原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“べっぴんさん(美人)” は得か?

2017年01月27日 | 自己実現
 本日はスポーツジムへ行く予定だったのだが、午後になって急な来客があり行きそびれてしまった。

 そのため少し空き時間が出来たので、軽ノリエッセイでも記して時間潰しをしよう。
 (などと言いつつ、最近の「原左都子エッセイ集」は著者である我が脳の劣化と共に、内容が軟弱化しつつある事実は十分に自覚しております…… )  

 
 朝日新聞1月24日付夕刊記事に、「べっぴんさんって やっぱりお得?」なるコラムがあった。
 今回の表題は、その記事表題をそのままパクったものである。

 その設問に応える形で、読者(?)と思しき3名+1名の女性のご意見が掲載されていた。 以下にそれら一つひとつを紹介しつつ、原左都子の論評を加えよう。

 <その1>  55歳中学校講師氏のご意見から。
 若いうちは美人が得だが、働き出してある程度の年齢になれば買いたいものは自分で買えるし、老いは皆平等にやって来る。 美人は若い頃とギャップがあり過ぎて気の毒かもね。 

 原左都子の論評。
 それは絶対に違う。 決して老いは皆平等にはやって来ない。 まったく別の観点から、老いてこそ人間は美しさを増すものと私は信じこの世を生きて来ているし、今後もそのポリシーの下に生き抜くつもりだ。
 ただ、それには条件がある。 若き時代より如何に自分の人生を自分自身で演出し如何なる努力を積み重ねつつこの世を生き抜くかにより、老いた後の美しさに差が出て当然だろう。

 こんな所で、昨春街でシニア女優にスカウトされた事件を思い出してみよう。
 その後、某化粧品CM出演の最終書類選考に残り、オーディション会場へ行った時の事だ。  私同様街でスカウトされたと思しき熟年女性達が十数名集まっている。 人間観察を得意技とする私は、待ち時間にオーディションに集まった熟年女性達を虎視眈々と観察した。 確かに顔の作りが良かったり、私のように(??)体型に於いてある程度の若さを維持している女性達の集合体であろう事には納得した。 
 ところがどうしたことか、そこに集結したシニア女性達のどなたにも何らの魅力も感じられないのだ。(失礼ながら、いい年をして“そういう事”にしか興味がなさそうな女性陣と表現するべきか…)  要するに街中でスカウトされる女性達とは、あくまでもその外見のみで識別されたに過ぎないという事だ。
 人間の真の美しさとは何か? との原点に立ち戻った場合、面接前よりこんなオーディションに参加した私が愚かだったとの結論しか出ない。 CMに出演する事自体が恥と面接会場で悟った私が、採用される訳もなかった。 

 <その2> 27歳女性のご意見。
 「街コン」に行ったのだが、綺麗な顔をしている女性でも、表情が硬いと男性からあまり声をかけられなかったようだ。 親しみが持てる表情が大事ですよね。 表情美人は得だ。

 原左都子の論評。
 その通り!  若くして素晴らしい事実に気が付きましたね!
 まさに、真の美人とは単に“顔の作りがよい”(これ自体が元々好みが分かれる課題)のではなく、内面から溢れ出る表情こそが相手に訴えるものがある、との論評は我が得意分野だ。 だからこそネットなどで知り合うのではなく、特に若き世代の人々には現世で直に表情豊かに相手と知り合って欲しいものだ。
 ところで「街コン」て何?  それに私も参加したいなあ~~~。

 <その3> 33歳(おそらく美人らしき)女性のご意見。
 メーカーの営業担当のため、見た目は大事と痛感している。 綺麗なだけで会社のPRになる。 ただ、美人だとそれだけで仕事とは関係なく言い寄られることもあるし面倒臭い。
 
 原左都子の論評。
 おおー。そうか、良かったじゃん。 と、とりあえずエールを送りたいものだが、ちょっと待って欲しい気もする。 それ程自分自身が美人であることを自覚しつつ行動する必要もないのではなかろうか?  それって自身が真にやりたいことを実行出来ていない証拠とも結論付けられそうだ。 もしも貴女が自分に課せられた営業分野でバリバリ頑張り始めたならば、きっと貴方の外見的要因のみで言い寄る男も自然に減ると思うよ。

 <その4> 美容ジャーナリスト・エッセイスト氏のご意見。
 今の時代は化粧品も進化して、女性が綺麗になるのがそう難しい事ではなくたった。 普通に美しいのみではもはや得をしない時代かもしれない。 外見の美しさと別の分野で自らの美しさを訴えるのか効果的かも。 本来、美しさのみで得られる幸せとは小さなもの。 外見的美しさのみで人生を変えようなんてしたら失敗する。 生まれつきの美人も、年齢を追うごとに知性とかセンスとかを加えないと、本来の美しさが薄っぺらく見える。 

 原左都子の論評。
 その通りだね。 ただ、そうやって培ってきた美しさを、既に熟年域に達した女性がどうやって世の評価に値するように表面化すればよいのかこそが、困難な課題だと私は思ったりもするよ。
 何分この世に生きる男どもが、その種の視点を一切持っていないのだから。  男達ってあくまでも愚かな生物に過ぎず、本能的に若き女性の美しさに惹かれるのが本音のようだよ。 


 最後に、原左都子の結論で締めくくろう。

 自分自身のブサイク度合いを土俵の外に置き、女の「美人度」を評価したがる男どもが大勢この世に蔓延っている事実を、実に嘆かわしく思う私だ。
 そんな愚かな事態など放っておいて、自分なりの美を追求するに限る!  なる結論が導けそうな気さえして来た。
 
 その上で、“べっぴんさん(美人)は得か?” の結論を導こう。
 自分自身の美人度を自ら見い出せ、それを対人関係に於いて自己表現出来る能力ある女性こそが、“べっぴんさん” なのかもしれない、と思ったりもする。

 参考だが、本来の意味での べっぴん(別嬪・別品)とは、美しい女性のみではなく、特別に良い品物。 との意味合いもある。