真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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731部隊(細菌戦ー関係者の業務日誌)

2008年04月26日 | 国際・政治
 「中国侵略の空白(三光作戦と細菌戦)」アジアの声12集(戦争犠牲者を心に刻む会編)に、日中戦争中最大規模の細菌戦が行われた浙贛作戦<セッカンサクセン>(1942年)を前に、関東軍軍医を集めて行われた講演(関東軍牧軍医「細菌戦ニ就イテ」満州帝国軍医団雑誌46号1942年)の一節が出ている。
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 ”細菌戦は、敵に決して気付かれないようにやらなければならない。できれば、自然流行のようい、もともとそこに、菌があったかのような状態で、撒かれるのがいちばんよい。そのために事前に入念に「兵要衛生地誌」を調べておく必要がある。
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 こうした作戦が、戦後の細菌戦の実態調査を困難にさせた原因のひとつになったようである。
 また、「中国侵略の空白(三光作戦と細菌戦)」には、加害者側の細菌戦実施の証拠として、下記のようなことも取り上げられている。
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・・・
 1993年8月14日日本の朝日新聞は、一つの記事を掲載しました。日本防衛庁防衛研究所図書館が保存している日本陸軍軍官の業務日誌に次のようなことが書かれていました。1941年11月4日、一機の爆撃機は、中国湖南省の常徳で、ペスト菌を持つノミを、36キロ散布した。二週間後、ペストの大流行という「戦果報告」云々と。

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 この日本陸軍軍官の業務日誌について「中国侵略の空白(三光作戦と細菌戦)」には詳しいことは書かれていないが、「日本軍の細菌戦・毒ガス戦731部隊国際シンポジウム実行委員会編(明石書店)によると、それは参謀本部作戦課員であった井本熊男大佐の業務日誌のようで、その内容は下記の通りである。

(二)1941年の細菌戦------------------------
 1941年11月の常徳に対するペスト菌攻撃も、大陸指に基づいて行われた。「井元日記」には「ホの大陸指発令」と記されているのである。(9月16日)。飛行機からの細菌撒布の模様は次のように記されている。

 4/11[11月4日]朝目的方向の天候良好の報に接し97軽一キ出発〔4字分抹消〕。0530出発、0650到着。霧深し。H〔高度〕を落として捜索、H800附近に層雲ありし為、1000m以下にて実施す(増田〔美保〕少佐操縦、片方の開函不十分。洞庭湖上に函を落す)。
 アワ36kg、其後島村参謀捜索しあり。
 6/11常徳附近に中毒流行〔中略〕
 20/11頃猛烈なる「ペスト」流行、各戦区より衛生材料を集収しあり。
  判決
 「命中すれば発病は確実」(「井元日記」11月25日


 ペストノミ(「アワ」)が常徳に投下されたことは、日本側の資料によっても確証されたことになる。
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 なお天皇の命令は「大陸命」で、「大陸指」は参謀総長の発令であるという。そして、「大陸指」の案文は天皇に提出することが慣例であったという。したがって、細菌戦は天皇を中心とする日本軍(陸軍中央)の作戦であるということなのである。ソ連の侵攻時、その証拠隠滅が最重要課題であったわけがそこにあるといえる。

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