真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「チェスの駒」と米軍基地と欧米の野蛮

2023年01月12日 | 国際・政治

 今、英国チャールズ国王の次男ハリー王子の自伝「スペア」が、いろいろ話題になっています。朝日新聞は”アフガン従軍中に25人殺害”、”敵兵を「チェスの駒」自伝で”というような見出しを付けて報道しました。
 私は、この朝日新聞のとらえ方が大事だと思います。この自伝には、”この数字は私を誇らしくさせるものではなかったが、恥じ入るものでもなかった”とか”彼らは、チェス盤から取り除かれる駒であり、彼らが善良な人びとを殺してしまう前に排除されるべき悪人だった”という記述があることも取り上げていますが、とんでもないことだと思います。具体的な証拠も示さず、勝手に、”善良な人びとを殺してしまう悪人”と決めつけ、何の議論もせず、直接かかわりのないヘンリー王子が、アフガニスタンの人を殺してしまことは、驚くべき野蛮なことだと思います。
 英国軍関係者はBBCの取材に、敵兵を「チェスの駒」にたとえることは「間違い」と指摘したといいますが、大事なことは、王子がアフガニスタンの25人の「」を「チェスの駒」のように見なして殺したという事実であり、単なる表現の問題などではないと思います。
 アメリカやイギリスを中心とする有志連合の軍人はみな同じような感覚なのではないか、と私は思います。アジアやアフリカや中東やラテンアメリカに対するアメリカやイギリスの姿勢は、差別的であり、不遜であり、暴力的であり、残虐だと、私は思います。

 個人の場合、通常、人殺しが許容され得るのは、正当防衛上やむを得なかったというような時だと思いますが、有志連合のアフガニスタン侵攻やタリバーン支配地域の爆撃は、そういう正当防衛に当たるようなことがあったでしょうか。

 イスラム教の神学校で学んだ学生が中心となって結成した組織である「タリバーン」が、イギリスやアメリカを武力攻撃したでしょうか。

 それとも、アメリカが「対テロ戦争」を宣言すれば、アメリカがテロ組織と見なした組織や集団は爆撃されてもしかたがないということなのでしょうか。
 
 私は、9.11 、N.Y同時多発テロ実行組織とされているアルカイダとタリバーンは、決して同一組織ではないと思います。
 イスラム神学生を中心に組織されたタリバンの構成員は大半がアフガン人であり、民族的にはパシュトゥン人であるといいます。でも、国際テロ組織とされているアルカイダは、ほとんどがアラブ人やアフリカ人、中央アジアなどの出身者だと聞いています。組織的に協力関係にあるとしても、爆撃するのは許されることではないと思います。

 第一次世界大戦後に締結された多国間条約の「パリ不戦条約」には、第一条に
 ”締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言スル
とあり、第二条には
締約国ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ処理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス
 とあります。アメリカやイギリスや有志連合の国々は、こうした条約を無視していると思います。

 2011年5月1日、米同時多発テロ実行組織とされているアルカイダの指導者、ウサマ・ビンラディン容疑者を、米軍が殺害した時、オバマ米大統領が、”正義は達成された”と強調したことが伝えられました。
 アルカイダが、どのような理由で、どのような計画に基づき、どのようにして犯行にいたったのかを、裁判で問うことなく、他国の領土に軍を送り、容疑者を急襲して殺すことが「正義」なのでしょうか。

 また、アメリカは、第二次世界大戦後も戦争をくり返しています。特に、ベトナム戦争イラク戦争では、戦端を開く事実をでっち上げて戦争に突入したことが明らかにされていると思います。
 ベトナム戦争における北爆開始のきっかけとなった「トンキン湾事件」の一部は、アメリカが仕組んだものだったことを、『ニューヨーク・タイムズ』が、いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手して暴露しましたし、イラク戦争の開始理由であった「大量破壊兵器」は、イラクには存在しませんでした。でも多くのベトナム人やイラク人が、無惨に殺されたのです。でも、アメリカの関係者は、何の裁きも受けてはいません。
 そうしたことを踏まえて現状をみれば、アメリカのロシアや中国に対する姿勢に問題があることは、容易に理解できることだろうと思います。アメリカは、国際法や道義・道徳に基づくことなく、アメリカに敵対する国を潰しにかかることがあるからです。

