夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

深夜、私は『藤原正彦(ふじわら・まさひこ)氏の本』に彷徨(さまよ)いながら・・。

2009-11-10 16:24:41 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜11時過ぎに、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で、
偶然に『読売新聞 創刊135周年 特集』を見て、しばらくの間、読んだりしていたのである。

私は明治時代が始まって7年後に読売新聞が創刊されたと知り、
それぞれの時代を改めて教示されたのである。

私としては、2日の読売新聞の朝刊に於いて、特集ページで読んだしながら、
特に私が生を受けた昭和19年の頃から、昨今の時代まで、
数多くのそれぞれの出来事に思いを馳せて、ここ一週間を過ごしてきた。

このような思いもあり、このサイトでお読み頂いている方に、
ネットで『読売新聞 創刊135周年 特集』で見られるので、ぜひ見て頂き、
紹介し、転載しょうと思いたったのである。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/135th/index.htm?from=yoltop
 ☆ 読売新聞 創刊135周年 特集 ☆


しかし、単なる転載であるならば、読売新聞の提灯持ちになるので、少しためらったのである。


『読売新聞 創刊135周年 特集』がたとえ刺身の豪華な盛り合わせであっても、やはり山葵(わさび)があって、
はじめて美味しく刺身も賞味できるので、山葵に相当する最適なことに少しばかり考えたのである・・。

つたない私は、数学者でお茶ノ水女子大学教授を長年勤められた藤原正彦氏の本の数々を思い出したのである。
数年前の私は、藤原正彦氏の本に関しては熱愛者となり、
数学に直接関係のある本以外は殆ど読んできたので、
確か藤原正彦氏は読売新聞の『人生案内』の回答者として、明晰な回答をされ、
単行本となった時、ためらわず購入して深く読んだりしたのであった。

もとより藤原正彦氏は近世の伝統美の志(こころざし)が根底にあり、
数学者としてアメリカ、イギリスの生徒に講義されたり、
真摯な思いで敗戦後のあやふやな日本の脆弱さを憂い、『日本の品格』など数多くの随筆を綴られた方である。
このようにたぐい稀な人であるが、たえずユーモアをまじえた言動に、
私は深く、まぎれない教養を秘めた人と感じながら、多々教示を受けている人である。

私は何かの本で、藤原正彦氏が読売新聞の『人生案内』の回答者として、
ご活躍され、数多くの読書の方たちに好評となっていたのであるが、
突然に降板したことの状況を刺身の豪華な盛り合わせの山葵にしょう、
と考えたのが、真夜中の12時半すぎであった。

この後、私は氏の単行本、文庫など15冊の本の中から、
降板された心情の箇所を探したのであるが、見つからないのである。

私は困ったなぁ、と思いながら、この中のひとつの本をめくり、
しばらく読んだりし、思わず笑い声をあげてしまったのである。
藤原正彦氏が各界の著名人9名の方と対話された『日本人の矜持 ~九人との対話~』(新潮社)である。

http://www.shinchosha.co.jp/book/327406/
『日本人の矜持 ~九人との対話~』(新潮社)

特に笑い転げたのは、作家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の対談であった。
しかし、読書歴が豊富、文化史が多少お詳しい方が読めば、
更に笑える真のユーモワの頂点の傑作である。


私は深夜2時過ぎに高笑いさせられた後、
季刊雑誌の『文藝春秋 SPECIAL』の2008年季刊冬号を取り出して、
『人生相談は小説より奇なり』と題された座談会形式の中で、
藤原正彦氏の『人生案内』の回答者としての降板理由を見つけ出したのが、2時半過ぎで、
これで投稿文が綴れると思い、この箇所を転記したりし、
タイトル名を【『読売新聞「あの時」読者と歩んだ135年』を私は読みながら・・。】
と決定した後、送信が終えたのが3時半過ぎである。

この後、私はたったひとつの投稿文に要したのは、
昨夜の11時過ぎに発案を思い立ち、送信完了は今朝の3時半過ぎであるので、
四時間半の労作に苦笑したりである。

結局、私は布団にもぐり込んだのは、早朝4時過ぎであった。

今朝、目覚めたのは7時半であり、
秋日和の陽射しが射(さ)し込こむ居間で、家内は洗濯機が廻っている間、コーピを飲んでいた。

私は洗面所で顔を洗った後、小窓から玄関の先を見ながら、門扉の付近を見つめたのである。
燃えるゴミの定期日であり、過日の私が孤軍奮闘した草むしりの成果の大きなゴミ袋ふたつ、
日常の家の中のゴミ袋がひとつが収集される指定場所に置いてあった。

ほっとした私は居間に戻り、
『ゴミ袋・・申し訳ない・・XXちゃんと結婚できて・・やっぱり良かったょ』
と私は苦笑しながら、34年ばかり苦楽を共にした家内に云った。

