渡し船で対岸の東浦賀に来ました。ここは最盛期には干鰯問屋が軒を連ねて
いたそうで、狭い地域にたくさんの寺社が密集していることに驚きます。
のどかな港町の風情があり、あちこちで道端に井戸を見かけます。
海岸伝いの道を、対岸の西叶神社から遷された東叶神社へと向かいました。
石段脇にある蘇鉄は、源頼朝が源家再興願意成就の御礼に伊豆から移植奉納
したものと伝えられています。西叶神社で授かった勾玉を、ここ東叶神社で
授かった守り袋に入れてお守りにすると願いごとが叶うそうです。
本殿裏の祠は、海難など難事の際に身代わりとなって人々を救う身代わり弁天。
拝殿から200余の石段を上った明神山に勝海舟断食跡の碑がありました。
Uターンして湾沿いに京急浦賀駅の方へ向かっていくと、徳田屋跡があります。
浦賀の旅籠の草分け徳田屋は現在は何も残っておらず、時代が風雲急を告げる頃
吉田松陰が師の佐久間象山と協議した場所であることを記した碑が建っています。
三浦稲荷は江戸の人気力士雷電が相撲興行を行ったとか。
干鰯で栄えた往時のこの地の様子が偲ばれます。
(以前の見学ツアーで撮ったものです)
向拝の彫刻は狐?
そのほか、小林一茶が寺に葬られた初恋の女性 寿女の墓参に訪れたという
記録が残る専福寺など、この辺りには多くのお寺が並ぶようにしてあります。
赤い鳥居の東耀稲荷は火防の神。土地の里神である須賀神社も合祀されて
いて小さなお堂の四方の欄間や内部格天井に手の込んだ彫刻が残されて
います。鳥居の傍らにも青いポンプ井戸がありました。
説明板にあった格天井の写真。
瓦屋根の左右先端に飾られている大黒天と恵比寿天。
小さな像ですが、見る方もつられて笑顔になりますね!
今回は彫刻や鏝絵を訪ねて歩いたため、寺社巡りみたいになりました。
お寺や神社に格別興味があったわけでも無いのですが・・
海難から守ってくれる神さまや、火防の神さまなど、土地の人々とのつながりが強いのでしょうね。
神社やお寺の説明は、いつもざあっと読んで「なるほどね」とわかったつもりになるだけのことが多いのですが、このように写真と一緒に書き残しておけば、記憶にも残りやすいし、あとで、「そういえば…」と見直すことができますね。
夜猫子さんに刺激されて、私は旅行の記録を(記憶に新しいものだけでも)写真を入れて作ってみようと始めました。
1年前のことでも記憶を手繰り寄せるのはなかなか大変で~す。
「年のせいでしょ?」…「ですよね。」
殆ど忘れてしまうので、数年前から写真入りのウォーキングレポートを
作成しているんですよ。写真の整理も同時に出来るし、ちょっとした
エピソードもあとで読み返すととても面白いですよ!
このblogを書くとき、以前行った場所の写真や記録がとても役に立って
いるのも思わぬ収穫です。kikyoさまもblogでおすそ分けしてくださると
うれしいんだけどな~