私、原左都子が2度目の大学を卒業し大学院修士課程に入学したのは、平成2年(1990年)4月の事だった。
その後2年間修士課程経営法学コースにて学業に励み、平成4年3月に「経営法学修士」を取得している。
もしも私が後十数年若い年代であったならば、必ずや法科大学院入学を目指し司法試験にチャレンジしていた事であろう。(後で勝手に言う分には楽でいいねえ。)
我が国に於いて法科大学院制度が発足したのが、2004年の事。
それから13年の年月が経過し、2017年現在では法科大学院の半数が既に撤退(廃止15校、募集停止20校)の現状だそうだ。
早速、朝日新聞本日(2017.7.31)付記事より、法科大学院の現状を以下に要約して引用しよう。
弁護士や裁判官ら法曹人を大幅に増やす狙いで国が設立の旗を振り、ピーク時には74校あった法科大学院の半数が、廃止や募集停止になった事が分かった。
2004年のスタート時に参入を広く認めたが、政府による法曹の需要予測が外れたこともあり、来春に向けて募集を続けるのは39校に留まる。
文科省が15年度から司法試験の合格率などによって大学院への補助金をゼロにする制度を導入したことで、同年度に一気に13校が募集を停止。 一方で、(司法試験合格率が高い)法科大学院に人気が集中した。
この背景には、政府の法曹需要の読み誤りがある。 政府は02年時点で、経済グローバル化や知的財産権分野の拡大で弁護士が足りなくなると見込み、司法試験合格者を3000人規模に増大する閣議を決定。 これを受け、大学は法科大学院を次々と新設した。 政府は16年までにこれに964億円を支援した。
だが、法曹需要は増えなかった。 当初、法科大学院修了者の司法試験合格率を7~8割と見込んだが、最近は2割台にまで低迷している。 そこで、法科大学院へ通わなくても司法試験の受験資格が得られる「予備試験」も開始。 こちらの方の直近の司法試験合格者は全体の約15%を占めている。
(以上、朝日新聞本日の記事より一部を引用したもの。)
一旦、原左都子の私論に入ろう。
冒頭に述べた通り、自ら「経営法学修士」を取得している身にしてあわよくば「司法試験」合格を夢見た時期がある私が、2004年スタートの法科大学院に興味を持たないはずもなかった。
2000年代当初より、各法科大学院の“司法試験合格率”を虎視眈々と新聞紙上で毎年興味深く確認したものだ。
いやいや、その大学院格差とは物凄い開きがあった。 それが大学の偏差値と相関していたかどうかに関する考察は省いたものの、各大学院間での合格率の差とは毎年予想を超えて大きかったのを覚えている。
それにしても国家試験の中で一番厳しい関門であろう「司法試験」合格率が、「法科大学院制度」新設により政府が期待するべくミラクルに急増する訳もなかろう、との懸念もあった。 むしろ、もしもそれがあるとするならば、法科大学院と司法制度間での何らかの“癒着”すら疑われるのではないか、なる懸念すら抱かされたものだ。
しかも当然ながら、大学同様に「法科大学院」間での“教育力の格差”も激しいであろうか、とも予測していた。 その憶測は当たったようで、結果として司法試験合格率の高い法科大学院は今後も生き残る様子だ。 それは学内“教育力の格差”の結果に他ならないのではなかろうか。
さて、私は当エッセイ集2016.7.13 公開のバックナンバーにて、「弱体化・貧困化する弁護士」と題するエッセイを公開している。
その一部を、今一度以下に復習させて頂こう。
「日本最難関資格、弁護士の悲惨な現実」と題するネット情報を見つけた。
早速以下に、要約して紹介する。
最近、弁護士事務所のCMや広告をよく目にするようになった。 テレビでも弁護士は報道番組だけでなく、バラエティー番組などにも頻繁に登場する。
司法試験は長年日本の最難関ライセンスといわれ、それに合格した弁護士は、知的で華やかな職業に見える。 ところが近年、その弁護士の年収が激減している。 日本弁護士連合会が作成している「弁護士白書2015」で発表された弁護士の収入と所得の推移によれば。 所得の中央値を見ると、2006年の1200万円から2014年には600万円と、キレイに半額になっている。
