夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

キユーピーの工場は、『新世界』のメロディーと共に・・。

2009-11-06 17:37:10 | 幼年・少年時代の想いで
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、思わず微笑をしたのである。
『武蔵野版』の中のひとつの記事であり、

     《キユーピー 仙川工場 閉鎖へ 》

と見出しされた記事である。

私は調布市には結婚前後5年を除き、60年間ばかり住む、
私なりにキユーピーの仙川工場には思いでがあるので、精読した。

無断であるが、この記事を転記させて頂く。


キユーピーは、調布市の仙川工場(仙川町2)を、2011年3月をめどに閉鎖すると発表した。
半世紀以上にわたって地域に親しまれた老舗工場の閉鎖に、
地元関係者からは惜しむ声が上がっている。

同工場は1951年操業開始。
1961年から始まった工場見学では、製造工程をそのまま見られる点が人気を呼び、
地元小学校の社会科見学を中心に、年間約2万人の見学者を受け入れてきた。
また、季節に合わせて衣装が替わる、工場入り口の特大キユーピー人形も、
通行人らの目を楽しませてきた。
市産業振興課は「『調布を代表する企業』というイメージがあったのに」と残念がる。

同社広報室によると、工場再編に伴う閉鎖で、
同工場で製造していたマヨネーズを茨城、兵庫県の2工場で、
卵加工品を府中市などで製造することになり、年間9億円のコスト削減が見込まれるという。

ただ、跡地は売却せず、グループ内で活用するという。
調布市商工会の原島芳一会長(70)は、
「寂しいが、完全に撤退する訳ではないので、
今後も、良いお付き合いができれば」と話した。

注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は調布市で農家の三男坊として、1944(昭和19)年に生を受けた。
そして、1951(昭和26)年の春に地元の京王線の金子駅(現在・つつじヶ丘駅)の近くにある小学校に入学した。

この当時の情景は、駅周辺は商店街があったが、この街を過ぎると、田畑が広がり、
雑木林などで緑豊かな地域であった。

私の生家は金子駅より15分ばかり歩いた処で、
程ほど広い田畑、竹林、雑木林があり、祖父と父が中心となって農業をしていた。
田畑の中に1メートルぐらいの川幅のある小川が流れ、長兄、次兄たちに竹に針を付けたりして、
ときおり鰻(ウナギ)を釣り上げたりしていた。

私は小学校を下校する時、ときおり遠回りして帰宅した。
校門を出て新宿駅方面のひと駅は仙川駅であり、この間の周辺を歩いた。
校門から少し歩くと畑道があり、その先は田んぼのあぜ道であった。
そして前方に丘のように少し切立った国分寺崖があり、この高台に仙川地域となっていた。
この間の田んぼのあぜ道の近くに流れる小川を眺めたり、
或いは崖下の小道を歩き、湧き水を見つめたりしていた。
そして授業の図画の写生の時などで、先生に連れられて、
崖の周辺の丘陵にあった高射砲台の跡地の見晴らしの良い場所で、クレヨンで描いていた。

こうした時代にキユーピーの工場ができたのであるが、
仙川、金子の駅の周辺から15分前後の地域が、次第に都心のベットタウンに変貌するのは、数年後であった。

いつの頃か確かでないが、夕暮れになる頃、
何かもの悲しいが何か先が明るいような不思議なメロディーが、私の家の畑からも聞こえたのである・・。

学校の小学3年の級達とお互いに何だろうなぁ、噂をしていた時、
音楽の女の先生が、
『あの丘陵に建った工場から夕方に流れるメロディのことねぇ・・
あなた達には・・少し難しいけれど・・ ドヴォルザークという作曲家の『新世界』なのょ・・』
と先生は私達に教えてくれた。

『先生・・ドヴォル・・何とか云う人・・難しくて・・解かねぇけれど・・
何となく悲しいようで・・でも、明るいような・・』
と私は先生がかっこいいので、無理に言葉を重ねていた。

その後、周辺は都心のベットタウンと急速に変貌し、田畑が消えうせたのである。


私はキユーピーの工場と聞くと、今でもドヴォルザークの交響曲第9番 「新世界より」 第2楽章を重ねてしまうのである。
そして、今回のキユーピーの仙川工場の閉鎖を知り、私は小学生の頃の情景を思い浮かべたのであった。


http://www.youtube.com/watch?v=ZI-d96nZ-NI
☆ ドヴォルザークの交響曲第9番 「新世界より」 第2楽章 ☆


http://www.kewpie.co.jp/index.html
参照・・キユーピー




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私は思わず、中島みゆき様の『黄砂に吹かれて』を心の中で唄えば・・。

2009-11-06 11:22:20 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
過ぎし11月2日の朝、読売新聞の朝刊を読んでいたら、思わず微笑をしたのである。

秋の褒章が政府より発表された中で、紫綬褒章を受賞された数多くの著名人の中で、
私は興味を持ったのは、シンガー・ソングライターの中島みゆきさん、作曲家・久石譲さんであった。
何かしら紫綬褒章という褒章は、学術、芸術上の発明、改良、創作について事績著名な者に授与される、と政府は明記されているが、
両氏は長年に音楽の創作をされ、多くの方に感動、そして感銘さえ与えたのであるから、
私が政府の選定委員であったならば、少なくとも文化勲章を贈呈するぐらい功績のある両氏である。

