原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「障がい者の美談を導くメディア・経済界にも責任がある!」

2020年01月10日 | 時事論評
 障がい者(障害者)関連のエッセイが続くが。

  この事件、ご記憶の方々も多いことであろう。
 当該エッセイに登場している某氏をその後メディアで見かけることは皆無だが、何処で如何に生きられているのであろう?


 それでは、2014.02.08公開の冒頭表題のエッセイの全文を、以下に再掲載させて頂こう。

 この事件、原左都子の視点・観点からは腑に落ちない点が多い。
 自称「全聾の作曲家」氏と「ゴーストライター作曲家」氏を犯罪者に仕立て上げた挙句作品を絶版にし、市民感覚の“騙された”との安直な結論ですべてを葬り去れば済む話なのか??

 早速、事件に関する報道内容を朝日新聞2月6日記事を要約引用しつつ、以下に紹介しよう。
 「全聾の作曲家」として知られる佐村河内守氏が今までに発表してきた主要な作品は、桐朋学院大学非常勤講師で作曲家である新垣隆氏が作ったことが2月5日に判明した。
 佐村河内氏の著書や取材によると、広島生まれの被爆2世、35歳で聴力を失って以来絶対音感を頼りに作曲をしてきたとの説明だった。 
 片や、新垣氏側が6日発売の週刊文春に自分がゴーストライターとして18年間に渡り作曲をしていたとの真相を告白し、その日の午後に記者会見を行った。
 佐村河内氏の代理人等によれば、 十数年前から佐村河内氏が提案したイメージを基に新垣氏が旋律や和声を含め実際の作曲をしていたのだという。
 クラシック部門にしては、CD出荷枚数18万枚との異例のヒットとなった交響曲第1番「HIROSHIMA」やソチ五輪で高橋大輔選手がフィギュアで使用する「バイオリンのためのソナチネ」も同様であった。 後者の楽曲楽譜を2月11日に発売予定だった出版社は「著作権者が不明のままでは出版ができない」として出版中止を決めた。 佐村河内氏側からも、「すべて週刊文春通りで曲を書いたのは私ではない事をお詫びする」なる謝罪内容のメールが届いているらしい。 加えて、佐村河内氏より著作権管理を委託されている日本音楽著作権協会(JASRAC)も、「権利の帰属が明確になるまで利用の許諾を保留する」と発表した。
 (付属情報だが)2012年12月にNHKの依頼で、津波で母を失った少女を佐村河内氏に引き合わせたそうだ。 この少女との交流を通じて作曲されたのが「レクイエム」とされている。 その後何度も佐村河内氏は被災地に足を運び、少女ともメールのやり取りをしていたとのことだ。 昨年(2013年)3月には佐村河内氏は少女が通う小学校で曲を披露したらしい。
 (以上、朝日新聞2月6日記事より一部を要約引用。)

 一旦私論に入ろう。

 この事件に関して言いたいことが山々なれど、とりあえず上記朝日新聞より引用した後半一部分についての私論を述べよう。 
 その一部分とは「2012年12月に“NHKの依頼”で、津波で母を失った少女を佐村河内氏に引き合わせた」なる箇所である。
 これに関して、2月6日夜放映 NHK「ニュースウォッチ9」のメインキャスター 大越氏より謝罪があった。 その謝罪とは私の記憶によれば、「十分な情報確認もせず、佐村河内氏に関して安易に報道した事実をお詫びする」との内容だったと記憶している。
 国営放送たる者がこの“体たらく状態”であるから、ましてや民放の好き放題を増長しているとの現在の我が国テレビ業界図式と成り下がっていないだろうか?
 と言うよりも、近年どういう訳かNHKこそが民放を模倣して、低俗でも何でもいいから姑息な手段に頼ってでも「特報」をゲットしようと悪あがきしている状態と表現可能か?? 
 報道機関とは、日々身勝手に視聴率が稼げそうな“おいしいネタ”を探し求め全国や諸外国を彷徨っているであろうことは十分想像がつくとしても…。