国税庁が発表している、弁護士の申告所得情報から算定した1人当たりの所得額も、概ね同じ傾向を示していることが分かる。 700万円弱といえば、社員数1000人以上の大企業における、大卒・大学院卒者の平均年収とほぼ一致する水準。 1200万円といえば、同じく大企業の部長クラスの平均年収となる。
なぜ弁護士は、儲からない職業になったのか? 答えは明らかで、弁護士の数が増えすぎたからだ。 これは、政府が進めた政策によるものだ。 2002年に閣議決定された「司法制度改革推進計画」では、政策の目玉が法科大学院の創設による司法試験合格者の拡大だった。 司法試験の合格者数を年間3000人程度とすることを目指すそうとしたものだ。
確かにその後司法試験合格者は増え、弁護士数も急増したものの、思ったほど裁判や法律案件は増えなかった。 その結果、弁護士1人当たりの平均取扱事件数は減少し、収入減・所得減につながっている。 おそらく最近合格した人たちの中に、圧倒的多数の貧乏弁護士が発生したのではなかろうか。
しかし、このことは、多くの日本人にとっては、むしろ「幸運な見込み違い」といえるのではなかろうか。 アメリカのように、すぐに訴訟を起こす社会、弁護士が自己PR合戦を繰り広げる社会が、決して日本人が望む幸福な世の中だとは思えない。
依頼者の立場になって真面目に取り組んでいるものの、自己PRに関心がなかったり下手だったりして、貧困化している弁護士がいるのも事実。 それが競争社会といってしまえばそれまでだが、あまり行き過ぎると結局は弁護士業界全体の信頼を失うのではなかろうか。
(以上、ネットより現在の弁護士が置かれている状況に関する情報を引用・紹介したもの。)
原左都子の私事及び私論に入ろう。
米国暮らしの我が実姉の配偶者が米国にて「弁護士」をしている。 本拠地である米国西海岸と東海岸に2つの個人事務所を構え、日々航空便で移動を繰り返しているとのことだ。 姉の話によっても、訴訟が多発する米国(日本やドイツのように「制定法国家」ではなく「判例法国家」だが)では、弁護士数が膨大に多い事実と比例してその報酬は決して多額でもなければ、世間での職業評価度も高くはないらしい。
日本に於いては「弁護士」をはじめとする法曹界(検事や裁判官も含めて)の通過儀式である「司法試験制度」が厳し過ぎる現実だ。 ただそれは我が国が「制定法国家」であるが故に、やむを得ない実態かもしれない。 (進路が刑事・民事のいずれかにもよるが)基本的には六法すべてをマスターせねばならないその負担たるや実に膨大だ。
近年は「司法書士」や「社会保険労務士」等々周辺国家資格が充実し、それら資格取得者が個人開業している事例も目立つ。 その実態すら「弁護士」にとっては 一種の“業務妨害”とも推測可能だ。
このように考察すると、確かに現在の我が国に於ける「弁護士」弱体化・貧困化の事実は、今後に続く困難な課題と言えよう…
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)
本日の朝日新聞別ページにも、弁護士に関する上記我がエッセイ同様の記述がある。
「資格とっても職ない」なる題目の当該記事の一部を以下に紹介するならば…
弁護士など法曹資格を取得しても職がないとのイメージが世間で広がった事もあり、ピーク時からすると競争に敗れた半数近い大学院が退場を余儀なくされた。
その敗者一校である某私立大学院は「少なくとも07年から定員割れが続き、専任教員が15人に対し学生はわずか29名。 文科省からの補助金が頼りだがそれも目標の2.5%にまで削除された。」……
(再び、朝日新聞記事よりごく一部を引用したもの。)
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
おいおい、司法試験受験合格を目指す若き学生達を指導する立場の「法科大学院」側が、それ程弱気でどうするんだ!?!
自分達の教育力の無さを、世間の「資格取っても職ない」なる風評のせいにするとの弱体体質だからこそ、「司法試験」合格なる厳しい現実に打ち勝てる学生が育たないのではなかろうか?!