家内は笑いながら、
『そうでしょう・・』
と私に云ったりした。







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『読売新聞「あの時」読者と歩んだ135年』を私は読みながら・・。

2009-11-10 03:29:25 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
去る2日の読売新聞の朝刊を読んでいたのであるが、15ページから26ページに及び何か特集らしい紙面で、
私は思わず見たのである・・。

《 読売新聞「あの時」読者と歩んだ135年 》

と大きく見出しされ、私は左隅にを見て、

《 創刊135周年 》

と大きく明示されていたので、
私が40年ばかり購読している読売新聞も創刊135年も過ぎたのか、
と思いながら、各特集記事をここ一週間を読んだりした。

そして私の幼年期の頃、大学中退、青年期、サラリーマンの現役時代の悪戦苦闘していた時、
リストラ旋風、定年退職時・・
さまざまなことを人生の苦楽と共に思い馳せられ、深く読んだりしたのである。


この中で、読者からの人生相談の『人生案内』を読んだりすると、その時代の社会風潮が反映されて、
私は微苦笑させられたりする。

この中で回答者として私は破格な良識ある教養人と感じたのは、
数学者の藤原正彦(ふじわら・まさひこ)氏であり、1998年~2000年に担当されていて、
当時の私は、多忙なサラリーマンであったので、無念ながら見逃したのである。

後年、この藤原正彦氏の『藤原正彦の人生案内』(中央公論新社)の単行本になった時、
2006年11月中旬に偶然に本屋で見かけ、買い求めて深く精読した結果である。

http://www.chuko.co.jp/tanko/2006/11/003787.html
☆ 藤原正彦・著の『藤原正彦の人生案内』(中央公論新社) ☆


しかし、世の中には不思議なことが起きるのである。
何かある団体の抗議されて、結果として回答者を降板された、と私は別の本で学んだのである。

季刊雑誌の『文藝春秋 SPECIAL』の2008年季刊冬号に於いて、
大特集として人生相談があり、
『人生相談は小説より奇なり』と題された座談会形式で、
作家・出久根達郎(でくね・たつろう)、ノンフィクション作家・久田恵(ひさだ・めぐみ)、
お茶ノ水女子大学教授(当時)・藤原正彦の三氏が、ベテランの回答者として座談会の記事である。

この中で、藤原正彦氏の発言に於いて、
《・・
私は相談者からの抗議は皆無ですが、一度、別の筋からありましてね。

相談は20代の女子学生からで、
お父さんが家族の食事中に遅く帰ってきて、「お茶をくれ」だの「漬物を出せ」と言う。
みんなでテレビを見ていても、チャンネルを変えてしまう。
いろいろ命令されて嫌だと言うですね。

私は、朝早く出て遅くまで働いて帰ってきたお父さんが、
年頃の娘に手伝いを命令するのは当り前中の当り前だ。
自由と平等は基本的人権の中に存在するのみで、
家庭では親は子ともより偉いし、学校では先生は生徒より偉いんだ、
と書いたんです。

そうしたら、ある団体が突っかかってきて、
藤原正彦の人権感覚はどうなっているのかと、私ではなくて読売新聞に抗議が来たんですね。

そうしたら読売の上層部が真っ青になって謝りに行ったらしい。

私は後でそれを聞いて、あれは私が自分の名前で書いた文章だから、私に抗議すればいい、
そしたら突っぱるだけで、どうして読売の人が謝りに行くのかと聞いたんです。

読売としては、やっぱり不買運動されたりしたら困ると言うんですね。

実は、それが原因で私は回答者をやめたんです。
自分の信ずるところも書けなくて、
親が子どもより偉いという当たり前のことも言えないようでは、
人生相談もクソもないですからね。
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

この団体は私は知らないが、推測すると、
学歴ばかり高い人たちが集まっているが、心の節度が欠落した程度の低い方たち、と感じたのである。

少なくとも、ご自分がこのように感じたならば、団体に頼らず、
ご自分の名前を明記して、回答者と編集権のある読売新聞社に抗議文を出すのが、
マーナーと私は思っている。

私は団体組織の功罪を少し学んできたので、あえて記載したのである。


このようなことは極端なひとつのケースで恐縮であるが、
ひとりの読者の感じること、受けとめること、或いは記事を発行する新聞社・・
光と影はどの世界でも存在すると微苦笑して、
私はこよなく読売新聞を読んでいる。

尚、上記の『読売新聞「あの時」読者と歩んだ135年』の特集記事と、
ほぼ同様なのは、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で掲載されている。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/135th/index.htm?from=yoltop
 ☆ 読売新聞 創刊135周年 特集 ☆




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