スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

宮城道雄記念館

2011-06-10 | 東京・川崎

 


地蔵坂を上って「光照寺」の少し先に

宮城道雄記念館


別館

宮城氏が生前住まわれていた敷地に、1978(昭和53)年
我が国で最初の音楽家の記念館として開館しました。


宮城道雄氏

(1894-1956)
演奏家・作曲家

神戸に生まれて8歳で失明。 11歳で箏演奏の免許皆伝。
13歳のとき一家で朝鮮・仁川に渡り、箏・尺八を教えて
生計を助ける。 14歳で処女作「水の変態」を作曲。



  1928(昭和3)年 「越天楽」を作曲。出世作となる。
1929(昭和4)年 不朽の名作「春の海」を作曲。
   1937(昭和14)年 東京音楽学校(現・芸大)教授に。
 1956(昭和31)年 列車からの転落がもとで死去。
   (享年62歳 )


館内には、

氏の愛器 「越天楽」


氏開発の新楽器 八十弦(復元)


八十弦を演奏する宮城氏

(パネルより)

さまざまな資料・楽器のほか、愛用のピアノ・杖・履物・カバン・
点字タイプライターなど、氏遺愛の品々も展示されてあります。



折しも、NHKが番組の取材中☆


NHK Eテレ 「百花繚乱」~宮城道雄と中能島欣一~
    6月24日(金) 22:15~22:54
(再)6月27日(月) 5:15~5:54



建物の裏手に、茶室風の別棟
「検校の間」

(パンフレットより)
1938(昭和23)年完成した書斎で、氏晩年の
7年余の作品の殆どが、此処で作られました。








氏はご自身の随筆「箏と私」に、「ほかのものは何が無くても
辛抱できるが、箏を奪われては心を失ったも同じで生きる
甲斐もない。」というような一節を残されているそうです。 

全身全霊で箏を愛し、箏と共に生きた方だったようです。
命日の6月25日は、遺作の歌曲に因んで「浜木綿忌」と。


「宮城道雄の世界」 http://www.miyagikai.gr.jp/kinenkan/index.html



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2 コメント

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お筝 (kikyo)
2011-06-12 14:48:11
記念館では、感慨深いひとときをすごされたことでしょうね。
故人の業績や人柄などを上手に紹介されていて、さすがに夜猫子さんと感心しました。
このブログならではです。

「八十弦」、すごいですねえ。知りませんでした。
筝といえば、中学校に筝曲部というのがあり、お筝という楽器があることそのころになって初めて知りました。(育ちが知れるかも)
演奏できませんが、音色はいいですねえ。
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八十弦 (夜猫子)
2011-06-12 20:30:14
箏の音色は、文字通り日本人の琴線に触れる音ですよね☆

話に聞いたことはありましたが、‘猫’も八十弦を初めて見ました。
13本の弦でも間違えそう(笑)なのに・・誰でもこなせる楽器ではないですね。
道雄先生が、発表会で1度だけ演奏なさったとか。
短い金属弦で高い音を、長い絹弦で低い音を出すようでした。
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