4月の誕生日を迎えた途端、「 還暦 」の二文字が浮かんできていた。
しかし東日本大震災と福島原子力発電所爆発で、誕生日どころではなかった。
いつもお世話になっている仙台、私の第二の故郷と言っても過言ではない東北、
誕生日なんて、そしてこの歳になって誕生日なんてどうでも良くなってしまっていた。
東北の方々の安否が心配で、まんじりともせずに過ごした4月だった。
大震災が起きたその日から半年、被災された方々も少しずつ元の生活に戻られ、
余震は続くものの、精一杯生活を立て直されていることをお知らせ頂き、
心より安堵している昨今、17、18日と町内の秋祭りが執り行われた。
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白磁壷 径=約18センチ 高=約30センチ |
「 還暦 」、さてどうしたものかと常々考えていたが、
今日まで無事に生活できたことと、作品を作ってこれたことへの御礼も兼ね、
自作の作品を神社に奉納することに決めた。
青磁にしようか、白磁にしようかと迷っていたが、
やはり神社に奉納する作品、白磁作品に決めた。
神殿の左右対称になるよう、一対を奉納した。
白磁と言っても、私の白磁作品は青白磁色に近い、美しい色合いと自負している。
白磁釉薬をたっぷりと施してある為、とても深い色合いだと思っている。
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箱書き |
作法どおりに箱書きを書き、白磁壷、2本を桐箱に収めた。
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和紙、袋紐かけ |
特注で作ってもらった飛騨高山の山の中で作られた和紙で被い、袋紐を掛けて完成。
16日夕方からの飾りつけに神社へ・・・神社は家のすぐ前の白山神社。
奉納品と同じく還暦のモチも注文してあり、餅屋さんが時間通りに配達してくれた。
町内に住まわれている方々、それぞれの厄年に当たる方々のモチが祭壇に並べられた。
米寿の方のモチは、赤い三段モチ。 同じ還暦の同級生N君と私は二段の赤いモチ。
女性の厄年方々、男性の初老の方々は紅白のモチを奉納。
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神殿 |
17日午後4時、神主さんが来られ祝詞(のりと)とお祓いを受け、
町内役員の方々、厄年に当たる私たちはそれぞれ玉串を神殿に捧げ、
無病息災、今後の安泰、平和な世を願って祭事は終了。
小雨降りのとても蒸し暑い夜だったが、同級生N君と私は皆さんから祝福の言葉を頂き、
とてもなごやかな懇親会が始まった。
役員の方から、ご挨拶と奉納作品の白磁壷の説明をといわれ、
今日まで荒木田町に住まわせて頂き、また仕事もつつがなく順調にさせてもらったこと、
安宅の関、800年祭で献茶式、茶道具一式を作る機会を得たこと。
その献茶式に東大寺貫主が招待されていて、
献茶式に使われた私の作品をお気に召され、
東大寺にも白磁盌が欲しいといわれ、買い上げていただいたことなど説明した。
東大寺がある限り、東大寺の宝物殿に私の作品が永遠に保管されていることも。
60数余軒の荒木田町、私が焼き物の仕事をしている事は知っているが、
九谷の素地を作っているらしい、くらいしかご存じなかった。
今回還暦に当たり、自分の仕事内容を少しお話しさせて頂き、
幾分かご理解いただけた感じがした。
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白山 |
翌18日は湿気が多いながらも気持ちよく晴れ、
あさ7時~8時までの梯(かけはし)川の美化運動、ゴミ拾いが行われ参加した。
17日の秋祭りは小学校の運動会と重なり、子供獅子は翌日に。
18日は天気も良く、子供獅子が町内一軒一軒を回って獅子舞で厄落とし。
「 還暦 」、
何度も頭の中で反復(はんぷく)していたが、どうしても実感が湧かない。
果たして実(じつ)のある生き方をしてきたのかと、自問自答をしてしまった。
テーブルの上には、祭事の時に町内会長から頂いた感謝状。
奉納した「 白磁壷 ・ 一対 」、いつの世になっても神殿に祭られることを願いたい。
久しぶりに姿を見せてくれた穏やかな白山、ご苦労様と言ってくれているように感じた。