夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『目には青葉・・』・・♪    《初出2007.5.4.》

2008-05-12 22:05:41 | 食べ物、お酒
東京の郊外は、初夏のような陽気となり、
日中は26度前後の日を迎えている。

私は『みどりの日』か、とカレンダーで確認し、
主庭を下り立ち、煙草を喫いながら、樹木を眺めたりした。

目には青葉 山ほととぎす はつ松魚(かつお)

どういう思いなのか、江戸時代の俳人・山口素堂の創作された句が浮んだりした。

現代の俳壇の雄である長谷川 櫂・氏の解説に寄れば、


鰹(かつお)は春、黒潮に乗って日本の南岸を北上し、
初夏、関東の沖に達する。
『かまくらにて』と前書がある。
目にしみるような青葉の山で時鳥が鳴き、浜は初鰹の漁で賑わっている。
鎌倉の初鰹はただちに江戸に運ばれ、高値で売りさばかれた。


このような解説が綴られている。


江戸時代から、この時節に里山の若葉きらめく樹木を誉(ほ)め、
鳥も歌い、そして初鰹を賞味していた。

私は昨夕、鰹を頂いたが、私なりに毎年この時節、鰹の刺身を誉めている。

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ようこそ、緑と笑顔のある地に・・♪    《初出2007.5.3.》

2008-05-12 21:55:26 | 時事【社会】
昼前に私は川沿いの遊歩道を歩き、
川辺に帯状に咲いている菜の花、歩道の脇にはツツジが満開となって、
この時節に相応しい花の色合いに染められて、
そして芳(かぐわ)しい香りにつつまれた・・。

小公園も数多く、若葉となったクヌギ、ケヤキが芽吹きを終え、新緑となって、
微風を受けて、きらめいている。

私が歩いて10分過ぎた処に東京電力の研修訓練センターがあるが、
二年前よりマンションがゆったりとした敷地内に5棟前後建てられており、
通り過ぎた時、遠方であったが布団、洗濯物が干された様子が少し見え、
入居されはじめたか、と知った。

私の住む調布市に新たに転居されている方も多いと思われ、
ようこそ、緑と笑顔のある調布市に、
と心の中で歓迎した。

例えば、30代後半にこのマンションを購入された家族を思えば、
私は何かしら応援したくなる。
多額な購入費であるので、大半の人達は住宅ローンを負い、
毎月の返済とボーナス時の返済が家計に負担となるからである。

このような状況を思い浮かべると、
愛妻と2人の子供を引き連れて、この遊歩道を歩いて、
深大寺に参拝した後、お蕎麦を食べたり、
隣接する都立の神代植物公園を散策しながら数多くの花を観賞し、
広場で子供とたわむれる、
とこの大型連休の過ごしのに最適と想像したりしている。

私達夫婦は子供に恵まれなかったけれど、30数年前に実家の近くで一戸建てを構えて、
住宅ローンの大変さは身に沁みているのであった。
私も転居して数年、家内と遊歩道を散策したり、
公園で樹木、花をほめたり、街を歩いたりした。

こうした思いがあるので、特に若い家族を見ると、
何かしら心から応援したくなるのである。

尚、私の住む調布市の基本施策は、
『みんなでつくる、笑顔輝くまち調布』
となっている。


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C.イーストウッドの『父親たちの星条旗』(特別版)   《初出2007.5.3.》

2008-05-12 21:53:24 | 映画・テレビ
10時半過ぎに自宅を出て、レコード・DVD販売店に向った。

この販売店は『新星堂』という音楽を主体にした大型チェーン店であり、
この2年前頃にイトー・ヨーカドの大型店舗が出来た折、
支店の一店舗として出店された店で、
私の現役時代からの経験で品揃えが良く、これはと思った作品は殆どあるが、
私の家からは2キロ弱の道程にある。

遊歩道を散策がてら歩いたが、陽射しが強く、
菜の花が川辺に満開となって、黄色い帯のように連なっている。
歩道の片側は躑躅(ツツジ)が満開となり、私は菜の花とツツジの香りにつつまれた中を歩いた。