それにしても、私は「法科大学院」構想は所詮行き詰る運命にあったような気がする。
「制定法国家」である我が国が「判例法国家」である米国等々と弁護士の位置付けが同じであるはずもないのだろう。
我が国に於いて理想的な法曹界人材を育成・確保するには、まだまだ長い年月を要するのかもしれない。
その後2年間修士課程経営法学コースにて学業に励み、平成4年3月に「経営法学修士」を取得している。
もしも私が後十数年若い年代であったならば、必ずや法科大学院入学を目指し司法試験にチャレンジしていた事であろう。(後で勝手に言う分には楽でいいねえ。)
我が国に於いて法科大学院制度が発足したのが、2004年の事。
それから13年の年月が経過し、2017年現在では法科大学院の半数が既に撤退(廃止15校、募集停止20校)の現状だそうだ。
早速、朝日新聞本日(2017.7.31)付記事より、法科大学院の現状を以下に要約して引用しよう。
弁護士や裁判官ら法曹人を大幅に増やす狙いで国が設立の旗を振り、ピーク時には74校あった法科大学院の半数が、廃止や募集停止になった事が分かった。
2004年のスタート時に参入を広く認めたが、政府による法曹の需要予測が外れたこともあり、来春に向けて募集を続けるのは39校に留まる。
文科省が15年度から司法試験の合格率などによって大学院への補助金をゼロにする制度を導入したことで、同年度に一気に13校が募集を停止。 一方で、(司法試験合格率が高い)法科大学院に人気が集中した。
この背景には、政府の法曹需要の読み誤りがある。 政府は02年時点で、経済グローバル化や知的財産権分野の拡大で弁護士が足りなくなると見込み、司法試験合格者を3000人規模に増大する閣議を決定。 これを受け、大学は法科大学院を次々と新設した。 政府は16年までにこれに964億円を支援した。
だが、法曹需要は増えなかった。 当初、法科大学院修了者の司法試験合格率を7~8割と見込んだが、最近は2割台にまで低迷している。 そこで、法科大学院へ通わなくても司法試験の受験資格が得られる「予備試験」も開始。 こちらの方の直近の司法試験合格者は全体の約15%を占めている。
(以上、朝日新聞本日の記事より一部を引用したもの。)
一旦、原左都子の私論に入ろう。
冒頭に述べた通り、自ら「経営法学修士」を取得している身にしてあわよくば「司法試験」合格を夢見た時期がある私が、2004年スタートの法科大学院に興味を持たないはずもなかった。
2000年代当初より、各法科大学院の“司法試験合格率”を虎視眈々と新聞紙上で毎年興味深く確認したものだ。
いやいや、その大学院格差とは物凄い開きがあった。 それが大学の偏差値と相関していたかどうかに関する考察は省いたものの、各大学院間での合格率の差とは毎年予想を超えて大きかったのを覚えている。
それにしても国家試験の中で一番厳しい関門であろう「司法試験」合格率が、「法科大学院制度」新設により政府が期待するべくミラクルに急増する訳もなかろう、との懸念もあった。 むしろ、もしもそれがあるとするならば、法科大学院と司法制度間での何らかの“癒着”すら疑われるのではないか、なる懸念すら抱かされたものだ。
しかも当然ながら、大学同様に「法科大学院」間での“教育力の格差”も激しいであろうか、とも予測していた。 その憶測は当たったようで、結果として司法試験合格率の高い法科大学院は今後も生き残る様子だ。 それは学内“教育力の格差”の結果に他ならないのではなかろうか。
さて、私は当エッセイ集2016.7.13 公開のバックナンバーにて、「弱体化・貧困化する弁護士」と題するエッセイを公開している。
その一部を、今一度以下に復習させて頂こう。
「日本最難関資格、弁護士の悲惨な現実」と題するネット情報を見つけた。
早速以下に、要約して紹介する。
最近、弁護士事務所のCMや広告をよく目にするようになった。 テレビでも弁護士は報道番組だけでなく、バラエティー番組などにも頻繁に登場する。
司法試験は長年日本の最難関ライセンスといわれ、それに合格した弁護士は、知的で華やかな職業に見える。 ところが近年、その弁護士の年収が激減している。 日本弁護士連合会が作成している「弁護士白書2015」で発表された弁護士の収入と所得の推移によれば。 所得の中央値を見ると、2006年の1200万円から2014年には600万円と、キレイに半額になっている。
