今日の早朝、朝刊でディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの訃報を知りました。
ミュンヘン近郊の自宅で死去。享年86歳。
私にとって正に巨星墜つである。
20世紀最高の歌手の一人。特にドイツ歌曲に関しては彼の存在なくして語ることは出来ません。
当ブログでは、フィッシャー=ディースカウの業績、存在の大きさは誰もが知っていることなので、あえてコメントしません。
彼の歌唱は残された多くの録音で語りつがれることでしょう。
ただ私にはフィッシャー=ディースカウには忘れることの出来ない思い出があります。それも私の大学生時代を東京で過ごした青春時代の忘れることの出来ない思い出。
何と生まれて初めて出待ちをしてサインをもらったのがフィッシャー=ディースカウであった。
生まれて初めてサインと言うものをもらったのがフィッシャー=ディースカウ。初めてサインをもらったのが相手が超大物だっただけに、物凄いインパクトがあり、たいへんな年月が経ちましたが、あの時のことは、忘れることが出来ません。
今、私の思い出の品と言うべきサインをしてもらったNHK交響楽団の機関誌「フィルハーモーニー」を取り出して、久し振りにサインを見つめたところ。
NHK交響楽団の定期演奏会。プログラムはバルトークの歌劇「青ひげ公の城」の演奏会形式。ソプラノは夫人のユリア・ヴァラディ、指揮はヴォルフガング・サヴァリッシュ。
チケットの日付けを見ると1977年5月7日の土曜日、午後2時開演のマチネーである。B席で当時2700円であった。
あれから35年の年月が経っている。
演奏会が終わったあと、私にとって神様のような存在のフィッシャー=ディースカウを間近で見てみたいと思い、NHKホールの楽屋口へ脚を運びました。近くから見ることが出来たらいい、サインなど考えもしませんでした。行ってみると楽屋口でいるファンは、ほんの数人。
しばらくしてサヴァリッシュ、ヴァラディ、そしてフィッシャー=ディースカウが姿を現しました。
そして何とサインをし始めたではないか!
色紙など何も準備していなかった私はN響のプログラムと言うべき「フィルハーモニー」を慌てて開いてサヴァリッシュ、ヴァラディとサインをしていただき、いよいよ私の目の前に、あのフィッシャー=ディースカウが立ちました。
本当に緊張しました。ただ、写真などでは見たことがない、たいへん優しい表情だったことを今も、はっきりと憶えています。
夫人のヴァラディにサインをいただいた時、私が日本語で「ありがとうございます」と言ったら、夫人も日本語で「ありがとうございます」と言い返され2人で笑ったことも忘れることができません。それにしても本当に綺麗な方でした。
そしてサインを終えて車に乗り込んだ3人を見送りました。
それにしても5月の心地よい穏やかな陽気のもと、何となごやかな雰囲気だったのでしょう!
あの空気をもう一度吸ってみたい。そんな思いから、その後、何度か出待ちをしましたが、あの時のような心地よく、胸が一杯になったことは残念ながらありません。
当時、フィッシャー=ディースカウとヴァラディは新婚だったので、特別なものがあったのかもしれませんが、間近で大演奏家の持つ強烈なオーラに触れることが出来た忘れることの出来ない思い出です。
大演奏家のオーラは人を幸せにする。その時、教えてもらったと言っていいでしょう。
以上、私のつたない思い出話でした。
次の公休日には残された録音を聴いて、いろいろと思いを馳せることにしましょう。
新聞に夫人のヴァラディのコメントがありました。
「彼は安らかに永眠した」
改めてフィッシャー=ディースカウのご冥福をお祈りします。
ミュンヘン近郊の自宅で死去。享年86歳。
私にとって正に巨星墜つである。
20世紀最高の歌手の一人。特にドイツ歌曲に関しては彼の存在なくして語ることは出来ません。
当ブログでは、フィッシャー=ディースカウの業績、存在の大きさは誰もが知っていることなので、あえてコメントしません。
彼の歌唱は残された多くの録音で語りつがれることでしょう。
ただ私にはフィッシャー=ディースカウには忘れることの出来ない思い出があります。それも私の大学生時代を東京で過ごした青春時代の忘れることの出来ない思い出。
何と生まれて初めて出待ちをしてサインをもらったのがフィッシャー=ディースカウであった。
生まれて初めてサインと言うものをもらったのがフィッシャー=ディースカウ。初めてサインをもらったのが相手が超大物だっただけに、物凄いインパクトがあり、たいへんな年月が経ちましたが、あの時のことは、忘れることが出来ません。
今、私の思い出の品と言うべきサインをしてもらったNHK交響楽団の機関誌「フィルハーモーニー」を取り出して、久し振りにサインを見つめたところ。
NHK交響楽団の定期演奏会。プログラムはバルトークの歌劇「青ひげ公の城」の演奏会形式。ソプラノは夫人のユリア・ヴァラディ、指揮はヴォルフガング・サヴァリッシュ。
チケットの日付けを見ると1977年5月7日の土曜日、午後2時開演のマチネーである。B席で当時2700円であった。
あれから35年の年月が経っている。
演奏会が終わったあと、私にとって神様のような存在のフィッシャー=ディースカウを間近で見てみたいと思い、NHKホールの楽屋口へ脚を運びました。近くから見ることが出来たらいい、サインなど考えもしませんでした。行ってみると楽屋口でいるファンは、ほんの数人。
しばらくしてサヴァリッシュ、ヴァラディ、そしてフィッシャー=ディースカウが姿を現しました。
そして何とサインをし始めたではないか!
色紙など何も準備していなかった私はN響のプログラムと言うべき「フィルハーモニー」を慌てて開いてサヴァリッシュ、ヴァラディとサインをしていただき、いよいよ私の目の前に、あのフィッシャー=ディースカウが立ちました。
本当に緊張しました。ただ、写真などでは見たことがない、たいへん優しい表情だったことを今も、はっきりと憶えています。
夫人のヴァラディにサインをいただいた時、私が日本語で「ありがとうございます」と言ったら、夫人も日本語で「ありがとうございます」と言い返され2人で笑ったことも忘れることができません。それにしても本当に綺麗な方でした。
そしてサインを終えて車に乗り込んだ3人を見送りました。
それにしても5月の心地よい穏やかな陽気のもと、何となごやかな雰囲気だったのでしょう!
あの空気をもう一度吸ってみたい。そんな思いから、その後、何度か出待ちをしましたが、あの時のような心地よく、胸が一杯になったことは残念ながらありません。
当時、フィッシャー=ディースカウとヴァラディは新婚だったので、特別なものがあったのかもしれませんが、間近で大演奏家の持つ強烈なオーラに触れることが出来た忘れることの出来ない思い出です。
大演奏家のオーラは人を幸せにする。その時、教えてもらったと言っていいでしょう。
以上、私のつたない思い出話でした。
次の公休日には残された録音を聴いて、いろいろと思いを馳せることにしましょう。
新聞に夫人のヴァラディのコメントがありました。
「彼は安らかに永眠した」
改めてフィッシャー=ディースカウのご冥福をお祈りします。