 しばらく前、「分断に向き合う」ということで、政治学者、板橋拓己東大教授の文章が、朝日新聞に掲載されました。そのなかに、
”「ロシア・ウクライナ戦争では、国連安全保障理事会の常任理事国が侵略を行いました。中国も、自由主義が根づかないまま大国になってしまいました。そうなると、自由民主主義を守る側も、力を備える必要が出てくる。『力の時代』にある程度、回帰せざるをえないのですが、問題はその後にどう行動するかです」
 「ロシアについていえば、侵略してはならないという国際秩序の根本のルールを破った以上、敗北させなければならない。しかし、敗者となったロシアをどう国際社会に報節していくかが問われてきます」
 とありました。驚きました。ロシアを”敗北させなければならない”などと書いていたからです。これはアメリカの主張だと思います。
 東大の教授ともあろう政治学者が、民主主義や自由主義を掲げるアメリカが、国際社会でその民主主義や自由主義を踏みにじっている実態について、看過していることに愕然とします。

 私は、全く逆に、アメリカによる主権侵害や搾取や収奪から逃れるために、守りをかためている国々が、アジアやアフリカや中東やラテンアメリカに多く存在することに目を向ける必要があると思います。一定程度、専制化せざるを得ない状況があることも見逃してはならないと思います。アメリカは、ちょとしたきっかけを利用して、政権転覆を意図することがあるからです。それは、すでに取り上げたいくつかの国の歴史が証明しています。

 アメリカは、韓国に基地を置き、主権を侵害し、韓国人の人権を無視するようなことを、韓国の政権の陰に隠れてやっています。それは、日本にも共通することだと思いますが、こうしたアメリカのやり方や、アメリカによる搾取・収奪を受け入れたくない国は、一定程度、専制化せざるを得ない面があると思うのです。

 アメリカが戦後多くの国で、独裁者と手を結び、独裁者を支援してきたのは、独裁者の陰に隠れて、搾取や収奪、その他、いろいろのことが自由にできるからだろうと、私は思っています。 

 下記は、「在韓米軍 犯罪白書 駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部」徐勝+広瀬貴子(青木書店)から、「Ⅱ 米軍供与地による被害」の「3 強制的に農地を奪われた長佐里の農民」を抜萃しましたが、アメリカが相手国の政権の陰に隠れて、いろいろのことをやっていることがわかると思います。
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                   Ⅱ 米軍供与地による被害