このような思いで、私は紫綬褒章を受賞された両氏のコメントされた記事が掲載されていたので、
私なりに深く精読した・・。

無断であるが読売新聞の記事を転記させて頂く。


   シンガー・ソングライター 中島みゆきさん(57)

思いがけずうれしいことの表現に「棚からボタ餅」と申しますが、
今の私の気持ちは、ボタ餅どころではございません。
「棚から本マグロ」。
これくらいのの驚きでございます。

ふつう、何かをいただけそうな場合は、まあ2度くらいは辞退して、
それでもとおっしゃるなら頂戴するのが、日本人の奥ゆかしいマナーなのでございましょうが、
この度のような褒章となりますと、
到底「ふつう」ではないことですので、即座に「いただきます!」とお返事しました。

お世話になってきたたくさんの皆様に、心より感謝申し上げ、
これを励みに、より一層、元気いっぱい歌い続けて行きたいと思います。

注)記事の原文をあえて改行を多くした。

私は中島みゆき様らしいユーモアをまじえながらのメッセージに好感した。


     作曲家 久石譲さん(58)

(略)

作曲については、
「昼過ぎに仕事場へ入ると、夜には世の中に存在しなかった曲ができあがる。
それが素晴らしい」
と語る。

(略)


この方には私はたまたまレコード会社の管理畑に勤めていたので、
たった一度だけロービーでお会いし、謙虚の人、と私は感じた人であった。
今回のこの方の作曲の思いこそ、どの世界の創作者の根底にある哲学であり、
私は素直に創作者に敬意を深めたのである。


翌朝の『文化の日』にいつものように、読売新聞の編集手帳を読んでいたら、微笑をしたのである。

この記事と同一が、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されているので、
無断ながら転載させて頂く。


11月3日付 編集手帳

村を出ては戻り、ふるさとに愛憎を抱く中年女性みどり(林美智子)が、
幼なじみの五郎(田中邦衛)と酒を飲み、つぶやく。
「中島みゆきって、いくつなンだろ」

テレビドラマ「北の国から」(脚本・倉本聰)第16話のひとこまである。
「何ともたまンない歌なンだよね」と、中島さんの「異国」を口ずさむ。
〈忘れたふりを装いながらも/靴をぬぐ場所があけてある ふるさと〉。
こういう人生の陰翳(いんえい)を歌にできる人は何歳なのだろう、と。

ドラマの放送は28年前、歌が作られたのはさらに前、中島さんは二十代である。
ひとの何倍も生きてきたような、ありとあらゆる心の傷を経験したような、
当代の“歌姫”には不思議な趣がある。

中島さんが紫綬褒章に選ばれた。
驚きはボタ餅以上、棚から本マグロでございます――と、喜びのコメントにある。
「わかれうた」「時代」「悪女」「地上の星」…記事を読みつつ、
唇によみがえらせたメロディーは人さまざまであったに違いない。

本マグロを栄養にして、みどりのセリフではないが、
胸のうずく「何ともたまンない歌…」を、また聴かせてくれるだろう。

(2009年11月3日01時35分 読売新聞)

注)記事の原文をあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20091103-OYT1T00117.htm

私は『編集手帳』を綴られた方は、50代の人かしらと思い、
解かる人は解かるよなぁ・・と深く共感したのである。


この後、年金生活の私は買物専任者の身であり、
いつものように家内よりスーパーのチラシに購入対象商品に赤丸の印を付けもらい、
駅前に向かい出かけたのである。

いつもより早い9時半過ぎであったが、先着XXX様までの購入対象商品が多かったので、
気をしきしめながら大通りの歩道を歩きだした・・。

陽射しのまぶしい中、車道と歩道の境界線に植えられた薄紅色に染められたハナミズキの樹木を幾重に眺め、
祭日の朝のせいか、人影も少なく私は思わず心の中でひとつの歌を唄っていた。

♪黄砂に吹かれて 聴こえる歌は
 忘れたくて忘れた 失くしたくて失くした

【『黄砂に吹かれて』 作詞・中島みゆき 作曲・後藤次利 唄・中島みゆき 】

私はどうして中島みゆきちゃんなの、と思いながら、
紫綬褒章を受賞された中島みゆきさんのメッセージと『編集手帳』の記事が脳裏に残っていたので、
こうしたことが心に発露されたのかしら、と微笑んだのである。


♪眠りを破って 聴こえる歌は
 わかっているつもりの 紛らせてるつもりの
 ひとつだけの歌

【『黄砂に吹かれて』 作詞・中島みゆき 作曲・後藤次利 唄・中島みゆき 】

そして私は、心の中で唄いつづけて、駅前に向ったのである。


http://www.youtube.com/watch?v=j-Wnr6d7PWQ
☆【『黄砂に吹かれて』 作詞・中島みゆき 作曲・後藤次利 唄・中島みゆき 】☆


尚、私はこれまでの人生の折り目に何かと中島みゆきさんの歌にささえられて、
幾多の困苦も乗り越えてきたので、このサイトに於いても数多く投稿しているひとりである。


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