表題に掲げた文言は、大相撲初場所で初優勝した稀勢の里関が、つい先ほどメディアインタビューに応えて発した一言である。
実は今回の「原左都子エッセイ集」は、まったく別分野のテーマで論評を展開する予定だった。
そんな折に昼のNHKニュースを視聴していていたら、稀勢の里関が興味深いエピソードを話したのだ。
その内容とは親方に関して訪ねられての回答だった。
稀勢の里関曰く、「親方が、“横綱とは孤独な業だ。孤独にならなきゃ強くなれない。” といつも言っていました。」
この発言を取り上げたメディアインタビュー側が、「その意味が分かりますか?」
稀勢の里関応えて曰く、「いや、まだ分かりません。」
心に残る一言であるし、まったく同感だ。
この言葉を聞くなり、私の脳裏には我が長き独身時代中盤頃(20代後半から30代初頭頃)の光景と心情が蘇った。
今回のエッセイは私事になるが、そんな我が「孤独」を意識した時代の光景と心情を語らせて頂こう。
新卒で上京し医学関係民間企業に医学専門職社員として入社し、日々精力的に仕事に励んでいた。
20代半ば頃より、周囲の女性達の結婚・出産退社が相次いだ。 元々結婚願望が希薄だった私故に、その現象自体は二の次の位置付けだった。 というより正直言って(働く意欲が乏しい女性達に職場に居座られるよりも、退職して職場を去ってもらった方が仕事がし易い)程度に受け止めていた。
ただ実際問題、余暇の話相手だった女性達が次々と退社していく。 後輩女性達と仲良くしたいなどとの意志も希望もまったく無い私は、自ずと社内単独行動が多くなる。
それと同時に、当時(1970年代後半時期)は社会がコンピュータシステム化に向けて驀進し始めた頃だ。
我が職場でも業務をシステム化するために大きく動いていたが、元々勉強好きの私はこれに飛びついた。
職場でシステム化に携わる人材を育成するのに便乗した私は、主業である医学業務ももちろんきちんとこなしつつ、情報処理第二種試験を受験したり、英文タイプ2級試験(キーボードを高速打ちするためには不可欠だった。)にチャレンジしたりもした。 (結果のみ記載すると、情報処理試験は惜しくも不合格、英文タイプは合格しその技は現在に至ってパソコン高速打ちに活きている)
そのシステム化に際し、我が部署では私が作成したCOBOLプログラムが何年か作動し業務の一端を支える事と相成った。
あるいは、肝心の医学分野も歴史的変遷を遂げようとしていた頃だ。 医学がモノクローナル抗体分野、そしてDNA分野へとが大きく移ろい行く時代背景だった。
免疫学関連業務に携わっていた私は、免疫学関連各種学会に出席するために全国を飛び回り、当時の免疫学トピックスを発表する諸先生方の追っかけもした。 (本エッセイ集2007年バックナンバー「self or not self」にその詳細を記述しておりますので、ご興味がございましたらご覧下さい。)
そのように意欲的に業務に励み続ける私は、(自然の成り行きだったと考察するのだが)若輩27歳にして職場の係長に任命された。
とにかく専門力こそが一番に要求されねばならない職業分野だ。 我が判断としては私が職場長に任命されて当然と受け止めていた。(と言うのも、周囲を見渡すと、私以上に専門力を上げようと精進している社員は皆無だったと断言できる故だ。 男性社員含め、自分の私的生活を優先したい人物で溢れていた印象がある。)
ただ、部下からの反発にも遭った。
「貴方の独裁的手法が嫌いだ!」と女性部下から直言され、「民間企業とは営利を追求せねばならない使命があり、学校のように“仲良しクラブ”ばかりはやっていられない」と反論した事実も、当エッセイ集バックナンバーにて公開済みだ。
いえいえ、だから私が孤独に陥ったという事では決してない。
我が悩みは、もっとずっと根底に存在した。
そもそも集団迎合意思に欠ける私だ。
このまま民間企業で職場長をするとして、私が継続して頑張り続けた暁には、行く行く営利企業集団をもっと上位で統制せねばならぬ立場になることは目に見えている。
それが私が真に目指す方向か?!? それは絶対に違う!なる思想が我が脳裏を漂い続けていた。
そして私が選択したのは、当該民間企業を退職するとの事実だった。
「逃げた!?」とのご意見もあろう。
ただ、私自身の判断としては若き時代に孤独から「逃げた」のではなく、もっとずっと高位の「孤独」と闘って自己を更に発展させるべき! との自らを戒めつつの次なる未来に続く希望だったと今一度宣言したいのだ。
その後別分野にて学業に励み、当該分野でもある程度は世の役に立ち、現在も引き続き活躍出来ていると自負している私だ。
おそらく私自身は「孤独」とは無関係であろうと思ったりもする。
そんな意地っ張りの私にも、将来に関する孤独の不安は少しある。
ただそれは高齢域に達しようとする人達皆に共通する不安題材であろうと認識しつつ、今後も「孤独」を味方に付けながらこの世を生き抜きたいものだ!
