原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

誰が “いい子” で、誰が “悪い子” ??

2017年01月21日 | 教育・学校
 子供を“いい子”と“悪い子”とにステレオタイプに二分別したがる人間は、悲しいかな現世にも蔓延っている。
 人は皆、それぞれに個性的で多様な人格を育成中か育成して来ているはずなのに……


 現在これをドラマ内でやらかしているのが、NHK連ドラ「べっぴんさん」主人公のすみれである。
 先週からこのドラマは、すみれの娘さくらと母であるすみれの葛藤を描いている最中だ。 
 ドラマ内の作り話とはいえ、主人公すみれの、母としての愚かさ加減に日々苛立ち嘆かわしく思っている私だ。

 そもそも すみれ には若干の発達障害があり、他者の深層心理を読んだり気付いたりする能力に欠けているキャラとして描かれていると(あくまでも私は)捉えている。 そのため相手が最愛の娘であろうが、その内面に秘めた心理に気付かないのであろう。
 夫紀男が戦争から年月が経過した後に生還した暁にも、その悲惨体験を聞き出してねぎらうでもなく、自分が創設したばかりの服飾組織「キアリス」しか頭になく、それを肯定的に捉えない紀男を非難する言動に出るではないか。 
 そのように、生来的に(手は器用だが)心的に不器用な人間として主人公を描いているドラマ、と私が解釈しているドラマ内のすみれだが…。


 私事に入ろう。

 過去に高校教員経験がある私だが、子供を指導教育する立場の学校現場ですら、すみれのように子供達を“いい子”と“悪い子”に二分別したがる教員は少なからず存在した。
 我が記憶に鮮明なのは、入学試験の合否判定に於いて中学生時に非行行動があったとの内申書を提出している男子生徒に関し、合否採否が分かれた場面だ。
 偶然当該男子生徒の面接を担当した私は、年齢相応に普通に可愛らしい少年との印象を抱いた。 筆記試験も合格点をクリアしているのなら、「合格」決定にして何も問題はないはずだ。
 ところが、合否判定時に一番重要視されたのが、何と!中学校の担任が書いた「内申書」だったのだ。  これには仰天させられ、少年の面接担当だった私はその立場として急きょ少年を弁護し異論を述べた。 ところが、最終的には教職員全員による「挙手多数決判定」に持ち込まれた。 我が思いも届かず、無念にも当該男子生徒は「不合格」扱いとなってしまった……
 どうして本人自身が醸し出す人間像よりも得体の知れない中学担任が書いた「内申書」が優先され、少年を“悪い子”と決定付ける事態を阻止出来なかったのか!?! 未だに後悔が募る出来事である。 


 話題を、連ドラ「べっぴんさん」のすみれとさくらの葛藤に戻そう。

 相変わらず「キアリス」の仕事に翻弄され続けているすみれは、思春期を迎えているさくらの深層心理にまったく気付かない。
 片や、自分には構ってくれずあくまで仕事優先の両親に対し心に影を落としつつも、表面的に“いい子”として振る舞うさくらに対し、すみれは「さくらは本当に“いい子”に育ってくれて助かるわ」と褒めつつ、一切の会話の機会を持とうともしない。
 これにとことん心が痛んださくらは、友人に誘われるがままにジャズ喫茶「ヨーソロー」へ出向く。
 この行動が、結果としてさくらの痛んだ心理状態を救う事となる。
 さくらはその場で良き出会いに恵まれる。 特にドラマーの次郎が気に入ったらしきさくらは、次郎が出演するナイトクラブへ綺麗な化粧とドレス姿に変貌して出没する。 

 ここで再び、原左都子の私事に入らせて頂こう。
 音楽・ダンス好きの私自身も、学生時代には“ダンパ(あくまでも大学学内で開催される学生ロックバンドが演奏するダンスパーティ)”や、上京直後1970年代後半頃には都内ディスコへ足繁く通い詰めたものだ。
 まさか当時、既に大人になっている私のその行動を直接責めた人物など皆無だ。 が、世論としては、その種の行動をとる(特に若き女性)を批判的視線で見る傾向は未だ否めない時代背景だったと記憶している。
 ただ、何処も実際に行ってみて分かることも多いのが事実だ。 私自身、ダンパやディスコ通いをした事がマイナスとなる事などもちろん一切無いどころか、危険な目に遭った事もただの一度も無い。 当時は特に個人情報がオープンに出来た事、加えて若者間でも“語り合う”文化が根付いていた事に感謝したいものだ。 ディスコであれ何処であれ、とにかく出会った者同士がとことん会話を楽しんだものだ。 その結果として、場はどうであれ若き時代に良き人物に出逢えた記憶が今尚鮮明だ。

 ドラマのさくらも一応周囲と語り合え信頼関係を得た上で、ジャズ喫茶内人物達と付き合っているではないか。
 そんなさくらの事情を知ろうともせず、あくまでもそのような場で遊んでいる人種が「悪人」だと言い切る主人公すみれこそが排除されて当然だ。  “一体あんたは何様なんだ。 自分こそが善人と信じて生きている単細胞なのか!” と言い返したくもなるというものだろう。

 そんな折にすみれを説得したのは、(本日放映の場面によれば)ジャズ喫茶のママ(江波杏子氏が演ずるこのママ役の演技力が素晴らしく感動させられる)である。
 ママ曰く、「どうしても親元を離れねばならない若者もこの世には存在するものだ。 それら若者達が自分で世界を開き、自分らの夢に向かって大きく羽ばたく事を応援したい」


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。
 
 私自身も両親が定年までずっと共働きの公務員だったため、さくら同様に小学生の頃まで祖母に面倒を見て貰いつつ育っている。
 ただ、さくらと私の間には大きな違いが存在するのだ。
 それは、さくらの親がさくらにあくまでも“お嬢さん”の人生を歩んで欲しいと願っている事。 それに対し、我が親は我が高校生頃から「自分自身が専門力を身に付け、一生自力で身を立てられる道を行け!」と指南した事だ。
 もちろん、時代背景がさくらの時代より更に進化していたであろう。
 ただこの両親の発言こそが今の我が人生を決定付けていると、感謝している次第だ。


 さてさて、来週からの「べっぴんさん」は如何に変遷するのだろうか??
 我が希望としては、さくらには愚かな親どもなどとっとと捨て去り、恋する次郎と共に上京し、新たな自己実現意欲に目覚め明るくこの世を生き抜いて欲しいものだが…