初期の旧東海道の道筋を歩いています。
旧街道沿いは、やはり寺社が多いですね。
「神明社」
主祭神: 天照大神 豊受大神
「古町橋跡」説明板の浮世絵にあった神明社ですね。
説明板によると;
平安時代、この地が伊勢神宮の御領として寄進された頃
建立されたと伝えられています。 1873(明治6)年に
保土ヶ谷の総鎮守に列せられたとあります。
「神戸山 天徳院」
曹洞宗のお寺
ご本尊は、地蔵菩薩坐像
地元の豪族 小野筑後守が、1573(天正元)年に建立したと伝わります。
「妙栄山 大蓮寺」
日蓮宗のお寺
日蓮上人が21歳で鎌倉遊学の折、この辺りの民家に宿泊して教化を行い
その教えを受けた人が1253(建長5)年、住まいを寺としたのが始まりとか。
「医王山 遍照寺」
創建は876年と伝わります。
ご本尊は薬師如来坐像(鎌倉時代)で、市の指定文化財。
やがて道は環状1号線に合流します。 左へ行けば
JR「保土ヶ谷」駅ですが、あと少しそのまま進んでみましょう。
「問屋場(といやば)」「高札場」「助郷(すけごう)会所」などが
この辺りにあったそうです。 宿内の中心部だったのでしょうね。
説明板によると;
「問屋場」は、幕府公用の旅行者や大名などの荷物運搬(人馬継立)、
公用文書などの通信(継飛脚)、大名行列の宿泊手配などを担う重要
施設の1つで、問屋・年寄・帳付・馬指などの宿場役人が詰めていました。
宿場で賄いきれない人馬を、指定された村々から動員することを「助郷」、
指定された村々を「助郷村」といいます。1725(享保10)年に定められた
保土ヶ谷宿の助郷村の総数は、約40箇所に及んだといいます。
村々から人馬を手配するために設けられた施設が「助郷会所」です。
幕末には交通も頻繁になり、人馬の不足を補う負担は甚大だったとか。
これで、やっと
今年3月の友人との「保土ヶ谷歩き」と どうやら繋がりました~
1,6762歩
それが散歩の楽しさでしょうか。
学生の頃こういう風にして学んでいたら、もっと記憶に残っていたかな?(笑)
そして、風格がありますね。
「問屋場」とか「助郷村」など、興味を持つとおもしろいこともたくさんありますよね。
お馬さんの活躍もしのばれます。
大名行列のときなど、宿泊場所、人馬の手配など、大変だったのでしょうね。