私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
この一週間前頃から、喪中の通知の葉書が来る。
私ぐらいの齢になれば、かって現役時代のサラリーマンの時の先輩、同僚などの親である
ご尊父(そんぷ)、お母様(かあさま)が、ご高齢でお亡くなりなったことの通知が多く、
人生まっとうされて、と思いがある。
ここ数日、家内の友人であった人から、夫XXが62歳で永眠、
などの通知を私は見たりすると、しばらく呆然となる。
昨年の今頃は、ご主人が定年退職の一年前に病死されたと家内宛の通知を受け、
私たち夫婦は30数年前に我が家にご夫婦で来宅したことを思い馳せたりし、
私は悲嘆にくれたのである。
私の現役時代の50代になった頃、同僚が病死して、
お通夜に駆けつけた時、奥様はもとより成人前のお子さんを見た時、
私は思わず涙を流してしまったのである。
その後、私の定年退職の一年前には、先輩のひとりが定年退職後の二年の62歳の若さで病死され、
余りにも早すぎる死に呆然としてお通夜に向ったりした。
昨今、新聞などで平均寿命は男性は78歳、女性は85歳ぐらい、と知ったりすると、
60歳前後でお亡くなりなるのは、余りにも痛ましいのである。
私は55歳を迎える直前に出向となった時、
家内と老後の生活設計をした時に、漠然と定年退職後の10年間だけは五体満足で生かしてくれ、
その後の70歳からは余生である、と深く思ったりした。
そして、私がこの世を去る時のことを、ここ数年思ったりすることがある。
このサイトに於いても、
【 朱紅色、黄色に彩(いろど)れた錦繍の中を散策すれば・・♪ 】
と題して投稿したりしていた。
【・・
私は昼の12時過ぎに、川沿いの遊歩道を歩き、駅前に向った。
秋日和の陽射しの中、落葉樹のたわわな葉はそれぞれに朱紅色、紅色、黄色に染めはじめ、
秋の陽射しを受けて、光輝いている。
そして、枝葉から木漏れ陽を受け、路上を揺らいでいる。
遊歩道は早くも、落葉した朱紅色と黄色のたわわな葉が散り、
わずかに重なり合ったりした中、私は踏みしめながら、
こうした情景を観たりしたが、夢幻の世界にも感じられたのである。
駅前に出た後は、いつものように本屋に寄った。
新刊本コーナーで、
佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(集英社インターナショナル)を見て、
購入することとした。
私はここ数年、著作者の佐野眞一氏の作品を熱愛しながら読んでいたが、
今回の作品の発刊日はうっかりして過ぎてしまったのである。
私は沖縄に関しては、このサイトに数多く綴ってきたが、
日本人のひとりとして、沖縄は誰しも避けて通れない課題と確信しているので、
私なりに深く思いの命題のひとつとなっている。
果たして、敬愛する佐野眞一氏は、どのように沖縄を表現するか、
私にとつては待ち焦がれた本の一冊である。
この後は、買いそびれた総合月刊雑誌『中央公論』である。
『世界史的転換点と日本政治』と題され、
山内昌之・東京大学教授、橋本五郎・読売新聞・特別編集委員の両氏による対談であるので、
政治に疎(うと)く少しボケた私は、いつものように専門家から謙虚に学ぶこととしているのである。
残りの一冊は、中間小説の月刊雑誌の『小説新潮』を目次を見て、
思わず購入してしまったのである。
亡き紀行作家・宮脇俊三氏が美坂哲男氏と対談が再録対談として掲載されて折、
私は未読であったので、愛読者のひとりとして購入した。
このような思いで、3冊を購入して、帰路は再び錦繍に彩られた遊歩道を歩いたのである。
道沿いに所々に木のベンチがあり、私は陽射しを受けたベンチに座り、
携帯灰皿を取り出し、煙草を喫いながら、
朱紅色、紅色、黄色に染めはじめ情景に見惚(みと)れていたのである。
しばらくすると、数ヶ月前、確かこのベンチに座り、少し感じたことが甦ってきたのである・・。
この思いは、【 いつの日にか、命(いのち)果てる時は・・。】と題して、
このサイトに9月10日に於いて掲載しているが、あえて再掲載する。
【・・
総合月刊雑誌の10月号『文藝春秋』、『中央公論』が発売日なので、
私は駅前に散策がてら川沿いの遊歩道を歩き、11時過ぎに出かけたのである。
秋晴れの中、空気も乾燥し、川風が吹いていたので、
少し汗ばむ程度で、心身心地良かったのである・・。
駅前の本屋で、2冊の総合月刊誌を見つめていた時、