本日は祭日の為か、遊歩道は家族連れが多く、或いは60、70代の男性が歩いたり、
小公園の木陰になったベンチに婦人の3人が軽食を食べながら、親睦している。

レコード・DVD販売店で目的のクリントン・イーストウッドの『父親たちの星条旗』(特別版)、
『硫黄島からの手紙』(特別版)を買い求めた。
私は映画作品の場合は、出来る限り特別版を選定している。
監督のインタビュー、出演者の作品への思いなどが多いので、
作品の鑑賞を深める為に購入している。

今回の2作品を購入した時、思いがけずに《父親たちの星条旗 オリジナル・ボールペン》、
《硫黄島からの手紙 レターセット》を頂いた。
ささやかなプレゼント品であるが、作品への思いが募(つの)り、
私は幾つになっても、こうしたプレゼントは嬉しい限りである。

こうしたささやかなプレゼントの上、10%値引きセールス中であったので、
何かしら申し訳なく思いながら、帰路の足取りは軽かった・・。

川沿いの遊歩道の片側は木陰となって折、
爽やかな風を受けながら、菜の花、ツツジの香りにつつまれて、
この時節を享受している。

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独り住まいの最良の友、惣菜コーナー♪  《初出2007.5.3.》 

2008-05-12 21:50:23 | 時事【社会】
東京の郊外は、朝の穏やかな陽射しを受けて、清々しい朝を迎えている。
日中は五月晴れとなるが、24度前後となるので、
長袖のスポーツシャツを腕まくりしょうか、
と思っている。

家内が実家に行っているので、私は独り住まいとなっている。

こうした時は、新聞を読んだ後、スーパーのチラシを見て、
何か食べたい品は、と数店のチラシを眺めたりしている。

牛肉、鶏肉は家内が料理してくれているので、
刺身の盛り合わせ、或いは単品にするか店内で見た上で選定し、
惣菜コーナーに立ち寄り、コロッケ、アジのフライ、
キャベツ、生姜などを購入かしら、と思ったりしている。

私の独り住まいの最良の友は、惣菜コーナーと確信している。
その日に応じて食べたい品をほぼ充たされるからである。

そして、新聞広告で見たクリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』、
そして『硫黄島からの手紙』の特別版DVDを買い求め、
自宅でゆっくりと鑑賞すれば最良かしら、と思案している。

私は定年退職後の日々、ときおり独り住まいとなるが、
このように過ごす場合もある。



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ときには、風に吹かれてビールを・・♪   《初出2007.5.2.》

2008-05-12 21:46:43 | 食べ物、お酒
東京の郊外は、朝はどんよりとした曇り空であったが、
11時過ぎに五月晴れとなった。

家内が4月30日より5月5日まで5泊6日に実家に行き、
家内の母の独り住まいをしているので、
掃除、衣替え、庭の手入れなどをしている。

私はこの間は独り住まいとなったので、日常は出来うる限り自在な生活をしているが、
更に勝手気ままな時を過ごしたりしている。
朝風呂に入ったり、夜はビデオ、DVDで映画などを観ながら、
日本酒などを呑んだりしている。

今日の昼下り、快晴の陽射しが主庭を照らし、風が吹いていたので、
居間でのんびりとしているより庭の中の方が健康と思い、
もみじの木陰で折りたたみの椅子に座り、ビールを呑んだりした。

五月晴れに恵まれ、風に吹かれると心地よく、
ビールを呑み、煙草をぼんやりと喫ったりしていると、
人生のささやかな悩みなどは忘れさせる効力がある。

この時節、古人達の時代から爽(さわ)やかに吹く風を薫風と称しているが、
私なりに成る程と心身実感できたりした。

私は原則として、日中はアルコールは避けているが、
ときには木陰で風に吹かれて、ビールを呑むのも、
格別な心情になるので、贅沢なひとときと思ったりしている。

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『年々歳々花相似たり・・』・・♪    《初出2007.5.2.》

2008-05-12 21:33:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、深夜に雨が降り、早朝はどんよりとした曇り空であった。

