夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

改めて、『勤労感謝の日』を迎えて・・。

2009-11-23 11:44:44 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、9時過ぎに居間で月刊雑誌『フォーサイト』(新潮社)の12月号を読んでいたのであるが、
くしゃみを八回ばかりしたので、風邪薬を飲み、
2階の寝室の布団にもぐり、この雑誌を深夜2時過ぎ頃まで読んだりしていた。
日本の問題はもとより世界各国の問題の寄稿文を読むと、時が過ぎるのは忘れてしまうのである。
この間、ジャーナリスト・小田博利(おだ・ひろとし)氏の『民主党経済政策「無為の蓄積」が招くもの』を読んだ後、
やはり鳩山首相の言動は高校の生徒会の会長ていど、と思い憂いたりした。

今朝、5時過ぎに目覚めたのであるが、自身に甘え二度寝してしまい、
目覚めたのは7時半過ぎであった。

そして、カレンダーに『勤労感謝の日』と朱記されて折、
思わず恥ずかしくなり、苦笑した。

定年退職した後、私は年金生活で過ごしているので、
この『勤労感謝の日』は、自宅の小庭、付近の遊歩道、小公園の落葉樹が、
紅色、朱紅色、淡い黄色、黄色に彩られる錦繍(きんしゅう)の華やかな情景のピーク、
と思いながら毎年待ち焦(こが)がれているひとりである。

東京郊外に住む私は、この日を境に落葉が吹き寄せのように幾重にも重ねはじめ、
そしてイチョウのたわわな葉が黄色の色合いを深めて、
12月の初旬に落葉して晩秋から初冬に移り変わるのである。

このような思いであるが、私のサラリーマンの現役時代には、
『勤労感謝の日』に際しては、それなりに想いである。


このサイトの一昨年の2007年のこの日には、
【 『勤労感謝の日』の想いで・・♪ 】
と題して投稿していたので、あえて再掲載をする。

【・・
私は民間会社を定年退職した4年生の身であるが、
年金生活をして折、ともすれば曜日の感覚が薄らいでいる・・。

カレンダーを眺めて、『勤労感謝の日』の祭日であったか、と朝に気付いたりしている。


私の30代は、会社の販売締切日がたまたま20日であり、
コンピュータの専任者であったので、『勤労感謝の日』は電算処理の月次作業で追われていた。
経理の決算の担当者と休日出勤務し、
『働けるうちに・・こうしていられるのも・・幸せかも知れない・・』
と私は云いながら、疲れ切っていたが、元気良く社内で働いていた。

40代になると、システムの開発と運営を交差し、
たえず身体も張り、ときには週一回休めれば良い方で、
土日、祭日の休日もなくなって時期が多かった。

50代は他部門に異動したり、後半時期は出向となったりしたが、
相変わらず心身ギリギリまで業務に専念したりし、
サラリーマンを卒業したのである。


昨今、過重労働などと新聞、テレビで視聴すると、私達の時代も同じであった、
と思ったりしている。

ただ、私達の勤めていた40代までは、
日本の経済は躍進していたので、明日に希望が持てる幸運な時代に恵まれていた、
と微苦笑しているのは事実でもある。
・・】

このように投稿したのを読み返して、年金生活の6年生となった今、
微苦笑しているのである。



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コメント
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