     3 強制的に農地を奪われた長佐里の農民
(1) 事件の経過
 京畿道坡州市積善面長佐(チャンジュワ)里の住民たちは先祖代々農業をしながら平和に生きてきた。
 朝鮮戦争中、避難した住民たちは、戦争が終っても故郷に帰ることができなかった。長佐里一帯が軍事保護区域として定められ、出入りが禁止されて、その一部を米軍が訓練場として使用したのである。農民たちはしかたなく近隣の長城(チャンパ)里などに住みながら、出入証の発給を受けて農業をおこない暮らした。「出入営農」は昼間だけ農耕地への出入りが可能であったが、片時も休まず進められる軍事訓練などによって出入りが全面統制されることが多かった。さまざまな困難があったが、それでも統一されれば故郷に帰ることができるという希望があった。すくなくともこのときまで土地の主は農民たちだったからである。
 ところが、1973年のある日、手もとに届いた一枚の紙切れが、彼らの運命を変えてしまった。それは長佐里一帯の土地を挑発収用するという、韓国政府が発行した「挑発財産買収通知書」であった。1973~74年にかけて韓国政府は農民たちとなんの事前協議もなく、挑発財産整理にかかわる特別措置法を根拠として、長佐里一帯の約40万坪の土地を収用することにしたのである。当時は朴正煕軍事政権による暴圧的な状況であり、大統領緊急措置令が乱発された時代であったため「国家安全保障」の一言に農民の権利は完全に黙殺された。
 そのうえ、政府の補償額は信じられないほど少額だった。時価の三分の一にもならない坪当たりの単価270ウォンが買収価格であった。それも一度に支払われるのではなく、10年償還補償証券で強制買収したのである。この補償金で買える農地はどこにもなく、住民たちは途方に暮れてしまった。長佐里の農民たちは酒におぼれて、どうしようもない現実を恨み嘆いた。5~6人が農薬を飲んで自ら命を絶った。大部分の住民は10年を待たなければならない補償証券を債権業者に売ってしまったり、はなから債権償還を放棄してしまったりした。
 こうして挑発された土地はそのまま米軍に供与された。
 韓国軍は挑発直後、長佐里一帯の出入りを全面統制して武装した兵士たちに住民たちの接近を防がせた。しかし土地を奪われた住民たちは、農業を続けるために必死の努力を重ねた。韓国軍の銃剣に立ち向かい、坡州警察署などへの連行がくり返されたが住民たちは抵抗をやめなかった。このような苦闘の結果、1980年代の初めからは、再び出入証が発給されて農業ができるようになった。その代わり住民たちは軍当局に賃貸料を払わなければならなくなった。すでにその土地は国防部所有になってしまっていたためである。なんの問題もない農耕地を、軍事上必要であると強制的に挑発した政府が、本来の持ち主から土地使用料を徴収するという理解しがたい状況が発生したのである。
 たとえ使用料を払っても、生命ともいえる農地をとり戻したいという農民たちの願いは、1993年、金泳三政権の発足でかなえられるように思われた。金泳三政権は不要不急の軍用地を解除し、元の所有者の財産権を保護するという意思を明らかにした。93年12月の国会で、83年末以前に転売権が消滅した挑発財産に対して、被挑発者が95年末までに転売できるようにする特別措置法を通過させた。
 住民たちは挑発された土地を転売してほしいという陳情を国防部に出したが、予想もしない答弁が返ってきた。結論は不可能だということであった。理由は「長佐里一帯が米軍に供与されたため、米愚が返還しなければ転売は不可能である」というものであった。
 事実、このときまで住民たちは自分たちの土地が米軍に供与されたことはまったく知らなかった。供与がどういう意味であるのかもわからなかった。国防部、当該部隊に重ねて陳情を出したが結果は同じであった。こうした過程を経ながら農民たちは、韓米駐屯軍地位協定によって米軍に供与された土地は、米軍が返還しなければとり戻すことはできないということを知ることになった。

(2) 問題点
 住民たちが指摘する第一の問題点は、1973~74年におこなわれた挑発措置が合法的でないということである。なぜなら挑発法は、第一条で挑発が可能な状況を「戦時、事変またはこれに準ずる非常事態」と規定しているのに、当時はまったくそのような状況ではなかったからである。
 第二に、挑発当時の合法性の有無にかかわらず、10年以上軍事用地として使っていなければ、挑発法により元の所有者に転売すべきだという点である。現在、長佐里にはただの一人の米兵も駐屯しておらず、また米軍が訓練場として使用してもいない。事実、韓米駐屯軍地位協定の第2条3項によれば、軍事上必要が消滅した土地は原則的に韓国に返還しなければ ならない。しかし同じ条項には、「米軍との合意」が明示されており、米軍が返還に合意しなければとり戻す方法はない。米軍が許諾して初めて可能となるのである。
 おかしなことに、長佐里に駐屯しているのは韓国軍である。もともと米軍供与地は米軍当局が排他的使用権を行使する土地であるので、韓国軍が駐屯しているのは理解しがたい。これは米軍が実際に使用していないという証拠の一つとなりうる。韓国軍が長佐里で使用する土地はごく一部であるため、残り40余万坪は元の持ち主に転売することが適当である。しかし国防部は住民たちの陳情が重なると、米軍から返還されれば転売できるという主張に、米軍から返還された土地に国防部が軍事上必要がないと判断して、はじめて転売できるという条件を追加した。
 住民たちは最後の希望を「転売訴訟」にかけている。「運動本部」韓米行政協定改正委員会の張スヨン弁護士が引き受けて進行中である訴訟(97年1月20日提訴)の結果が、農民たちの思いをこめた生の活路になることに期待を込めている。

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