真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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東京裁判NO11キーナン検事の東条尋問②

2020年08月09日 | 国際・政治

 キーナン検事の問いに答える東条被告の主張は、間接的に日本の戦争がいかなるものであったかを示すことになっているように思います。それは、正直に作戦の全容を明らかにすることができない、不法な謀略工作等を含む戦争であったということです。

 日本は、正式に軍隊組織や行政組織に属さず、独立して秘かに情報を収集したり、謀略工作に取り組む「特務機関」をいくつも設置し、秘密裡に特殊任務を遂行させました。それはもちろん、どこの国でもなされた当然の情報収集の任務などもあったでしょうが、明らかに違法であり、また、不法である任務を含んでいたのです。
 一例をあげれば、里見機関があります。参謀本部では日中戦争の長期化に対処するため、対支特務工作専従の部署、第八課(宣伝謀略課)を設置しました。そして、民間人里見甫を指導して、中国の地下組織・青幇(チンパン)や、紅幇(ホンパン)と手を結び、アヘン密売を取り仕切らせました。それが里見機関で、関東軍が極秘に生産していた満州産阿片や、日本軍が生産していた海南島産阿片の売買を担当したのです。それにによって得た莫大な利益は関東軍や、日本の傀儡であった汪兆銘の南京国民政府、その他に秘かに回されたといわれています。

 また、偽札の流通工作を担当したのは、岡田芳正中佐を機関長とする「松機関」でしたが、実行役は、軍の嘱託の阪田誠盛であったといいます。彼は、青幣幹部の娘と結婚して協力をとりつけ、青幣の首領、杜月笙の家に「松機関」の本部を置いていたといいます。伴繁雄の著「陸軍登戸研究所の真実」(芙蓉書房出版)に、そうした謀略に関わる「対支経済謀略としての偽札工作」の記述があります。

 私は「ハルピン特務機関」も、そうしたものの一つだと思います。
 東条被告は、白系露人の謀略部隊が組織されていた事実に対するキーナン検事の問いに、”満州国の一部隊が訓練されたことは承知しております”などと答えていますが、満洲国の単なる一部隊であれば、ハルピン特務機関が関わることはなかったと思います。
 私が気になるのは、白系露人の謀略部隊の組織化が、なぜハルピン特務機関によってなされたかということと、どのようになされたかということ、また、組織されたいわゆる「白系露人」に、どういう意識を持たせて、祖国の攪乱・破壊工作やシベリア鉄道の爆破訓練等を受けさせたのか、ということです。白系露人に、満州国の一部隊としての任務遂行の自覚があったとは思えないのです。
 キーナン検事が、白系露人謀略部隊を尋問でとり上げることにした経緯については、よくわかりませんが、白系露人部隊は、交戦国ソ連との和平工作のための部隊ではありません。将来の日ソ戦を想定して、満州に居住していたロシア人を組織し、自らの祖国を攪乱し破壊するための軍事訓練をさせていたということなのです。だから、そこには何か常識的な理解を超えたものがあったのではないかと思います。どこの国でもやるような通常の組織化や訓練とは異質のものがあったと思うのです。
 当時満州に居住していたロシア人は俘虜でありませんが、私は、「ハーグ陸戦条約」の「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」の中に、”国家は将校を除く俘虜を階級、技能に応じ労務者として使役することができる。その労務は過度でなく、一切の作戦行動に関係しないものでなければならない”とあったのを思い出すのです。

 さらに、東条被告は満州国について、
中国から独立したのは満州国の住民の意思によってです。日本帝国はそれを承認したのです
 と言っていることも、問題だと思います。明らかに事実に反すると思います。 
 私は、外交官・石射猪太郎が、満州国建国が武力をもってなされたことを明らかにしつつ、”東三省中国民衆の一人だって、独立を希望したものがあったろうか”と「外交官の一生」(中公文庫)に書いていたことを見逃すことができません。

