夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

《洗濯物、外干しに脚光=乾燥機からエコ重視へ-米》、私は思わず微苦笑して・・。

2009-11-16 16:27:49 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
散策、買物を終えて帰宅し、ネットでニュースを見ていた時、
ひとつのニュースで思わず、微苦笑させられたりである。

時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】の配信記事で、

《 洗濯物、外干しに脚光=乾燥機からエコ重視へ-米 》

と見出しされていた。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
【ニューヨーク時事】
洗濯乾燥機の利用が一般的な米国で、
環境意識の高まりとともに洗濯物の外干しが見直されている。

複数の州で、一部地域に残る外干し規制を撤廃する動きが相次いでおり、
身近なエコの取り組みに道が開かれつつある。

米国では屋外の洗濯物は「景観を阻害」、「貧しさの象徴」といった意識が根強く、
目にすることはまれだ。
洗濯物が干してある地区では家屋の不動産価値が下がるとの声すらあり、
米民間団体「プロジェクト・ランドリー・リスト」によれば、外干しに罰金が科される例もある。

しかし、乾燥機が家庭の電力消費量の少なくとも6%を占めるとの試算もある中、
コロラド、ハワイ、メーン、バーモント各州が今春までに規制の緩和・撤廃法案を可決。
同団体の調査ではメリーランド、バージニアなど8州でも追随する動きがあり、
環境保護や節約を促す流れが強まっている。 

11月16日6時16分配信 時事通信
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は記事を読み終わって、アメリカと日本の文化、風習の違いかしら、
と微苦笑しながら、感じたのである。

私は農家の児として育ち、生家の洗濯物の干し場は宅地の外れの高台で、
陽当りの良い場所にあった。

私が結婚した後、実家の近くに一軒屋を建てた後、
家内は陽当りの良い小庭の一箇所に干し場と決めたのである。

家内に云わせると、乾燥機などよりも遥かに外干しの太陽の陽射しで干した方が、
殺菌はもとより干し上がった後の陽射しの匂い、感触感、肌触りが良い、と明言したりしている。

私達の新婚時代は、賃貸マンションを借用していたが、
ベランダに干し場として、やはり外干しとしていた。

外干しで一番困るのは、天気情報にない急に雨が降りだして、濡れる程度である。

そして、私が現役の55歳から出向となり、少しばかり遠方の勤務地となった時、
私は6時過ぎに家を出て、会社に向ったのである。
家内はせっかく早く起きたのだから、料理、掃除、洗濯などのサイクルを早めたのである。
冬の時節、日の出は6時半過ぎであり、暗い中をいつものように私は6時に出た。
家内は洗濯が終わり、干し場に干したらしい。

私が帰宅するのは早くて夜の9時半であったが、
夜食のひととき、家内は、
『あなたが出かけた後、洗濯物・・いつものように干したの・・
しばらくした後、見に行ったら、バリバリに凍っていたの・・』
と苦笑しながら家内は私に云った。

『エスキモーの人たちと同じだねぇ』
と私は笑いながら家内に云ったりしていた。

『明日からは、日の出が過ぎたら干すわ・・』
と家内は私に微笑みながら云った。

このような体験もあるが、東京の都心の外れで乾燥機が必要なのは、
周辺が自動車などで空気の汚れが酷いか、高齢者で洗濯物が外に干す体力のない人か、
或いは高級マンションでベランダで干すのが禁止されているぐらいと思ったりしている。

しかし、お子様が多いご家庭で梅雨の季節の洗濯物を考えたり、
独身の方で睡眠時間を削り、業務に精務する多忙な人たち、
やはり乾燥機があって、早く洗濯物を乾かすのも必要かしら、と思ったりした。

このような思いで記事を読み終わった後、思ったりしたのであるが、
ともあれアメリカの中流家庭以上の方たちは、一軒屋にある庭は日本より遥かに広く、
外干しの陽射しの中で干した方が良いのに決まっているのに、
変な価値観に囚(とら)われて、お気の毒な方たちと感じたのである。

そして、遅ればせながらアメリカ国民の一部の人たち、
お気づきになったのは、喜ばしい限りだ、と無力な年金生活の私は微笑んだりしている。



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私の幼年期の錦繍(きんしゅう)の想いで・・♪

2009-11-16 10:20:01 | 幼年・少年時代の想いで
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
この時節、朱紅色、黄色に染められた錦繍を迎えているが、
何かしら住宅街の昨今のありふれた樹木の情景で、何かしら物足りないのが本音である。

私はこの調布市の外れに、結婚した5年間を除き、60年ばかり住んでいることになる。
昭和19年に農家の三男坊として生を受け、
地元の小学校に入学したのは昭和26年であった。

この当時の情景は、京王腺の各駅の商店街はあったが、5分ぐらい過ぎると、
畑の状景が広がり、そして田んぼも広く、それぞれ雑木林に囲まれた広い宅地の中に家があった。

晩秋になるこの時節は、サクラ、モミジ、ドウタンツツジ、柿などが朱色に染められ、
ケヤキ、イチョウ、ウメ、コナラ、クヌギ、ユズ等が黄色の色合いとなっていた。
小学生の私は、祖父、父の交流のあった旧家の10数軒のお宅を寄ったりしたが、
殆どこのような樹木が圧倒的に多くあったのである。
私の生まれた家の庭先でも、サクラ以外はこのような情景であった。

特に私は幼心に、コナラ、クヌギの樹木の四季のうつろいが好きで、
そしてサクラよりウメが好きであるので、
親戚の叔父さんから、変わった子だよねぇ、と父に話していたのを微(かす)かに覚えている。
確か昭和27年の頃であったと思われる。

この後、昭和30年の頃になると、都心のベットタウンに変貌しはじめて、
数年後には住宅街となり、旧家の狭くなった宅地にわずか残される状景となった。

ここ10年ぐらい、私は散策したりすると、
遊歩道の小公園、少しばかり離れた都立公園などコナラ、クヌギの樹を見かけと、
私は思わず足を止めて、しばらくたたずみ眺めてたりいる・・。
そして、旅行先で偶然にめぐり逢うと、やはり足を止めて、見つめたりしている。
この後、ときおり私は調布市の外れの農家の児として育ったことは、
まぎれなく確かなことである、と微苦笑を浮かべたりすることもある。

尚、ナナカマドの朱色、そしてダテカンバの黄色に染め上げられるのは、
限りなく美しい日本の光景のひとつであるが、
無念ながら私のふるさとにはなかったのである。

私は北国を旅する時、ため息をして、これ等の樹木のうつろいを眺めたりしている。


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