原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

異性にどこまで触れていい??

2020年01月07日 | 人間関係
 最近の「原左都子エッセイ集」“Popular entries top 10" 内に、私自身が今読み直しても興味深い記述があった。

 
 早速、2018.04.19公開のバックナンバー 「女の私も男性に対して『セクハラ言動』をしているかもしれない」の一部を、以下に引用しよう。

 朝日新聞2018.04.17付夕刊 「女子組・大人の保健室」は「女性の声 男性の本音は」と題した “セクハラ”をテーマとした内容だった。
 このページに読者から寄せられた体験談が記載されていた。 その中に、男性による興味深い投稿があったため以下に紹介しよう。
 老人施設でボランティアをしていると、手に触れてくる女性がいる。 性的なふれあいを求める気持ちはいくつになっても衰えないと気付く。 (以下略。)

 この投稿に関連した私事を思い出した。
 義母が入居している高齢者施設の義母担当女性ケアマネージャー氏と、私はツーカーの仲であることはバックナンバーで幾度が記載している。  施設を訪れ義母に関する面談の際に、いつもケアマネ氏と話がはずむのだが。 
 ある時ケアマネ氏が施設内の「セクハラ実態」に関し、(もちろん登場人物はすべて匿名の上で)赤裸々に語ってくれたことがある。 
 そもそも海千山千の私にとっては十分に想像が付く内容なのだが、実際に現存する施設内の実態を改めて伺い衝撃は隠せなかったものだ。 と共に後学のため大いに勉強になる内容であり、いつかはエッセイにして再現したいと考えていた。
 今回はその詳細を語る事は避けるが、要するに上記朝日新聞の投稿(高齢者施設入居の高齢女性がボランティア男性の手に触れてきた話題)など“序の口”であり、誰も驚きもしない“よくある”場面であろう。

 ただ、ケアマネ氏からその話を伺って以降、高齢域に達しようとしている私自身が現実世界で気を付けている事があるのだ。
 それは特に若い世代の男性と接する場面に於いて、相手男性に“セクハラ”と勘違いされそうな言動は慎むべき、との「鉄則」である。
 何を大袈裟な! と驚かれる方々もいらっしゃるかもしれないが、私としてはかなり真剣だ。
 というのもこの私はそもそもスキンシップ好きな人間であり、相手の性別にかかわらず話が弾んだりすると、ついつい相手の身体に触れてしまう癖が昔からあるのだ。 (例えば、「何言ってんの!?」などと笑いながら相手の腕を軽く叩いたりとか…)
 このお相手がもしも同年代か年配の男性ならばお許し下さるのかもしれない。 ところが一旦相手が若い世代の男性ともなると、「この年寄り女、気持ち悪いなあ」なる感覚を抱かれないとも限らない、と自己反省出来る程の客観力は未だあるつもりだ。
 男女を問わず相手が抱くそのマイナス感覚こそが、“セクハラ”であることには間違いないだろう。

 昨年の秋頃から、若き男性スタッフが複数存在する某施設へ私は定期的に通っている。  その施設に於いては、まさかスキンシップが出来そうな距離で男性スタッフとかかわる事はないのだが。 業務内容以外にも話が弾むスタッフが複数存在するのだ。  それらの若き男性スタッフ相手にセクハラ失言でもして嫌われたならば、既に高齢域に達しようとしている私がその施設へ行き辛くなることはわきまえている。
 
 ところで、上に紹介した朝日新聞2018.04.17付夕刊 「女子組・大人の保健室」の趣旨と我が私見は多少食い違うようだ。
 それは、上記特集があくまでも「女子保護」に回っている点に於いてだ。
 今回の特集では男性からのご意見も取り入れているのだが、どうも朝日新聞記事にして「女性は弱者」との観点から解放されていないように私は捉える。

 実際女性の身にして高齢域に達しそうになれば、自分こそが「若き男性に対してセクハラしていないか?」なる加害者視点からの境地に達するということではなかろうか。 
 今回はそれを自覚し始める年代に達した原左都子からの、違った角度よりのメッセージエッセイなのだが…。

 (以上、2018年4月バックナンバーより一部を引用したもの。)


 ここで現在に話を戻し、私が置かれている立場を振り返ってみるに…
 上記記載の“若き男性スタッフが複数存在する某施設”へは半年程前より通うのを中断している関係で、セクハラ失言をしそうになる危険性も皆無の寂しい現況下だ…
 本音を言えば、(決して相手男性に触れないにせよ)、カッコイイ今時の男の子を近くで観察出来るだけでも十分に目の保養になったものだ。 ましてや、それらの男子達と会話内容の感覚が一致したりしたものならば、それは十分な喜びとなったものだ。😍 

 我が若き時代の職場に話題を移すと。
 先輩男性からの“頑張れよ!”の意味合いの「肩ポン」や、業務が成功した時の同僚男性との“やったね!”「握手」などが、ごく普通に何気なく行われていたような記憶がある。  現在では、この種のスキンシップも“セクハラ”と見なされるのだろうか??

 上記朝日新聞内に記載されている老人施設内でのボランティア男性の記述を復習するが。   「老人施設でボランティアをしていると、手に触れてくる女性がいる。 性的なふれあいを求める気持ちはいくつになっても衰えないと気付く。」
 この場面の詳細状況が把握不能だが、ボランティア男性の手に触れた女性の魂胆として“性的な裏心”があったのか否かに関しては、私には判断不能だ。
 誤解を恐れず発言するならば、“手”に触れる程度ならば、コミュニケーション範疇と解釈して流してあげてもボランティア男性に損失は無いのかとも思うのだが…
 要するにこのケースの場合、ボランティア男性にとって“高齢女性から手に触れられた事”が不快だったからこそ、その行為を“セクハラ”と結論付けたとのことだろう。


 以前より本エッセイ集内で幾度も述べているが、この原左都子は生まれ持ってスキンシップ好きの人種であると自己分析している。
 ただもちろんのこと、現在の世の中が置かれている「セクハラ概念」の実態は嫌と言う程に理解出来ていて、まかり間違ってもそれに抵触する行動をとったがために検挙されるようなことは今後も回避できることであろう。

 それにしてもだ。  
 何だかこの現世の「セクハラ概念」の“行き過ぎ”に対する疑問符をどうしても抱いてしまう私でもある…