 また、東条被告は、溥儀が”法廷において裏切りました”と言っていますが、すでに取り上げたキーナン検事と溥儀のやり取りが、そうした主張が通らないことを明らかにしていると思います。
 溥儀は法廷で、
板垣が”私が満洲人であるため新政権の領袖になってくれと言った”が、板垣が”新政権を作るに当たって日本人官吏を採用し、満州人同様の官吏となりうることを要求したから”そのときは”拒絶した”といっています。
 また”日本軍は東三省を占領し、同時に奉天に地方治安維持会を日本側の手で組織した。土肥原がその主要人物だった。それから逃げ後れて奉天に残っている中国官吏に対して日本軍の圧迫がくわえられた”とか、”板垣が私に拒絶するなら日本軍は断固たる手段をとると言った”と証言しています。さらに、”顧問らも同様のことを告げられ”ていること、それからまた関東軍は秘密のあばかれるのを恐れていたことなどから”拒絶すると”身の危険”が感じられたと証言しているのです。
 (愛新覚羅)溥儀が、関東軍の主導で建国された満洲国の領袖になることを強要されたことは否定できないと思います。だから、満州国が中国から独立したのは、住民の意思によるものだとは言えないと思います。
 溥儀に対する東条被告の最後の主張に、同書の著者が”外人記者たちも盛んに笑う”と括弧書きで付け加えていることが、法廷の受け止め方をよくあらわしていると思います。

 次に、米英蘭との戦争が天皇の”意思とは反したかも知れませんが、とにかく私の進言、統帥部その他責任者の進言によってシブシブ御同意になった”といういい方も正確ではないと思います。
 確かに、昭和天皇は皇太子時代に、約六ヶ月にわたるヨーロッパ各国の歴訪を経験しており、また、皇室と英国王室の交流が明治維新以来続いていたこともあって、米英蘭との開戦には極めて否定的であったといいます。
 それは、1941年九月六日の御前会議で、
一 帝国は自存自衛を全うする為対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に概ね十月下旬を目途とし戦争準備を完整す
 ニ 帝国は右に並行して米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努む〔中略〕
 三 前号外交交渉に依り十月上旬頃に到るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては直ちに対米(英、蘭)開戦を決意す(外務省『日本外交年表並主要文書』下)
 などとする「帝国国策遂行要領」を決定しようとしていることに関し、天皇は、杉山参謀総長に”成るへく平和的にやれ、外交と戦争準備を並行せしめすに外交を先行せしめよ”と指示し、それでも種々奉答する参謀長に、”お前の大臣の時に蒋介石は直く参ると云ふたか未たやれぬてはないか”(参謀本部編『杉山メモ』上)とまで言っていることでわかります。
 でも、参謀本部作戦課は、天皇の思いを尊重せず、作戦面で勝算がある事を証明し、天皇を説得するための努力を重ねたのです。その結果、富田健治内閣書記官長に近衛首相がもらしたような心の変化が、天皇に起きたのです。
 ”……自分(近衛文麿)が総理大臣として陛下に、今日、開戦の不利なることを申し上げると、それに賛成されていたのに、明日御前に出ると「昨日あんなにおまえは言っていたが、それ程心配することはないよ」と仰せられて、少し戦争の方へ寄って行かれる。又次回にはもっと戦争論の方に寄っておられる。つまり陸海の統帥部の人達の意見がはいって、軍のことは総理大臣には解らない。自分の方が詳しいという御心持のように思われた。従って統帥について何等の権限のない総理大臣として、唯一の頼みの綱の陛下がこれではとても頑張りようがない(富田健治『敗戦日本の内側──近衛公の思い出──』)<『大元帥昭和天皇』山田朗(新日本出版)>とあることで、天皇自身が、開戦に前向きになっていったことがうかがわれるのです。対米(英蘭)開戦が、”天皇の意思ではない”と断言することはできないと思います。
 また、昭和十六年十二月八日の御詔勅(開戦の詔書)は、戦争がやむをえないものであり、”天皇の意思”ではなかったことを示すものではないと思います。日本が軍隊を派遣し、満州国を独立させ、軍事力を行使しつつ攻め込んでいるのに、開戦の詔書には、”中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱シ遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有余ヲ経タリ…”とあるのです。中国が”濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱シ”ているというのは、国際社会に通用しない主張だと思います。中国が主権を放棄し、日本の対支方針を受け入れない限り平和はないのに、天皇は開戦を望んでいなかったというのは、おかしなことだと思います。

