「佃島」
本能寺の変の際、急な出水で難儀していた徳川家康の一行を援けた 摂津国・
佃村の漁師達が、1590(天正18)年 関東に下向した家康に招かれて江戸に移り
埋立てて築いた島を故郷に因んで「佃嶋」と命名し、定住したのに始まるといいます。
明治時代になって更に埋立て造成が進み、国の富国強兵策に沿って発展し
「石川島造船所(現IHI)」など近代的造船業や鉄工業地帯が形成されました。
現在はその跡地に超高層マンションビルが林立し、関東大震災や戦災を
免れた 昔ながらの町並みとの対比が、独特の景観をつくっています。
「佃大橋」から。
上流の優美な橋は、「中央大橋」。
その先に・・あ、スカイツリーだ!
佃1丁目辺りには、昔ながらの街の雰囲気が残っています。
船溜まりの向こうに、赤い「佃小橋」が見えます。
「住吉神社」
額(陶製)の文字は 有栖川宮幟仁親王。
手水舎の彫刻には、佃の漁師の姿
祭神: 底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命(住吉三神)
息長足姫命(神宮皇后) 東照御親命(徳川家康)
江戸に移った漁師達と摂津・住吉神社(田蓑神社)の神職が、奉戴した
分神霊を1640(正保3)年 此処に祭祀したのが起源と伝わります。
海上安全・航行安全の守護神 地域の産土神
「佃島渡船跡」碑 「石川島灯台跡」
1866(慶應2)年 石川島人足寄場奉行が、船舶の安全航行のため
人足らを使い、油絞りで得た収入で 六角二層の常夜灯を築かせました。
現在、公園の一角に 灯台を再現したモニュメントが建てられています。
「中央大橋」を歩いて、対岸に渡ります。
上流に見える「永代橋」は、1926(大正15)年に
ドイツの橋をモデルに架けられました。
「霊岸島水位観測所」
日本の近代測量は明治初期に始まり、主要河川の河口部に水位を測る「量水標」が
設けられ、隅田川には1873(明治6)年 此処より約36m下流に設置されました。
その後 測量技術の進歩などに伴って、平均海面データが統一され
当観測所の平均水位が 全国の水準点の基になったそうです。
だいぶ日が傾いて、川風が冷たくなってきました。
もう少しゆっくり 街を歩いてみたかったけど・・・機会があれば、また☆
築地から月島・佃界隈を 半日歩いて
19,653歩
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