日中は急速に回復し、急速に回復し、快晴、報じていた。

私はこのサイトに『八十八夜』、『緑茶の日』であるので、
これに関連して綴ろうか、と思案していた。

昨年、一昨年は、この時節何を綴ったりだろうか、と振り返ったりした。

一昨年のこの日は、私の別ブログ【年金青年のたわむれ記(旧タイトル:続・極楽とんぼ)】に於いて、
『お茶の摘む頃に・・♪』を投稿していた。

そして、昨年にこのサイトで『お茶の摘む頃に・・♪』を投稿した後、
同じ日に『八十八夜に際して・・♪』を投稿している。

一昨年、昨年、そして本年も同じように思いであるが、
私は確かに齢を重ねている・・。


こんな思いで何を綴ろうか、と思案していたら、
唐の初期時代の詩人の1作が脳裏をかすめた・・。

年々歳々花相似たり
歳々年々人同じからず

私なりに解釈すると、
数多くの花は、毎年この時節に花を咲かせ、変らないように咲いている。
私は毎年歳を重ね、そして歳と共に老けていく。

このように解釈をしているが、
私自身は歳を重ね身体は確かに老化しているが、
心の思いは深化し続けたい、と思ったりしている。

このようなとりとめのないことを思索していたら、
主庭に薄日が射し込んできた。


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創作者の発想の根源には・・♪  《初出2007.5.1.》

2008-05-12 21:28:21 | 映画・テレビ
昨夕、デビット・リーン監督の『ドクトル・ジバコ』(1966年=昭和41年)をビデオで居間で観たりした。

私はこの監督の作品が好きなので、数多くの作品をくりかえし鑑賞して折、
この『ドクトル・ジバコ』も3度目と記憶している。


この作品の原作者はソ連の詩人で作家のポリス・パステルナークであり、
ロシア革命という動乱期の恋を描いた長編小説であり、
映画に於いては、脚本担当として劇作家のロバート・ボルトが、
原作の小説よりジバコとラーラの愛の軌跡に焦点を絞り、
ロシア革命の動乱の中で、翻弄されていく、純粋な男の悲劇を完成させて、
と解説されている。

私はある映画雑誌を読んで、原作者の創作の発想を知り、
ただ唖然とした後、敬服した。


講談社が発売した『週刊 20世紀シネマ館』全50冊を私は購入したが、
この中で『ドクトル・ジバコ』の作品が取り上げられていた・・。

そして、【シネマ物語】のコーナーに於いて、
《詩人パステルナークが愛した実在の『ラーラ』》
と題されて、綴られている。

無断であるが転記をさせて頂きます。



1960年5月30日の深夜、
ノーベル賞作家ポリス・パステルナークが世を去った。
その傍(かたわ)らにいた一人の女性こそ『ドクトル・ジバコ』のヒロイン、
ラーラのモデル、オリガ・イビンスカヤである。

第二次世界大戦直後の1946年、
56歳のパステルナークは、20歳以上も年下のオリガと恋に落ちた。

詩人は妻と別れ、オリガと同棲したが、
オリガは《反革命詩人》の愛人ということで、強制収容所に送られた。
オリガは収容所でパステルナークの子を流産し、4年間を過ごす。

この体験と、オリガへの深い愛情を、パステルナークは小説『ドクトル・ジバコ』ら綴り、
世界中を感動させたのだった。



以上、無断であるが全文を転記させて頂きました。


私は原作を読んでいないが、この作者の第二次世界大戦後の体験を
第一次世界大戦、そしてロシア革命の時代を背景とした壮大な物語に、
創作者としての発想と作品として完成にただ驚いている。

創作者は小説家はじめとする人は、
脳裏に幻想をどれだけ豊かにした上、創作し、作品を完成させるかの力量に、
感銘したのである。


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雨の降る前には、買物・・♪    《初出2007.5.1.》

2008-05-12 21:24:07 | 食べ物、お酒
東京の郊外は、午後より雨が降る、と予測されていたので、
近所のスーパーに買物に出かけた。

道路と歩道の間のグリーン・ベルトは、躑躅(ツツジ)が満開となっている。
純白、朱色、赤色など咲いて折、この時節らしく色合いを染めて、
私なりに季節の移ろいを享受している。