 下記は、「東京裁判 大日本帝国の犯罪 上」朝日新聞東京裁判記者団(講談社)の「歴史的な大尋問」から、「ハルピン特務機関」と「天皇の意思かいなか」を抜粋しました。
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            第二十二章 白熱 東条尋問録

                歴史的な大尋問

 ハルピン特務機関
 問「あなたが関東軍在勤中の経験について二、三の質問をしたいと思う。植田関東軍司令官が陸相に対し、新中国建設に関する基本要件の提案を上申したのを知っているか」
 答「はっきり記憶しておりません」
 問「あなたが関東軍参謀長のときに、ハルピンの特務機関は白系露人を組織し、ロシアとの間に戦闘行為が開始された場合には、これを使用する計画になっていたことを記憶しているか」
 答「一部は記憶しています。白系露人は満州国人の一部です。したがって満州国の一部として処置されていたのは記憶している。それに対してハルピン特務機関なるものが関心をもっていたことも知っております」
 問「あなたは白系露人の謀略部隊が訓練を受け、のちになってソ連の後方において破壊的行為あるいはシベリア鉄道を破壊するために訓練されたのを記憶しているか」
 答「万一対ソ開戦なった場合の準備として、満州国の一部隊が訓練されたことは承知しております。どこまでも計画の一部です」
 問「その一部隊というのは白系露人部隊からなっておったのではないか」
 答「満州国の一部であるところの白系露人部隊です」
 問「ハルピン特務機関は参謀本部、陸軍省から関東軍を通じて金銭を受け取り、将来ソ連の不利のために使用される白系露人部隊に補助金を与えたのではないか」
 答「複雑な質問ですから区切ってお答えしましょう。特務機関が陸軍省、参謀本部から関東軍を通じて経費を受け取ったのは事実です。それから第二はソビエトの不利のためにと言う意味はなにを意味するか私はわかりません。日ソ戦争でも起った場合においては、日本が有利になり敵が不利になるようにするのは当たり前のことです。第三点、白系露人部隊に対してハルピン特務機関から金銭的援助をしたかどうか私はこれを否定します。満州国の軍隊の一部であるから満州国の経費をもって支弁するが当然であります」
 問「あなたは満州国を中国から分離した一つの単位として承認することを強く強調していたのではないか」
 答「中国から独立したのは満州国の住民の意思によってです。日本帝国はそれを承認したのです」
 問「日本は溥儀氏を満州国の正式の皇帝として認めたことも事実ではないか」
 答「その住民の意思にもとづいておったところの溥儀皇帝です。これを認めたことは確かです。
 問「その皇帝は日本に来訪し、盛大に歓迎されてもてなされたか」
 答「真から歓迎しました。心の底からもてなした。しかし彼はこの法廷において裏切りました」
(いかにも慨嘆するおももち)
 問「この法廷に証人として出廷する前に、彼の性格は信用できないと聞いたことがあるか」
 答「ありません。私は信用しておりました。誰よりも信用しておりました。私の不明でありましょう」(外人記者たちも盛んに笑う)

 天皇の意思かいなか
 問「さて1941年十二月、戦争を遂行するという問題に関する天皇の立場とあなた自身の立場の問題に移ります。あなたはすでに法廷に対して、日本の天皇は平和を愛するといっていることは正しいか」
 答「もちろん正しい」
 問「そうしてまた日本臣民たる者は何人たるも天皇の命令に従わないということは考えられないといいました。それは正しいか」
 答「それは私の国民としての感情を申し上げていた。天皇の責任とは別の問題です。
 問「しかしあなたは実際米英蘭に対して戦争したのではないか」
 答「私の内閣において戦争を決意しました」
 問「その戦争をおこなわなければならない。おこなえというのは裕仁天皇の意思であったか」
 答「意思とは反したかも知れませんが、とにかく私の進言、統帥部その他責任者の進言によってシブシブ御同意になったのが事実です。そして平和御愛好の御精神は最後の一瞬にいたるまで陛下は御希望を持っておられました。戦争になっても然り、その御意思は明確になっておりますのは、昭和十六年十二月八日の御詔勅のうちに明確にその文句が加えられております。しかもそれは陛下の御希望によって政府の責任において入れた言葉です。それはまことにやむをえないものであり、天皇の意思ではないという意味の御言葉であります」

 

 

 

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