原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

パーフェクト先生によるパーフェクト実習の記憶

2020年01月16日 | 医学・医療・介護
 本日は、我が医学部時代に於ける恩師・中村観善先生著の「小論文」より離れて、学生時代の中村先生(異名・パーフェクト先生)による厳しい実習の記憶を辿ってみよう。


 中村先生は、過去に於いてインフルエンザワクチンの研究開発にて業績を上げらているご人物だ。
 故に「細菌培養実習」などは、お手の物だったことであろう。
 皆さんはおそらく「無菌操作」の厳しさになど、一生に於いて触れる機会がないことだろう。 あれは実際にその実験に取り組んでこそ身につく生業と実感させられたものだ。
 何分、目的菌以外の雑菌を増殖させてはならない。 その鉄則を中村先生に叩き込んでもらえたものと今尚実感させられる。
 就職後「免疫学」関連業務に携わった私は、免疫細胞培養等に於いてこの「無菌操作」面で、十分に専門力を発揮できたと分析している。


 次に紹介するのは。
 本エッセイ集2011.10.26付バックナンバー 「人類は古代より“究極の正確さ”を求めて彷徨う」と題する学問・研究カテゴリーエッセイを公開している。
 以下に、その一部を引用させていただこう。
 元々医学関係者として私が社会に進出したのは、学生時代にその分野に関連する学問と実習経験を経た後のことであった。
 特に無機化学分野の実験においては要求される単位が想像を絶するほど細かく、0,000… いくらかの精密な測定を余儀なくされたものだ。 当時既に電子測定器もあるにはあったが、その頃は学生の実習において分銅を使用する「上皿天秤」を用いる事が必修だったものだ。
 これが大変だ。 上皿の片側に乗せる分銅(汚染による劣化を回避するため決して直接手ではいじらずピンセット等を用いて天秤皿に乗せる)が大きい場合は扱い易いのだが、これが0,000… の世界に入るとその分銅とは極小の金属破片でしかなく、これを見失わないよう神経を使ったものである。
 片や、測定対象物である試料を天秤のもう片方の上皿に乗せる場合、(これは電子測定器を使用する場合も同様であるが)それが例えば薬瓶に入っている化学物質である場合など薬瓶から取り出すのにも難儀を極めたものである。 粒子状の試料の場合、たとえ目に見えない程の大きさであろうと一粒の粒子が多き過ぎると容量オーバーと相成るのだ。 試料用スパチュラー(さじ)で砕けるものはそうするのだが、水溶性が高い物質など固まり易いし、わずかな湿度でも水分を含有してしまっては精密な測定が不能となる。
 結局、我が過去の学生実習においてどれ程精密度の高い実験が可能だったのか…? と、上記古代オリエント博物館に展示されていた“分銅”を見聞して懐かしく振り返ったりもしたのである。
 この「無機化学実験」も中村先生の指導下に実施された。 それはそれはミクロの世界の厳しい実習だった。  私の場合、就職後は無機化学とは無縁だが、測定の基本としての“ミクロの世界”との闘いの厳しさを、嫌と言うほどに伝授して下さったのもこの中村先生だった。

 番外編として。
 ガラス細工実習も、突発的授業として中村先生が執り行って下さった。
 細いガラス管を熱で引き延ばして「毛細管ピペット」(液体をスポイドで吸い上げるガラス器具)を制作する実習が全学生に課された。 
 これが大変! 熱したガラス管をついつい手で触ってしまって、手が火傷だらけ…  しばらく痛くて参ったが、中村先生の「実験器具も自分で手作りせよ!」なる実験者としてのポリシーの持ち方の程が痛い程伝わった実験だった。

 同じく番外編だが。
 「写真現像」実習もご指導頂いた。  科学者には成果の発表が不可欠だが、特に卒業研究をまとめるに当たり、研究論文に掲載する写真の現像を自身で出来るまでに教育頂いた。

 まだまだある。
 今から40年以上前の時代背景下に於いて、学生がコンピュータプログラム実習に挑むのは未だ珍しい頃だったにもかかわらず。
 先見の明ある中村先生は、我ら学生皆に「FORTRAN」プログラム実習を全員強制として実施して下さった。  我が大学には工学部があったが、その工学部キャンパスまで夏期休暇中に1週間程通い、学生全員が「FORTRAN」プログラムを完成させるミッションを課せられた。
 当時のコンピュータとは実に“つれなかった”ものだ。 学生が作ったプログラムをキーパンチャー氏が打ち込んで下さったものをコンピュータに入れるのだが… 一行でも間違っていると、コンピュータは無情にも“エラー表示”しか返してくれないのだ…
 全員がきちんとコンピュータデータが出るまで、中村先生は付き合って下さったものだ。


 まだあるなあ。

 医学部生には必ずや附属病院実習が課せられるが。 
 中村先生は、病院内のすべての診療科の実習を実行させて下さった。 「内科」「整形外科」「耳鼻科」「眼科」「産科・婦人科」……
 私の場合は卒業後病院へ就職しなかったものの、これら診療科をすべて一時でも見て回れた事実こそが、その後の我が医学民間企業にての業務にも大いに役立ったものである。


 私が未だ愚かな医学部生だった当時は、(何でこれ程までに次から次へと実習が課せられるの??)とその厳しさに辟易とさせられる思いもあったのが正直なところだが…。

 後に教職も経験した我が身として今となっては。
 
 学生の未来にまで視点を広げ、十分なる「医学教育」を成して下さった中村先生の大いなるご存在ご尽力に、感謝の意を表するばかりである。