私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜11時過ぎに、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で、
偶然に『読売新聞 創刊135周年 特集』を見て、しばらくの間、読んだりしていたのである。
私は明治時代が始まって7年後に読売新聞が創刊されたと知り、
それぞれの時代を改めて教示されたのである。
私としては、2日の読売新聞の朝刊に於いて、特集ページで読んだしながら、
特に私が生を受けた昭和19年の頃から、昨今の時代まで、
数多くのそれぞれの出来事に思いを馳せて、ここ一週間を過ごしてきた。
このような思いもあり、このサイトでお読み頂いている方に、
ネットで『読売新聞 創刊135周年 特集』で見られるので、ぜひ見て頂き、
紹介し、転載しょうと思いたったのである。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/135th/index.htm?from=yoltop
☆ 読売新聞 創刊135周年 特集 ☆
しかし、単なる転載であるならば、読売新聞の提灯持ちになるので、少しためらったのである。
『読売新聞 創刊135周年 特集』がたとえ刺身の豪華な盛り合わせであっても、やはり山葵(わさび)があって、
はじめて美味しく刺身も賞味できるので、山葵に相当する最適なことに少しばかり考えたのである・・。
つたない私は、数学者でお茶ノ水女子大学教授を長年勤められた藤原正彦氏の本の数々を思い出したのである。
数年前の私は、藤原正彦氏の本に関しては熱愛者となり、
数学に直接関係のある本以外は殆ど読んできたので、
確か藤原正彦氏は読売新聞の『人生案内』の回答者として、明晰な回答をされ、
単行本となった時、ためらわず購入して深く読んだりしたのであった。
もとより藤原正彦氏は近世の伝統美の志(こころざし)が根底にあり、
数学者としてアメリカ、イギリスの生徒に講義されたり、
真摯な思いで敗戦後のあやふやな日本の脆弱さを憂い、『日本の品格』など数多くの随筆を綴られた方である。
このようにたぐい稀な人であるが、たえずユーモアをまじえた言動に、
私は深く、まぎれない教養を秘めた人と感じながら、多々教示を受けている人である。
私は何かの本で、藤原正彦氏が読売新聞の『人生案内』の回答者として、
ご活躍され、数多くの読書の方たちに好評となっていたのであるが、
突然に降板したことの状況を刺身の豪華な盛り合わせの山葵にしょう、
と考えたのが、真夜中の12時半すぎであった。
この後、私は氏の単行本、文庫など15冊の本の中から、
降板された心情の箇所を探したのであるが、見つからないのである。
私は困ったなぁ、と思いながら、この中のひとつの本をめくり、
しばらく読んだりし、思わず笑い声をあげてしまったのである。
藤原正彦氏が各界の著名人9名の方と対話された『日本人の矜持 ~九人との対話~』(新潮社)である。
http://www.shinchosha.co.jp/book/327406/
『日本人の矜持 ~九人との対話~』(新潮社)
特に笑い転げたのは、作家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の対談であった。
しかし、読書歴が豊富、文化史が多少お詳しい方が読めば、
更に笑える真のユーモワの頂点の傑作である。
私は深夜2時過ぎに高笑いさせられた後、
季刊雑誌の『文藝春秋 SPECIAL』の2008年季刊冬号を取り出して、
『人生相談は小説より奇なり』と題された座談会形式の中で、
藤原正彦氏の『人生案内』の回答者としての降板理由を見つけ出したのが、2時半過ぎで、
これで投稿文が綴れると思い、この箇所を転記したりし、
タイトル名を【『読売新聞「あの時」読者と歩んだ135年』を私は読みながら・・。】
と決定した後、送信が終えたのが3時半過ぎである。
この後、私はたったひとつの投稿文に要したのは、
昨夜の11時過ぎに発案を思い立ち、送信完了は今朝の3時半過ぎであるので、
四時間半の労作に苦笑したりである。
結局、私は布団にもぐり込んだのは、早朝4時過ぎであった。
今朝、目覚めたのは7時半であり、
秋日和の陽射しが射(さ)し込こむ居間で、家内は洗濯機が廻っている間、コーピを飲んでいた。
私は洗面所で顔を洗った後、小窓から玄関の先を見ながら、門扉の付近を見つめたのである。
燃えるゴミの定期日であり、過日の私が孤軍奮闘した草むしりの成果の大きなゴミ袋ふたつ、
日常の家の中のゴミ袋がひとつが収集される指定場所に置いてあった。
ほっとした私は居間に戻り、
『ゴミ袋・・申し訳ない・・XXちゃんと結婚できて・・やっぱり良かったょ』
と私は苦笑しながら、34年ばかり苦楽を共にした家内に云った。
家内は笑いながら、
『そうでしょう・・』
と私に云ったりした。