特集としては、遙かに今月号も『中央公論』に、私個人としては関心が優(まさ)っていたのである。
ここ数ヶ月の特集のひとつで、
8月号は『高齢者は本当に弱者なのか』、先月の9月号は『満州国と戦後日本の光と影』、
そして今月の10月号として、『大不況時代到来』と題し、副題に『あなたは生き残れるのか』と明示してあった。
この後、季刊秋号として『文藝春秋 SPECIAL』があり、
『素晴らしき日本語の世界』と明記されていたので、心の中は小躍(こおど)りし、購入したのである。
こうして、好きに雑誌を3冊買い求めた後、
スーパーで買物をし、帰路として、再び川沿いの遊歩道を歩いた。
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、少し休息をした・・。
この時に、どうした思いが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、
ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたのである。
この遊歩道で、独りで歩き、
桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、
といった状況を願ったのである。
10年先か数10年先か判からないが、
いずれいつの日にか、命は絶えるのであるが、亡くなる時は、こうした思いもあることは確かである。
・・】
このような思いであったが、こうして 錦繍に彩られた情景を眺めると、
せめて70歳まで五体満足で生かしてくれれば、
あとは余生という思いが、改めて深めたのである。
・・】
このような心情を綴っているが、私の根底としては、
退職後の1年を過ぎた頃、作家・城山三郎氏の『無所属の時間に生きる』の随筆集を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を教訓としている。
《・・
人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、あえて挑むとか、打って出ることも、
肝要となろう。
・・》
私は亡き城山三郎氏の遺(のこ)された言葉を今後の指針として、日々過ごしている。
a href="http://www.blogmura.com/">
この一週間前頃から、喪中の通知の葉書が来る。
私ぐらいの齢になれば、かって現役時代のサラリーマンの時の先輩、同僚などの親である
ご尊父(そんぷ)、お母様(かあさま)が、ご高齢でお亡くなりなったことの通知が多く、
人生まっとうされて、と思いがある。
ここ数日、家内の友人であった人から、夫XXが62歳で永眠、
などの通知を私は見たりすると、しばらく呆然となる。
昨年の今頃は、ご主人が定年退職の一年前に病死されたと家内宛の通知を受け、
私たち夫婦は30数年前に我が家にご夫婦で来宅したことを思い馳せたりし、
私は悲嘆にくれたのである。
私の現役時代の50代になった頃、同僚が病死して、
お通夜に駆けつけた時、奥様はもとより成人前のお子さんを見た時、
私は思わず涙を流してしまったのである。
その後、私の定年退職の一年前には、先輩のひとりが定年退職後の二年の62歳の若さで病死され、
余りにも早すぎる死に呆然としてお通夜に向ったりした。
昨今、新聞などで平均寿命は男性は78歳、女性は85歳ぐらい、と知ったりすると、
60歳前後でお亡くなりなるのは、余りにも痛ましいのである。
私は55歳を迎える直前に出向となった時、
家内と老後の生活設計をした時に、漠然と定年退職後の10年間だけは五体満足で生かしてくれ、
その後の70歳からは余生である、と深く思ったりした。
そして、私がこの世を去る時のことを、ここ数年思ったりすることがある。
このサイトに於いても、
【 朱紅色、黄色に彩(いろど)れた錦繍の中を散策すれば・・♪ 】
と題して投稿したりしていた。
【・・
私は昼の12時過ぎに、川沿いの遊歩道を歩き、駅前に向った。
秋日和の陽射しの中、落葉樹のたわわな葉はそれぞれに朱紅色、紅色、黄色に染めはじめ、
秋の陽射しを受けて、光輝いている。
そして、枝葉から木漏れ陽を受け、路上を揺らいでいる。
遊歩道は早くも、落葉した朱紅色と黄色のたわわな葉が散り、
わずかに重なり合ったりした中、私は踏みしめながら、
こうした情景を観たりしたが、夢幻の世界にも感じられたのである。
駅前に出た後は、いつものように本屋に寄った。
新刊本コーナーで、
佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(集英社インターナショナル)を見て、
購入することとした。
私はここ数年、著作者の佐野眞一氏の作品を熱愛しながら読んでいたが、
今回の作品の発刊日はうっかりして過ぎてしまったのである。
私は沖縄に関しては、このサイトに数多く綴ってきたが、
日本人のひとりとして、沖縄は誰しも避けて通れない課題と確信しているので、
私なりに深く思いの命題のひとつとなっている。
果たして、敬愛する佐野眞一氏は、どのように沖縄を表現するか、
私にとつては待ち焦がれた本の一冊である。
この後は、買いそびれた総合月刊雑誌『中央公論』である。
『世界史的転換点と日本政治』と題され、
山内昌之・東京大学教授、橋本五郎・読売新聞・特別編集委員の両氏による対談であるので、
政治に疎(うと)く少しボケた私は、いつものように専門家から謙虚に学ぶこととしているのである。
残りの一冊は、中間小説の月刊雑誌の『小説新潮』を目次を見て、
思わず購入してしまったのである。
亡き紀行作家・宮脇俊三氏が美坂哲男氏と対談が再録対談として掲載されて折、
私は未読であったので、愛読者のひとりとして購入した。
このような思いで、3冊を購入して、帰路は再び錦繍に彩られた遊歩道を歩いたのである。
道沿いに所々に木のベンチがあり、私は陽射しを受けたベンチに座り、
携帯灰皿を取り出し、煙草を喫いながら、
朱紅色、紅色、黄色に染めはじめ情景に見惚(みと)れていたのである。
しばらくすると、数ヶ月前、確かこのベンチに座り、少し感じたことが甦ってきたのである・・。
この思いは、【 いつの日にか、命(いのち)果てる時は・・。】と題して、
このサイトに9月10日に於いて掲載しているが、あえて再掲載する。
【・・
総合月刊雑誌の10月号『文藝春秋』、『中央公論』が発売日なので、
私は駅前に散策がてら川沿いの遊歩道を歩き、11時過ぎに出かけたのである。
秋晴れの中、空気も乾燥し、川風が吹いていたので、
少し汗ばむ程度で、心身心地良かったのである・・。
駅前の本屋で、2冊の総合月刊誌を見つめていた時、
特集としては、遙かに今月号も『中央公論』に、私個人としては関心が優(まさ)っていたのである。
ここ数ヶ月の特集のひとつで、
8月号は『高齢者は本当に弱者なのか』、先月の9月号は『満州国と戦後日本の光と影』、
そして今月の10月号として、『大不況時代到来』と題し、副題に『あなたは生き残れるのか』と明示してあった。
この後、季刊秋号として『文藝春秋 SPECIAL』があり、
『素晴らしき日本語の世界』と明記されていたので、心の中は小躍(こおど)りし、購入したのである。
こうして、好きに雑誌を3冊買い求めた後、
スーパーで買物をし、帰路として、再び川沿いの遊歩道を歩いた。
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、少し休息をした・・。
この時に、どうした思いが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、
ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたのである。
この遊歩道で、独りで歩き、
桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、
といった状況を願ったのである。
10年先か数10年先か判からないが、
いずれいつの日にか、命は絶えるのであるが、亡くなる時は、こうした思いもあることは確かである。
・・】
このような思いであったが、こうして 錦繍に彩られた情景を眺めると、
せめて70歳まで五体満足で生かしてくれれば、
あとは余生という思いが、改めて深めたのである。
・・】
このような心情を綴っているが、私の根底としては、
退職後の1年を過ぎた頃、作家・城山三郎氏の『無所属の時間に生きる』の随筆集を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を教訓としている。
《・・
人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、あえて挑むとか、打って出ることも、
肝要となろう。
・・》
私は亡き城山三郎氏の遺(のこ)された言葉を今後の指針として、日々過ごしている。
a href="http://www.blogmura.com/">