地蔵坂を上って「光照寺」の少し先に
「宮城道雄記念館」
別館
宮城氏が生前住まわれていた敷地に、1978(昭和53)年
我が国で最初の音楽家の記念館として開館しました。
宮城道雄氏
(1894-1956)
演奏家・作曲家
神戸に生まれて8歳で失明。 11歳で箏演奏の免許皆伝。
13歳のとき一家で朝鮮・仁川に渡り、箏・尺八を教えて
生計を助ける。 14歳で処女作「水の変態」を作曲。
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1928(昭和3)年 「越天楽」を作曲。出世作となる。
1929(昭和4)年 不朽の名作「春の海」を作曲。
1937(昭和14)年 東京音楽学校(現・芸大)教授に。
1956(昭和31)年 列車からの転落がもとで死去。
(享年62歳 )
館内には、
氏の愛器 「越天楽」
氏開発の新楽器 八十弦(復元)
八十弦を演奏する宮城氏
(パネルより)
さまざまな資料・楽器のほか、愛用のピアノ・杖・履物・カバン・
点字タイプライターなど、氏遺愛の品々も展示されてあります。
折しも、NHKが番組の取材中☆
NHK Eテレ 「百花繚乱」~宮城道雄と中能島欣一~
6月24日(金) 22:15~22:54
(再)6月27日(月) 5:15~5:54
建物の裏手に、茶室風の別棟
「検校の間」
(パンフレットより)
1938(昭和23)年完成した書斎で、氏晩年の
7年余の作品の殆どが、此処で作られました。
氏はご自身の随筆「箏と私」に、「ほかのものは何が無くても
辛抱できるが、箏を奪われては心を失ったも同じで生きる
甲斐もない。」というような一節を残されているそうです。
全身全霊で箏を愛し、箏と共に生きた方だったようです。
命日の6月25日は、遺作の歌曲に因んで「浜木綿忌」と。
「宮城道雄の世界」 http://www.miyagikai.gr.jp/kinenkan/index.html
故人の業績や人柄などを上手に紹介されていて、さすがに夜猫子さんと感心しました。
このブログならではです。
「八十弦」、すごいですねえ。知りませんでした。
筝といえば、中学校に筝曲部というのがあり、お筝という楽器があることそのころになって初めて知りました。(育ちが知れるかも)
演奏できませんが、音色はいいですねえ。
話に聞いたことはありましたが、‘猫’も八十弦を初めて見ました。
13本の弦でも間違えそう(笑)なのに・・誰でもこなせる楽器ではないですね。
道雄先生が、発表会で1度だけ演奏なさったとか。
短い金属弦で高い音を、長い絹弦で低い音を出すようでした。