私はビールを切らしていたので、エビス・ビールを買い求めようかとしていたが、

【香るエビス、新発売】

【バイエルン産アロマホップとザーツ産ファイン・アロマホップによる
心地よい香りとまろやかな飲み口。
飲みほせば、ホップが香るビールです】

とビールが詰まれた上に大きく掲げられていた。

呑兵衛の私は、500mlX6缶入れのケースを買物カゴに入れた。

私は日本酒には、純米酒の辛口である銘柄を好んでいるが、
ビールに関しては、キリンのラガー、アサヒのスーパ・ドライ、サントリーのモルツ、サップロのエビスだったら、
余りこだわらないのである。

そして、酒肴のお友達として、
エシャロットとキュウリ、そしてパセリを購入した。

エシャロットとキュウリは味噌でほめて、パセリは塩をほんの少しかけて頂くのである。

セロリが新鮮なのがなく、残念であった。

私なりの独断と偏見で、セロリとパセリは人並み以上に食べたりしている。
煙草を愛煙し、呑兵衛に私にとっては、何かしら口の中、食道、胃腸を浄化して頂くと信じているので、
と特にここ20年数年は欠かせない食べ物のひとつとなっている。

買物の最後は、インスタント・コーヒーで、
ネスカフェのゴールド・ブレンドが【お一人様1点限り】を買い求めた。

私は日頃は煎茶には銘柄、製品名にこだわるが、
コーヒーに関しては、インスタントのゴールド・ブレンドが手軽で程ほどの味、香りがあるので、
日常の友としている。

帰路、雨がポッリとしてきたが、濡れることなく、自宅の門扉を開けた。

そして、こうして綴っていると、小雨が降りだしてきた。
不摂生な日常生活を過ごしている私であるが、
私は何かと幸運に恵まれていると思ったりしている。


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『皐月(さつき)』を迎えて・・♪    《初出2007.5.1.》

2008-05-12 21:21:07 | 時事【社会】
東京の郊外は、曇り空を迎えているが、
しっとりとした空気につつまれ、若葉の彩りを深めてきた・・。

午後から雨が予測されて折、5月を迎えてもぼんやりとしている。

先程、『皐月』の由来などを調べたりしていた。

国語に詳しい詩作家の道行めぐ・女史に寄れば、

『さ』は、耕作を意味する古語。
稲作の繁忙期である為、この月は『さ月』と呼ばれるように、
漢字の『皐』には、神に捧げる稲という意味がある為にこの字が当てられたそうです。
『早苗(稲の若苗)月』といっていたのが、
詰まって『さつき』になった説もあります。

以上、無断であるが転記させて頂きました。

この時節、旅行などに出かけた時、田植えの終えた水田と畦道(あぜみち)を観ると、
私なりの美しい日本の情景に素直に心が充たされる光景である。


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『都心』は、遠くなりにけり・・♪   《初出2007.4.30.》

2008-05-12 21:03:13 | 時事【社会】
   第一章

私は東京の郊外の調布市で生を受けて、
結婚した時の5年間前後を除き、
これまでの大半はこの地で過ごしている。

そして中小業の民間会社のサラリーマンとして35年務めた後、
定年退職後の3年生の身である。

私は高校時代から都心を目指して、通ったりした。

それまでは幼年期に母に連れられ、新宿の伊勢丹(デパート)に行ったりして、
階段の踊り場、地下の通り道などで、
不幸にして戦争で身体の一部を失くされ、軍歌の音色とも、その容姿を見るのが恐かった。

小学校の高学年になると、地元の映画館はひとりでよく通ったりしていた。
ある日、次兄から都心の日比谷にある映画を観ようと、
新宿から築地行きの都電を乗ったが、乗り物酔いで私はしょげた・・。

確か都電の運賃は均一13円であったが、
下車したら当然もう一度支払う必要があったので、
日比谷まで頑張れ、と次兄に励まされ、
青ざめた顔で日比谷で降りた記憶が残っている。

高校は中野区に所在していたが、新宿を経由し通学したので、
荻窪行きの都電を利用したり、或いは中央線で中野駅から登校したりした。
下校は殆ど新宿の繁華街を通り、食べ盛りであったので、
街中の食堂でカツ丼、親子丼、ラーメンを午後の3時過ぎに食べることが多かった。