 そうであるにせよ、報道機関が“美味しい”情報源として“障がい者美談”に飛びつく図式とは今に始まったことではないであろう。
 原左都子の記憶によれば、それは貧富の格差が顕著だった終戦前後頃より既に表面化していた“過ち”ではなかっただろうか。
 敗戦後、国民皆が貧乏を強いられていた時代背景に於いては、「あの子は体が不自由だけど我々は五体満足だからそれだけでも恵まれている!」などとの、大いに“底辺レベルの特権意識”を我ら親ども世代が報道機関より吹聴され、それを恥ずかしげもなく我々次世代に連鎖教育していた記憶があるのだ。
 
 まさか国営放送局たるNHKが現代に及んで尚、旧態依然とした吹聴連鎖“身障者差別感覚”に基づき番組を組んだとは信じたくない。 まさかまさか、そんな過去の負の遺産発想の下で、ニュース番組内で今回の自称「全聾作曲家」である佐村河内氏を、これまた弱者立場にある東日本大震災被災地の一少女に対面させる報道を公開したとは決して思いたくはないが…。

 ところが、である。

 今回の佐村河内氏ゴーストライター氏表明事件判明後のNHKニュース取材が、広島に集中することはやむを得ないとしても…。

 NHKの取材に応じて広島市民が発する声また声とは… 
 皆が皆、「そうだったのですか。全聾の原爆2世が作曲家として活躍していると信じたからこそ激励していたのに、何だか騙された気分です」 この種の反応ばかりがニュース報道で繰り返される始末だ。

 佐村河内氏がもしも「原爆2世」及び「全聾」と表明していなかったならば、そもそもメディアは氏を取るに足りない存在として無視したのか? 
 それ以前の問題として、佐村河内氏の音楽性をメディアは如何に検証したのだろう? もしも報道機関であるNHKや著作権管理機関であるJASRACが早期にその真の実力の程を検証・監修できていたなら、氏やゴーストライター氏の十数年に渡る苦悩や法的責任をこれ程までに悪化させずに済んだであろうに。

 当日メディアから我が身にマイクを突き付けられたならば、私はきっと報道マイクを独占させてもらい、NHKを筆頭とする取材班にその旨を訴えて立ち向かったであろう!

 最後に、原左都子の私見を記そう。

 メディア報道及び世間とは、そもそも「障がい者」たる人物像を頭から誤解してかかっているのではなかろうか?
 ところが私の認識によれば、この世に生を営む彼ら・彼女らの中には、おそらく貴方達同様の理性や感性や、もしかしたらずっと高い知能を有している人物が幾らでも存在するのだ。
 その認識が少しでもあったならば、今回の佐村河内氏の事件も防げたのではないかと憶測する。
 今回の事件に関しては佐村河内氏側及びゴーストライター新垣氏の法的責任はもちろん重いものの、美談を煽り続け一切の疑問を投げかけなかった著作権元とメディア界、及び世間の責任こそを問いたい思いだ。
 結局、儲かって済むなら何でも“食い物”にしようとの、経済界やメディア界が導いた弱者利用の愚かな事件たったのではないかと結論付けたくもなる今回の出来事である。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2014年2月バックナンバーより全文を再掲載したもの。)


 今一度、私論結論を繰り返したい!

 メディア報道及び世間とは、そもそも「障がい者」たる人物像を頭から誤解してかかっているのではなかろうか?
 ところが私の認識によれば、この世に生を営む彼ら・彼女らの中には、おそらく貴方達同様の理性や感性や、もしかしたらずっと高い知能を有している人物が幾らでも存在するのだ。
 その認識が少しでもあったならば、今回の佐村河内氏の事件も防げたのではないかと憶測する。
 今回の事件に関しては佐村河内氏側及びゴーストライター新垣氏の法的責任はもちろん重いものの、美談を煽り続け一切の疑問を投げかけなかった著作権元とメディア界、及び世間の責任こそを問いたい思いだ。
 結局、儲かって済むなら何でも“食い物”にしようとの、経済界やメディア界が導いた弱者利用の愚かな事件たったのではないか、と結論付けたくもなる今回の出来事である。