鎌倉市在住、尾崎左永子先生の短歌。
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めつむれば またあふれくる 夕光の(ゆうかげの) さくら さながら さくらの浄土 |
第3回鎌倉芸術祭で、ご一緒に展示会をさせていただいたとき、
「 堂前君はどの作品が好き?」とお尋ねになられ、
この、「 めつむれば 」が何故か心に響き、
そのことを申し上げたら、思いがけずに頂戴させていただいた。
尾崎先生のお作、今は私の寝室に飾ってあり、
就寝前、起床時には必ず眺めさせていただいている。
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神社の桜 |
元放送局員の友人Tさんと、いつも我が家にきて下さった白山市在住だったM氏、
1月31日、不慮の事故で逝去された。
「 堂前ちゃんの家に来ると、心から落ち着けてホッとする、」といつも言っ下さった。
彼には障害を持った40歳近い息子さんがいられた。
息子さんは授産施設に行かれていて、事故に遭遇せずに助かったが、
残念なことにM氏はこの世を去った。
「 ワシがどうかなったら息子はどうなるのか、それが心配で、」といつも話され、
私が知っている限りの福祉関係の方策など、その都度お話させて頂き、
とりあえず行動を、と何度も助言させていただいた。
いつも2時間あまり、心の中を、悩みや日々の生活のことを話され、
もう息子が帰る時間だからと、名残惜しそうに帰っていかれた。
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花を添えて |
M氏が不慮の事故に遭われたと知ったのは、S氏の介護で病院にいた時だった。
元放送局員T氏から電話が入り、まさか、どうして亡くなられたのかとS氏と話していた。
1月31日は午後7時に病院を出た。 ラジオを聴きながらの帰宅途中、
ニュースが流れ、間違いなくM氏が亡くなった事実を知った。
あれほど息子さんのことを心配し、その不安などを私にいつも話して下さった。
私の生活のことも気にかけていただき、心配までもして下さった。
が、なぜにこのような不幸がM氏に降りかかるのか。
家にたどり着くまで涙が止まらなかった。
奥様が亡くなられてから数年、家事の全て行い、行きたいところも我慢し、
唯一我が家に来ることだけが楽しみと言って頂いたM氏。
翌日、癌と闘っているS氏に話すと、「 あぁ、かわいそうに、でもなんで?」と。
「 一人残された息子さんはどうなるのだろう?心配だ、」と聞かれたので、
助言や方策など何度も話してあるので、福祉課の人が動いてくれるのでは、
きっと今後の面倒は公の人がお世話してくれると思う、と話した。
その後、癌と闘い、桜が咲く頃までは大丈夫と言われていたS氏、
思いもかけずに死期を早められ、2月16日亡くなってしまった。
この桜、3月16日神社の小枝を保管してあった桜である。
尾崎左永子先生のお作、
「 めつむれば またあふれくる ・・・・・」心に深く染み入ってくる。
お二人の供養になればと、生けた。
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ミサ曲 |
感傷に明け暮れる暇も与えられず、時間が歩みを止めることも無く、
時の流れに逆らわずに仙台・藤崎個展の準備も何とか進め、
何としても良い作品を創作しなければと思っていた矢先、
カトリック教会の聖歌隊リーダーHさんから電話。
4月20日に行われる復活祭で歌うミサ曲の手伝いを、と。
もちろんお手伝いさせていただきますと返答し、毎週土曜夜は金沢へ。
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Regina Coeli |
施設に入居されたA氏、今は大事をとられ無理な活動を控えられていて、
教会に行く途中にある施設に寄ってA氏をお迎えし、一緒に教会へ。
今年の復活祭で歌うミサ曲は3曲。
以前にも歌った曲といわれたが、何だかハッキリと思い出せずにまごまごしている。
Regina Coeli ・ Cantate Domino ・ 復活の続唱Sequence の3曲。
練習時間が十分ではないが、ラテン語の歌詞を覚えるとメロディーがどこかへ。
復活祭まであと3回しか練習日が無い。 何とか歌えるようにしなくては。
信頼を寄せて下さった亡くなった方々のため、心込めて歌いたいと思っている。