そして、ひとりで映画館に立ち寄ったりしていた。
この頃に、『小田急デパート』そして『京王デパート』が開業されたりし、
特に新宿の西口は激しく変貌してた。

私は読書も好きだったりで、神保町の古本街に行ったり、
ときには映画の封切を求めて、日比谷の映画街も通ったりしていた。

東京オリンピックの数年前の出来事である。


               
   第二章

大学に入学してからは、映画鑑賞に没頭していたので、
新宿、日比谷の映画館を中心で鑑賞していたが、
池袋の『人生座』と銀座の『並木座』は名画が上映して折、
私なりに欠かせない映画館となっていた。
東京オリンピックの開催していた時、京橋の近代美術館に於いて、
日本映画の昭和初期からの名画特集を上映していたので、
日参したりしていた。

映画以外は、新宿の『紀伊国屋書店』、
このビルの中にある喫茶の紅茶専門店を利用したり、
新宿御苑を散策したりした。

その後、大学を中退し、芸能専門学校のシナリオ科に通った頃は、
銀座の松坂屋の裏手のビルに教室があり、数寄屋橋から歩いたりしたが、
お金に余裕のない私は大人の街である銀座の高級店には縁がなく、
もっぱら大衆向けの店を利用したりしていた。

映画、文学青年きどりの生活を過ごし、
アルバイトや随時契約の単発仕事で何とか生計を立てていたが、
30過ぎた時、きちんと家庭を持てるだけの力があるの、と叔父など云われ、
根拠のない自信ばかり過ごしてきたので、通常の社会人に戻る決心をした。

この時代は高度成長期であったが、
大学を中退し、企業の中途入社は容易ではなかった。
私は止む得なく、コンピューターの専門学校でソフト科に1年間学び、
何とか大手の企業に中途入社できたのは、
25歳を過ぎた昭和45年の春であった。

横浜の新子安にある工場の一角で、商品管理を得た後、
私は独立したレコード会社に配属された。

本社は赤坂見付駅前の東急ホテル・ビルの一角にあり、
私は昭和46年の早春から数が月程、通った。
この東急ホテル・ビルの2階は小売専門店が並んで、
おしゃれな高級店であったので、
私は喫茶店を利用できる程度であった。

赤坂は銀座と同様に大人の街であったので、
若いサラリーマンの身としては、
TBS方面の小料理店で昼食を食べたりした。

この直後、本社が六本木に移転したので、
平成4年までの20年、私は六本木の界隈の空気と共に過ごした。



   第三章            

昭和46年5月に本社が六本木の所在となり、
四丁目から百メートル内のビルが勤務地となった。
四つ角に『誠志堂書店』、『アマンド』、銀行があり、
最寄には中華料理の『楓林』があった。

都の経営する大衆的な『六本木食堂』があったり、
日本料理の大衆化の『正直屋』、
イタリア料理の『カーディナル』、その他小料理店があったりした。

喫茶店は洋菓子の『クローバー』、『貴奈』をはじめとし、
数多くの喫茶店があった。
『俳優座』のビルが新築過ぎた頃から、街は急速に変貌をはじめた・・。

レコード店の『WAVE』、本屋の『青山ブックセンター』に通ったり、
或いは日本料理の『美濃吉』を利用したりしていた。

私は昭和47年頃から、シャンソンに熱中したので、
銀座の『銀巴里』でコーヒーを飲みながら、
水割りのウィスキーを呑みながら『蛙たち』でシャンソンに酔いしれた。
渋谷にもカンッオーネを主体の店にも足を運んだりした。

そして私の勤務上、兄弟会社のようなレコード会社が原宿のピアザビルにあって、
原宿駅、表参道などから業務提携の関係で数年通ったりした。

平成4年の5月過ぎに、レコード会社の合併により、
渋谷の外れの勤務となり、
私が20代の後半、パルコ、スベイン坂、道玄坂を懐かしんだり、
東急の文化村を知ったりした。