国税庁が発表している、弁護士の申告所得情報から算定した1人当たりの所得額も、概ね同じ傾向を示していることが分かる。 700万円弱といえば、社員数1000人以上の大企業における、大卒・大学院卒者の平均年収とほぼ一致する水準。 1200万円といえば、同じく大企業の部長クラスの平均年収となる。
なぜ弁護士は、儲からない職業になったのか? 答えは明らかで、弁護士の数が増えすぎたからだ。 これは、政府が進めた政策によるものだ。 2002年に閣議決定された「司法制度改革推進計画」では、政策の目玉が法科大学院の創設による司法試験合格者の拡大だった。 司法試験の合格者数を年間3000人程度とすることを目指すそうとしたものだ。
確かにその後司法試験合格者は増え、弁護士数も急増したものの、思ったほど裁判や法律案件は増えなかった。 その結果、弁護士1人当たりの平均取扱事件数は減少し、収入減・所得減につながっている。 おそらく最近合格した人たちの中に、圧倒的多数の貧乏弁護士が発生したのではなかろうか。
しかし、このことは、多くの日本人にとっては、むしろ「幸運な見込み違い」といえるのではなかろうか。 アメリカのように、すぐに訴訟を起こす社会、弁護士が自己PR合戦を繰り広げる社会が、決して日本人が望む幸福な世の中だとは思えない。
依頼者の立場になって真面目に取り組んでいるものの、自己PRに関心がなかったり下手だったりして、貧困化している弁護士がいるのも事実。 それが競争社会といってしまえばそれまでだが、あまり行き過ぎると結局は弁護士業界全体の信頼を失うのではなかろうか。
(以上、ネットより現在の弁護士が置かれている状況に関する情報を引用・紹介したもの。)
原左都子の私事及び私論に入ろう。
米国暮らしの我が実姉の配偶者が米国にて「弁護士」をしている。 本拠地である米国西海岸と東海岸に2つの個人事務所を構え、日々航空便で移動を繰り返しているとのことだ。 姉の話によっても、訴訟が多発する米国(日本やドイツのように「制定法国家」ではなく「判例法国家」だが)では、弁護士数が膨大に多い事実と比例してその報酬は決して多額でもなければ、世間での職業評価度も高くはないらしい。
日本に於いては「弁護士」をはじめとする法曹界(検事や裁判官も含めて)の通過儀式である「司法試験制度」が厳し過ぎる現実だ。 ただそれは我が国が「制定法国家」であるが故に、やむを得ない実態かもしれない。 (進路が刑事・民事のいずれかにもよるが)基本的には六法すべてをマスターせねばならないその負担たるや実に膨大だ。
近年は「司法書士」や「社会保険労務士」等々周辺国家資格が充実し、それら資格取得者が個人開業している事例も目立つ。 その実態すら「弁護士」にとっては 一種の“業務妨害”とも推測可能だ。
このように考察すると、確かに現在の我が国に於ける「弁護士」弱体化・貧困化の事実は、今後に続く困難な課題と言えよう…
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)
本日の朝日新聞別ページにも、弁護士に関する上記我がエッセイ同様の記述がある。
「資格とっても職ない」なる題目の当該記事の一部を以下に紹介するならば…
弁護士など法曹資格を取得しても職がないとのイメージが世間で広がった事もあり、ピーク時からすると競争に敗れた半数近い大学院が退場を余儀なくされた。
その敗者一校である某私立大学院は「少なくとも07年から定員割れが続き、専任教員が15人に対し学生はわずか29名。 文科省からの補助金が頼りだがそれも目標の2.5%にまで削除された。」……
(再び、朝日新聞記事よりごく一部を引用したもの。)
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
おいおい、司法試験受験合格を目指す若き学生達を指導する立場の「法科大学院」側が、それ程弱気でどうするんだ!?!
自分達の教育力の無さを、世間の「資格取っても職ない」なる風評のせいにするとの弱体体質だからこそ、「司法試験」合格なる厳しい現実に打ち勝てる学生が育たないのではなかろうか?!
それにしても、私は「法科大学院」構想は所詮行き詰る運命にあったような気がする。
「制定法国家」である我が国が「判例法国家」である米国等々と弁護士の位置付けが同じであるはずもないのだろう。
我が国に於いて理想的な法曹界人材を育成・確保するには、まだまだ長い年月を要するのかもしれない。