水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《惜別》第九回

2010年12月07日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《惜別》第九回

何ゆえ自分は無心なのか…それは天のみぞ知る事柄である。幻妙斎のこと、樋口のこと、況()してや長谷川、鴨下のことは皆目、思い浮かびもせぬ左馬介であった。それは心を凍らせ、全てを忘れようとする刹那の逃避だった。心の奥底には、幻妙斎が病に倒れるなどということは決してないのだ…と否定する見えない欠片(かけら)が存在した。その見えない欠片が左馬介の心を凍らせ、無心にしているのだった。だが、当の本人である左馬介には、そのことが分からない。必死に今後のことを考えねば…と踠(もが)くほど、心が無となるのだった。ふと我に帰れば、左馬介はいつの間にか自分の小部屋へ戻っており、畳の上で大の字を描いていた。眼に飛び込む天井板の節目が妙に今日は大きい…と、まず思った。その次に浮かんだのは、やはり樋口の顔だった。偏屈者とはいえ、今となっては、唯一の頼りとする心の支えなのだ。鴨下では今一、心もとないし、無二の友だった一馬はいない。長谷川とて、腹を割って話せる間柄ではなかった。ただ、心の拠りどころとする樋口が、いつ現れるのかは、全くもって分からない。要は、樋口が一方的に左馬介の顔を見に寄るといった塩梅で、左馬介から樋口の顔を見に行くということは出来ないのだ。樋口が幻妙斎の影番であるとはいえ、幻妙斎の傍らに四六時中、侍っているという訳でもなく、出会いも、ままならない。


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