実は今回の「原左都子エッセイ集」は、まったく別分野のテーマで論評を展開する予定だった。
そんな折に昼のNHKニュースを視聴していていたら、稀勢の里関が興味深いエピソードを話したのだ。
その内容とは親方に関して訪ねられての回答だった。
稀勢の里関曰く、「親方が、“横綱とは孤独な業だ。孤独にならなきゃ強くなれない。” といつも言っていました。」
この発言を取り上げたメディアインタビュー側が、「その意味が分かりますか?」
稀勢の里関応えて曰く、「いや、まだ分かりません。」
心に残る一言であるし、まったく同感だ。
この言葉を聞くなり、私の脳裏には我が長き独身時代中盤頃(20代後半から30代初頭頃)の光景と心情が蘇った。
今回のエッセイは私事になるが、そんな我が「孤独」を意識した時代の光景と心情を語らせて頂こう。
新卒で上京し医学関係民間企業に医学専門職社員として入社し、日々精力的に仕事に励んでいた。
20代半ば頃より、周囲の女性達の結婚・出産退社が相次いだ。 元々結婚願望が希薄だった私故に、その現象自体は二の次の位置付けだった。 というより正直言って(働く意欲が乏しい女性達に職場に居座られるよりも、退職して職場を去ってもらった方が仕事がし易い)程度に受け止めていた。
ただ実際問題、余暇の話相手だった女性達が次々と退社していく。 後輩女性達と仲良くしたいなどとの意志も希望もまったく無い私は、自ずと社内単独行動が多くなる。
それと同時に、当時(1970年代後半時期)は社会がコンピュータシステム化に向けて驀進し始めた頃だ。
我が職場でも業務をシステム化するために大きく動いていたが、元々勉強好きの私はこれに飛びついた。
職場でシステム化に携わる人材を育成するのに便乗した私は、主業である医学業務ももちろんきちんとこなしつつ、情報処理第二種試験を受験したり、英文タイプ2級試験(キーボードを高速打ちするためには不可欠だった。)にチャレンジしたりもした。 (結果のみ記載すると、情報処理試験は惜しくも不合格、英文タイプは合格しその技は現在に至ってパソコン高速打ちに活きている)
そのシステム化に際し、我が部署では私が作成したCOBOLプログラムが何年か作動し業務の一端を支える事と相成った。
あるいは、肝心の医学分野も歴史的変遷を遂げようとしていた頃だ。 医学がモノクローナル抗体分野、そしてDNA分野へとが大きく移ろい行く時代背景だった。
免疫学関連業務に携わっていた私は、免疫学関連各種学会に出席するために全国を飛び回り、当時の免疫学トピックスを発表する諸先生方の追っかけもした。 (本エッセイ集2007年バックナンバー「self or not self」にその詳細を記述しておりますので、ご興味がございましたらご覧下さい。)
そのように意欲的に業務に励み続ける私は、(自然の成り行きだったと考察するのだが)若輩27歳にして職場の係長に任命された。
とにかく専門力こそが一番に要求されねばならない職業分野だ。 我が判断としては私が職場長に任命されて当然と受け止めていた。(と言うのも、周囲を見渡すと、私以上に専門力を上げようと精進している社員は皆無だったと断言できる故だ。 男性社員含め、自分の私的生活を優先したい人物で溢れていた印象がある。)
ただ、部下からの反発にも遭った。
「貴方の独裁的手法が嫌いだ!」と女性部下から直言され、「民間企業とは営利を追求せねばならない使命があり、学校のように“仲良しクラブ”ばかりはやっていられない」と反論した事実も、当エッセイ集バックナンバーにて公開済みだ。
いえいえ、だから私が孤独に陥ったという事では決してない。
我が悩みは、もっとずっと根底に存在した。
そもそも集団迎合意思に欠ける私だ。
このまま民間企業で職場長をするとして、私が継続して頑張り続けた暁には、行く行く営利企業集団をもっと上位で統制せねばならぬ立場になることは目に見えている。
それが私が真に目指す方向か?!? それは絶対に違う!なる思想が我が脳裏を漂い続けていた。
そして私が選択したのは、当該民間企業を退職するとの事実だった。
「逃げた!?」とのご意見もあろう。
ただ、私自身の判断としては若き時代に孤独から「逃げた」のではなく、もっとずっと高位の「孤独」と闘って自己を更に発展させるべき! との自らを戒めつつの次なる未来に続く希望だったと今一度宣言したいのだ。
その後別分野にて学業に励み、当該分野でもある程度は世の役に立ち、現在も引き続き活躍出来ていると自負している私だ。
おそらく私自身は「孤独」とは無関係であろうと思ったりもする。
そんな意地っ張りの私にも、将来に関する孤独の不安は少しある。
ただそれは高齢域に達しようとする人達皆に共通する不安題材であろうと認識しつつ、今後も「孤独」を味方に付けながらこの世を生き抜きたいものだ!