スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

大山街道・田村道⑧

2014-03-19 | 神奈川

 



「女坂」は、緩やかな階段道で始まりました。
これなら ラク勝でしょう~

          
関東大震災による地形変化やケーブル開通で環境が変わるまでは、独楽・盆などを作る
木地屋や重箱・針箱・箸などを作る箱屋などの店が並ぶ門前町として賑わっていたそうです。





行く先各所に「女坂の七不思議」というものがあるようです。
見つけながら歩いて行けば、いつの間にか神社にたどり着くという仕掛けかな


まずは「弘法の水」

大山寺三世弘法大師が金剛杖で突いた所に水が湧き出し
爾来 夏の盛りにも枯れることがないといわれています。


紅葉橋を渡った所に「子育て地蔵」

普通のお顔のお地蔵様が、いつしか幼な顔に変わったそうで、
童顔のお地蔵様は、子供の健康と成長を守ってくださるとか。



女坂七丁目に、「爪切り地蔵」

弘法大師が一夜のうちに爪で彫ったといわれる山中第一の磨崖仏。
1652年頃に彫られた大師像であるともいわれています。


続いて、「逆さ菩提樹」

根本が細く、上に行く程太くなっている菩提樹で、逆さに生えて
いるように見えるので、この名とか。 
2代目の木のようです。




古いお堂が見えてきました。 無住寺?
「前不動明王」の扁額が掲げられてあります。



柱には「宝珠山 来迎院」と。
お堂の左手にある朱塗りの小さいお堂は「龍神堂(八大堂)」。
          
説明板によると、良弁僧正が大山の竜神を感得し、大山の守護神「八大龍王」として
祀ったお堂が
二重滝にあり、1641(寛永18)年 徳川家光の寄進で此処に再建したもの。



さらに登って行くと、見上げるような長い石段!



雨降山 大山寺

真言宗
    
創建: 775(勝宝7)
      開山: 良弁(東大寺別当)

本尊: 不動明王

良弁僧正(大山寺第二世)が、父母の孝養のために建立。 師に深く帰依した
聖武天皇により勅願寺となりました。 その後いくたびかの災厄に遭いましたが
鎌倉・足利・徳川幕府の庇護を受けて、その都度再建されてきたといいます。



「本尊 不動明王像」

鉄の不動明王像(97.7cm)と両脇侍の制吁迦(せいたか)童子・
矜羯羅(こんから)童子の三尊像。 国指定重要文化財。
大山中興の祖 願行上人が、文永年間(1270年頃)に鋳造したと伝わります。

本堂左手に青銅製の宝篋印塔

高さ11m
1795
(寛政7)年に建立されたものは 明治の廃仏毀釈により
破壊されましたが、
1914(大正3)年再建されました。
礼拝し、周囲を右回りに3回廻るとご利益があるそうですよ。



本堂右手から、さらに登り道は続いています。




朱塗りの「無明橋」                  傍らに芭蕉の句碑
          
橋の途中で口をきくと、落とし物や忘れ物をするという言い伝えがあるとか。
参詣者を飽きさせない工夫ですかね。 では、お喋りはやめて渡りましょう。
句碑には「 山寒し 心の底や 水の月 」 とあるらしいですが・・・・


そのすぐ先に、「潮音洞」

四角の窟に近づき耳を澄ますと、潮騒が聞こえてくるといわれますが・・?




七不思議の最後は「眼形石」

自然の石の突起が、人の目(蛙の目?)に見えなくもないですね~
其処に触れて祈ると、目の病気が治るといわれているそうです。



緩やかな女坂ならラク勝~と思っていたら、何の何の・・・
最後の登り階段は、そんな‘猫’を嘲笑うかのように結構な難所。
ゴロゴロした石段の幅が狭い上に段差もあり、とてもお上品には登れませぬ~
          
時々上から下りてくる人に出会うけれど、これを下るのは・・・上りの方がまだマシだよ。
「女坂」だからとて 侮ってはいけませんゾ!


最後の石段を上って ゴールだ~



大山阿夫利神社下社



権田直助像

(1809 - 1887)
江戸幕末・明治初期の国学者・医者・神道家。

1873(明治6)
大山阿夫利神社の祠官となる。

「大天狗之碑」

高さ3mの小松石
1957(昭和32)年 天狗講初代総講元 小生夢坊が民族融合と平和を
祈念し発願、各界700人超が呼び掛けに応じて建立されたものとか。



ご神水を頂きながら、ゆっくりと眺望を楽しみました☆
「雨降山」に、雨が降らなくてよかった~



19,682歩









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