私の現役時代は、中小業の会社であり、管理畑が大半であったので、
世間がよくいう社用族として、
銀座の一流と称されるバー、料亭などの世界は知らない。

私は一介のサラリーマンなので、
シティ・ホテルは『帝国ホテル』、『ニューオータニ』、『六本木プリンス』、『京王プラザ』等ぐらいしか利用した事はないが、
駅付近の商業ビル内の食事処、街中の専門料理店、
居酒屋をたびたび利用していた。
そして、ときには男の子であるので、風俗店に行ったりしていた。


定年退職後、都心の人混みに疲れたせいか、齢を重ねたせいか、
六本木ヒルズ、東京ミッドタウン、新丸ビル等の興味がない。

ときおり、新宿の『伊勢丹』、『小田急デパート』、
そして登山の専門衣料店で買物はするが、
帰路の最寄の『成城学園前』の駅ビル、付近の食事処で食事をするのが、
何かしらほっとし、気楽に食べ、呑んだりしている。

日常の多くは、小田急腺の『成城学園前』、『喜多見』、『狛江』、
京王線であったならば、『仙川』、『つつじヶ丘』、
『調布』の駅付近で充分と思っている。

一番気楽なのは、自宅の庭を眺めながら、
弐合徳利で純米酒の辛口を呑みながら、
家内とおしゃべりをし、食事をするのが最良である。

そして、ときおり家内と国内旅行をし、
料理、和菓子、日本酒をほめ、仲居さんにからかわれ、
温泉に入浴したりして、
その地の風土を愛(め)でるのが良薬となっている。

このように長年に於いて苦楽を共にした都心であったが、
私の心は遥か彼方遠くなっている。





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私なりの『和暦』と『西暦』・・♪   《初出2007.4.30.》

2008-05-12 21:00:41 | 時事【社会】
私は昭和19年生まれの身であるが、
日常の年度名称は和暦を使うことが多い。

例えば、亡くなった母は大正9年生まれ、
大正15年の生まれの人は、多くの方達が戦争に行かれた苦闘された人達、
昭和一桁の人達は、昭和20年の敗戦を境に教育方針が変換された戸惑われた人達・・
と何気なし言葉に出たりすることが出来る。


日常生活でも、昭和26年に小学校に入学して、
ある時は昭和45年に中途入社した、
とか時代の空気が響くのである。

昭和天皇が逝去された時、昭和は終わってしまった、
というのが実感でもあり、平成と云われても中々馴染めなかった。

この頃、西暦で表示される風潮が高まったのかしら、
と思ったりしている。

その後は『2000問題』、『2007問題』があり、
西暦表示が加速化されている。

ここ10数年、アメリカの『黄金の60年代』、
音楽の世界では『70年代』、『80年代』などと多用されたりしている。

私はこうした折は、昭和だと、平成にすれば、と脳裏の隅で数えたりしている。

しかし、ここ数年は退職後の生活を過ごしているので、
銀行、郵便局で年月日を記入する時、
確か2007年、或いは平成19年の記入欄に戸惑ってしまうのである。

月日は間違いなく記入できるが、今年は何年だったかしら、と思ってしまうことが多い。
少しボケてきたか、と恥らいながらも行員、局員のお方達に、
『今年・・平成19年ですよね・・』と訊ねたりして、確認を求めているのが実態である。

年金生活を送る身となっているので、1日1日を大切にし、
季節の移ろいを享受できれば、私の心は何年でもよい、
と思ったりしているのが本音である。


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知らなかった『昭和の日』・・♪   《初出2007.4.30.》

2008-05-12 20:58:15 | 時事【社会】
私は昨日の朝にあるサイトで、【されど、『みどりの日』・・♪】と題して、
投稿した。

そして、夜になり私の『お友達リスト』のお一人の日記を拝読していたら、
『みどりの日』から今年から『昭和の日』に変わった、と知ったのである。

私はあわてて、読売新聞の朝刊を見直し、『社説』欄の中に於いて、『昭和の日』を読んだりした。

私は定年退職後の3年生の身であるが、
4月29日は『天皇誕生日』と昭和天皇を敬(うやま)ってきていたが、
『みどりの日』に変って、何かしら心が落ち着かないのが本心であった。

