水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

短編小説集(41)動く[move] <再掲>

2024年09月22日 00時00分00秒 | #小説

 動く前には何らかの発想がある。そのとき弘次は停止していた。何かをしよう・・という思いではないが、ただ動いた。動いていた。動きに意味はなかった。しかし、その目的を持たない単純な動きには、こうしよう…という発想はなく、短絡的な刹那の動きでしかなかった。
 動こうという意志のある動きには一定の律動的な長い動きがある。悪い行いとして法律が定義する場合は、それを心証作為、心証不作為として区分けする。良い行いの場合は、誠意、深意、発意と三段階に分かつ。ただ、善悪何(いず)れの場合においても、その発想自体は表面上、人の目には見えないから、安全→+にも危険→-にもなる不確かな感覚で、捉えどころがないから厄介な概念ではある。では、むしゃくしゃして、刹那的な行為に及ぶ動きはどうなのか・・という問題になる。実は、この動きにも、長い経過時間によってフラストレーションが蓄積された挙句の深層心理の動きという過程(プロセス)を含むのである。だから人が動く場合は、単純にしろ複雑にしろ、心理に働きかける何らかの誘因があるいうことになる。それが+の場合は善行となって具現化し、-の場合は犯行として具現化する訳だ。
 長閑(のどか)に秋雲が流れていた。弘次が動こうとしたのは遠出しようとした発想だった。ふと、時計を見て動きが止まった。長閑な秋雲に心が旅へと誘(いざな)われたが、すでに10時は回っていた。だから動きが止まった。ただ、それだけのことである。別の日にしよう…という想念に押し切られた格好だ。もし逆に、そのプレッシャーに逆行して旅立っていればどうなったか・・。そこには新たな人生の歩みがあったかも知れないのである。むろん、その結果には+-の両方があり、強(あなが)ち、よかったとも悪かったともいえない微妙さを秘めているのだが…。事実、この場合の弘次の判断は正しく、その時刻、走ろうとしていた高速道路は追突事故で大渋滞していたのだ。さらに遅れたかも知れないし、最悪の場合、その事故に巻き込まれていた可能性もあった。人はこれを運がよかったという。
「そうそう、うっかり忘れるところだった…」
 弘次が出かけなかったのは遅くなった時間の原因もあったが、もう一つ、大きな真相が隠されていた。貰(もら)いものの冷やした超高級マスクメロンを食べ忘れていたのだった。食べずして人生を語れようか…という弘次である。…強ち、人は単純な動機で停止したり動いたりするのだ。
 一時間後、雲が流れる秋空の日射しを浴びながら、弘次は美味い極上のマスクメロンを口へと運んでいた。


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