原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

郷里の実母は上京後の我が“生き様”をほとんど知らない

2020年01月18日 | 人間関係
 今回のエッセイは、昨日午前中に公開した「郷里実母よりの“奇妙な”電話」の続編の形となる。

 何故実の母娘であるのに、こうも心の交流が成り立たないのか…
 それには、両者の間に“埋められない溝”が横たわっている感覚がある。

 その一般的前提として。
 親(特に母親)とは、我が子に対し一番可愛い時期だった「幼少期」のイメージをいつまでも引きずり続けているような感覚もある。

 いや、私自身は違うよ。
 私と我が娘との関係は「サリバン指導者」としての立場もあり、支援期間が長いし濃厚だ。 今現在尚、その「サリバン指導」が続行しているとも言えよう。
 おそらく私と娘の母娘関係はかなり特異的であり、世に例を見ないのかもしれない。

 それに対し、我が実母と私との関係もこれまた対極の意味合いで特異的と言えるような気もする。 
 何分我が実母の場合、長女である姉(の異常性格)に相当手こずったようだ。  私が郷里にいた頃の母の口癖とは。 「あなた(次女の私のこと)はついでに育った感覚だ。 放っておいて育つ子だった。」
 実際、そうだった。 特に姉が大阪の大学へ進学した後は、1ヶ月に一度は必ず荷物を沢山抱えて大阪まで姉の様子を見に行っていた。 問題行動の多い姉のフォローをするためだ。 実際、姉が下宿していた大家さんに迷惑をかけることが多く、母は頭を下げてばかりだったようだ。
 この母の行動は、姉が30代前半期に国際結婚して米国へ渡るまで続いた。 その前に、姉が日本人男性と一度目の結婚をするに至った時も、結婚直前に破談になりかけたりと波瀾万丈だった。 結局は早期に離婚に至り… 
 姉が米国へ渡って後に母が吐いた本音の言葉とは、「あの子が米国へ行ってくれて命拾いした。」だった。 (その思いは私も同様だったことに関しては、既に本エッセイ集内で公開している。)

 その間、当然ながら妹の私は放ったらかしだ。 
 いや、私が就職時に上京する際には、父も含めて猛反対に遭った。 「何で妹のお前までが家を出る必要があるんだ! 家に残るべきだ!」 実に身勝手な親どもの反対を押し切り、私は上京し親から一切合切独立して現在に至っている。

 実母は姉が住んでいた大阪へは月1の頻度で通ったくせに、私が住む東京へは上京後我が30歳時に単独でマンションを購入するまで、ただの一度とて妹の私の元へ訪れなかった。 その後も、米国の姉の処へ私が母を連れて行った際に、横浜の我がマンションに立ち寄ったのみだ。
 何故私が住む東京へは来ないのか、母に尋ねたことがある。 「姉が住む大阪へは頻繁に通ったのに、何故次女の私の処へは一度も来ないの?」  その回答とは、「妹のあなたは何の心配もなくて、放っておけるのよ。」だった…
 たとえそうであるとしても、それで親の役目が果たせると真に思っている実母のそのふてぶてしさというのか責任放棄意識に対して、軽蔑の思いを抱かされた我が感情に同意頂けるのではなかろうか。 

 そのくせ実母の悪質さとは、上京して単身で頑張る私の自慢を周囲に吹聴しまくる事だ。 (姉に関しても同様だが。) 特に私に対しては自身で何の経済的・心理的支援もせずして、これをやってしまう愚かな母だ。 
 1ヶ月に一度のペースで様子を見に行った姉の事はともかく、実際の私の生活ぶりや学業に励んでいる姿を露知らずして、単に「やれ大学院へ進学した」だの「修士を取得した」、あるいは「東京で玉の輿に乗った」だのとの表向きの結果のみに浮かれ、それを郷里で言いふらす癖がずっと続いた。😨 
 私の方も、実際2,3年に一度、それもたった3日間程の郷里帰省だった故に、それを実母が周囲へ言いふらす事の弊害も無かったといえばそうなのだが。


 年月が流れ、実母は郷里の高齢者自立支援施設暮らしとなった。
 この施設への入居に際し、労力したのは次女の私だ。 入居当初は確かに喜んでいる様子もあった。 
 更に年月が流れ…
 今となっては「ろくでもない土産物を持参するな! 私が施設内で恥をかく。」 究極発言として「貴女はもう施設へ来なくてよい」  

 確かに、確実に実母は老化したのであろう。
 それにしても、何故これ程までに“次女”の私につれないのか?!?
 ただ、昨夏は長女である米国暮らしの姉の施設訪問を断っている事情を鑑みると。 
 実際、特に実の娘達が施設へ訪れるとの事実とは、実母にとって「自己による我々姉妹の現状に対する周囲への吹聴との“ギャップ”に苦しめられる事態」であるのかもしれない。
 何が幸いで何が不幸かとの価値観も人それぞれであろうが。 
 実母にとって、その“ギャップ”感を現在の住まいである高齢者やスタッフの皆様に感づかれる事実こそが辛いのかもしれない、とも思えてくる。

 そうだとしても、ちょっと待って欲しい。
 米国の姉は私の知ったことではないが。  
 妹の私など、きっと写真や記述物や電話での会話内容よりも、実物の方が絶対的に優位性があると自己分析しているのだけど?!??😜