そして、今年から『昭和の日』と云われ、
その上、『みどりの日』は5月4日に改定されたらしい。

私は世の中の実情についてゆけず、
4月29日は『(昭和)天皇誕生日』から『みどりの日』、
そして『昭和の日』と
呟(つぶや)いている。

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小判草(コバンソウ)は、微風に揺れて・・♪   《初出2007.4.29.》

2008-05-12 20:43:29 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、『みどりの日』に相応しく、快晴となって、
私は先程まで庭の手入れをしていた。

風呂に入った後、遅い昼食を家内と食べたりしたが、
ビールを呑みながら、主庭を眺めたりした。

微風が吹くと、小判草の群生が揺れて、私なりのこの時節を享受している。

この小判草は稲科と思われるが、25年前頃、家内がお茶の先生に師事いた頃に、
秋海棠、唐糸草と共に頂いた茶花に使われる草花である。

今の時節は、薄緑色から少し染め、先端が小判のような形をしている。
初秋の頃に、稲と同様に黄金色に染められ、実は庭に散乱させて後、
やがて枯れ、地上から消えていく。

春先に稲のような容姿を庭のあちらこちらで見せはじめる。
私は季節の移ろいを身近に見せてくれる小判草も好きな草花のひとつである。


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されど、『みどりの日』・・♪    《初出2007.4.29.》

2008-05-12 20:41:45 | 時事【社会】
『自然に親しむと共にその恩恵に感謝し、豊かな心を育む日』と定められて折、
新緑がまぶしく、ごく自然に親しみを享受できる時節である。

私は旅をした時など、森林の針葉樹林、広葉樹林を眺め、里山、そして村里に人の住まれる情景を観ると、
しばしばため息が出たり、涙ぐんだりすることが多い。

少なくとも日本は、この森林の原点から全てがはじまり、生かされていると思っている。
遥かかなたの先人からたゆまない森林の手入れに感謝しているが、
昨今、手入れが出来ず森林の一部で荒廃していると視聴したりする。

林野庁は緑化を推進するために、色々と施策を実施しているが、
美しい日本の国土維持として消費税1パーセント前後は国民から徴収し、
豊かな森林保全と育成が必要なのかしら、と思ったりしている。

国民全般が森林より平等に恩恵を受けて折、
今後の日本に幾世代化へ引き継ぐ責務があると確信している。

朝の陽射しを受けた主庭の樹木を眺めながら、
このようなことを思考したりしている。

そして私は庭の手入れを玄関庭か、主庭のどちらから始めようか、
とぼんやりと考えたりしている。

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夢のひととき・・♪    《初出2007.4.28.》

2008-05-12 20:39:30 | 定年後の思い
昼過ぎに食事を終えた後、歯の鎮痛剤の呑み痛みが退けた後、
少し疲れを覚え、ぼんやりと文庫本を読んだりしていた。

晴れ間が庭の樹木を照らしていたが、
少し空が暗くなったと思ったら、落雷の音が響き、雨が降り注いできた・・。

私は寝室に行き、布団にもぐり文庫本を数ページ読んでいるうちに、眠りに落ちた。


私が25歳の若い女性になって、大学で数学を専攻し、小中学生の先生を目指していたが、
先生の募集が少なく、就職浪人となった山里に旅をして、
低い山の登山をしていた・・。
春の雪に遇い、どうしたのかしら、と思案をしていた時、
突然、空から小説の習作時間などに費(つい)やすのは止めて、
初心の算数の先生になりなさい、
と天上から不思議な声が響いた・・。

どうして、と思っているうちに目覚めた・・。

私には直接思い当たらない現(ううつ)と夢幻の世界であり、
余りにも不思議な夢であったので、
どうしてあのような不可解な夢をみるのか、
と思いながら庭の樹木をぼんやりと眺めていた。

私はサラリーマンを定年退職後の3年生の身であるが、
昨今、想像力が衰えて、幻想を刺激させる脳裏の活性化なのかしら、
とも思ったりしている。

本降りの雨の後らしく、樹木の枝葉は雨粒をたたえて折、
塀、地表は黒土でしっとりとしていた。




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