねばならない教室はどの建物の何階だっただろう?  いや、たとえ行ったとて、何の課題の予習もしていないし、皆より遅れをとっている。 授業中に恥を晒すだけだ…
 今一度原点に戻って、大学が一体何処に存在するんだ…

 この妄想が、とめどなく夢内で暴走する……
 途中少し目を覚ました気もするが、また夢に戻り…  これの繰り返しだ。

 実際朝目を覚ました直後トイレに行く途中も、脳内の何%かは “本日大学へ行かねば…” の感覚が残ってしまっている…
 やっとこの夢から解放されるのは、着替えを終えて娘の朝食準備に入る頃だ。

 
 ここからこの夢の分析に入るが。

 この夢、私に特異的に発生する現象ではなかろうか?
 何分、我が人生に於いて実際2度も大学(大学院も含め)生活経験をこなして来ている身だ。
 特に2度目の大学(大学院)は、受験準備期より卒業・修了まで、学業はもちろんのこと授業料負担と生活のための労働等のすべてを自己責任下に於いて実現させた、超過酷な“ミッション”だったと言えよう。

 このミッションをポッシブル化する日常とは、それはそれは大変な日々だった。
 あれを30代前半期より後半期にかけて単独でこなした我が人生経験があるからこそ、強靱かつ確固とした自己を築けて現在に至っている自負がある。

 これが現在の我が身にとって“誉れ”であるはずなのに…
 何故、夢内では悪い部分ばかりが増強されて“悪夢”となってしまうのか?

 その理由は自分でも分析出来ているつもりだ。
 結果としては、私にとって“サクセスストーリー”であるけれど、その道程とは実際過酷そのものだった故であろう。
 一応弁解しておくが、私は至って優秀な学生であり出席不足などとは無縁の学生であり順当に進学し卒業(修了)が叶っている。  加えて、決して学費の不払いなど一切無く、当時それを支払った上で自分の生活を満足に過ごせる生活資金も十分に稼いでいた。

 それなのに何故、今に至ってこの種の(悪夢)にうなされねばならないのだろう??

 2度目の学業を全う出来た「達成感」よりも、当時の生活の「超多忙感」の方こそが我が脳裏に潜在意識として鮮明に刻み込まれている故であろうか??

 どちらであるにせよ、現実の私の脳裏には「達成感」が勝っていればそれで良いと結論付けられそうだ。  
 そう考えて、何年かに一度見る“悪夢”の事など忘れ去ろう!!