スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

富岡でちょっと道草 

2008-09-07 | 横浜

大正・昭和初期の富岡には多くの著名人の邸宅があったそうです。
一年中温暖な気候と海に近く静かな環境が好まれたのでしょうか。

作家の直木三十五氏も、ここ富岡に住みここで亡くなっています。

氏の住居とお墓があるらしいので、地図を片手に訪ねてみました。


静かな住宅街の坂の上にある住まいは、今はH氏邸となっており
外観はほぼ当時のままだそうです。門の傍らに立派な碑があります。





案内板の説明によると、碑文の「芸術は短く 貧乏は長し」は氏の
随筆「哲学乱酔」の中の「は短く 貧乏は長し」をアレンジし、
遺稿から集字して刻んだものだということです。

富岡に移住したのは1933(昭和3)12月、翌年2月に亡くなった
とのことですから、ほんの短い間のお住まいだったのですね。


最初は、坂を下ったところにある慶珊寺にお墓があったそうですが
後に、氏の希望だった「海の見える禅宗の墓地」長昌寺に移された
とのことなので行ってみたいと思います。慶珊寺には、江戸城内での
刃傷で自刃した豊島刑部明重父子の遺徳を偲ぶ供養塔がありました。




慶珊寺の山門を出ると、すぐ脇に大きな石碑が建っていました。


案内板によると、三民主義を唱えた孫文が大陸を脱出しここ富岡の
浜に上陸したことを記念するもので、揮毫は岸 信介元首相です。


臨済宗 富岡山長昌寺の境内の奥まった場所にお墓はありました。



自然石に「故直木三十五之墓」と刻まれた立派なもので、毎年2月に
氏の代表作「南国太平記」に因み「南国忌」という慰霊祭が行われます。

傍のお堂は昔、池に茂る芋の中から観音様を拾い祀った「芋観音」です。



このほか伊藤博文氏の別邸もあると聞いたのですが、現在
整備修復中なので来春の完成を待って訪れてみましょう。

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2 コメント

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ウォークガイド (kikyo)
2008-09-09 08:49:55
「もうこちらには来ないだろうから」などとついでに見て回るということは私にもありますが、富岡ではずいぶんたくさんの収穫があったようですね。

きっと私なら「貧乏は長し」の部分だけ覚えて帰ってきたんじゃないかと苦笑してます。

前回のブログを読ませてもらったときも思ったのですが、夜猫子さんはそのうち、横須賀周辺のガイドができるようになりますね。
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とてもとても・・ (夜猫子)
2008-09-09 20:00:06
知らないことを調べてみるのは面白くて好きなんですけど・・・
調べてわかると、それでもうすっかり安心して・・・すべて忘れます(笑)
これではガイドなんてとてもとても無理でしょう!

いろんな場所でボランティア・ガイドの方とお話させて頂くんですけど、
皆さんスゴいですよ~。とても熱心で、親切で、そして本当によくご存知で
いつも感心してしまいます。
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