a href="http://www.blogmura.com/">
昨夜11時過ぎに、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で、
偶然に『読売新聞 創刊135周年 特集』を見て、しばらくの間、読んだりしていたのである。
私は明治時代が始まって7年後に読売新聞が創刊されたと知り、
それぞれの時代を改めて教示されたのである。
私としては、2日の読売新聞の朝刊に於いて、特集ページで読んだしながら、
特に私が生を受けた昭和19年の頃から、昨今の時代まで、
数多くのそれぞれの出来事に思いを馳せて、ここ一週間を過ごしてきた。
このような思いもあり、このサイトでお読み頂いている方に、
ネットで『読売新聞 創刊135周年 特集』で見られるので、ぜひ見て頂き、
紹介し、転載しょうと思いたったのである。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/135th/index.htm?from=yoltop
☆ 読売新聞 創刊135周年 特集 ☆
しかし、単なる転載であるならば、読売新聞の提灯持ちになるので、少しためらったのである。
『読売新聞 創刊135周年 特集』がたとえ刺身の豪華な盛り合わせであっても、やはり山葵(わさび)があって、
はじめて美味しく刺身も賞味できるので、山葵に相当する最適なことに少しばかり考えたのである・・。
つたない私は、数学者でお茶ノ水女子大学教授を長年勤められた藤原正彦氏の本の数々を思い出したのである。
数年前の私は、藤原正彦氏の本に関しては熱愛者となり、
数学に直接関係のある本以外は殆ど読んできたので、
確か藤原正彦氏は読売新聞の『人生案内』の回答者として、明晰な回答をされ、
単行本となった時、ためらわず購入して深く読んだりしたのであった。
もとより藤原正彦氏は近世の伝統美の志(こころざし)が根底にあり、
数学者としてアメリカ、イギリスの生徒に講義されたり、
真摯な思いで敗戦後のあやふやな日本の脆弱さを憂い、『日本の品格』など数多くの随筆を綴られた方である。
このようにたぐい稀な人であるが、たえずユーモアをまじえた言動に、
私は深く、まぎれない教養を秘めた人と感じながら、多々教示を受けている人である。
私は何かの本で、藤原正彦氏が読売新聞の『人生案内』の回答者として、
ご活躍され、数多くの読書の方たちに好評となっていたのであるが、
突然に降板したことの状況を刺身の豪華な盛り合わせの山葵にしょう、
と考えたのが、真夜中の12時半すぎであった。
この後、私は氏の単行本、文庫など15冊の本の中から、
降板された心情の箇所を探したのであるが、見つからないのである。
私は困ったなぁ、と思いながら、この中のひとつの本をめくり、
しばらく読んだりし、思わず笑い声をあげてしまったのである。
藤原正彦氏が各界の著名人9名の方と対話された『日本人の矜持 ~九人との対話~』(新潮社)である。
http://www.shinchosha.co.jp/book/327406/
『日本人の矜持 ~九人との対話~』(新潮社)
特に笑い転げたのは、作家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の対談であった。
しかし、読書歴が豊富、文化史が多少お詳しい方が読めば、
更に笑える真のユーモワの頂点の傑作である。
私は深夜2時過ぎに高笑いさせられた後、
季刊雑誌の『文藝春秋 SPECIAL』の2008年季刊冬号を取り出して、
『人生相談は小説より奇なり』と題された座談会形式の中で、
藤原正彦氏の『人生案内』の回答者としての降板理由を見つけ出したのが、2時半過ぎで、
これで投稿文が綴れると思い、この箇所を転記したりし、
タイトル名を【『読売新聞「あの時」読者と歩んだ135年』を私は読みながら・・。】
と決定した後、送信が終えたのが3時半過ぎである。
この後、私はたったひとつの投稿文に要したのは、
昨夜の11時過ぎに発案を思い立ち、送信完了は今朝の3時半過ぎであるので、
四時間半の労作に苦笑したりである。
結局、私は布団にもぐり込んだのは、早朝4時過ぎであった。
今朝、目覚めたのは7時半であり、
秋日和の陽射しが射(さ)し込こむ居間で、家内は洗濯機が廻っている間、コーピを飲んでいた。
私は洗面所で顔を洗った後、小窓から玄関の先を見ながら、門扉の付近を見つめたのである。
燃えるゴミの定期日であり、過日の私が孤軍奮闘した草むしりの成果の大きなゴミ袋ふたつ、
日常の家の中のゴミ袋がひとつが収集される指定場所に置いてあった。
ほっとした私は居間に戻り、
『ゴミ袋・・申し訳ない・・XXちゃんと結婚できて・・やっぱり良かったょ』
と私は苦笑しながら、34年ばかり苦楽を共にした家内に云った。
家内は笑いながら、
『そうでしょう・・』
と私に云ったりした。
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