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スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

鎌倉・鶴岡八幡宮

2011-08-08 | 鎌倉・逗子・葉山


久しぶりの八幡宮です


あのとき以来かも・・・
‘在るもの’が無いと、やっぱりさびしいナ・・



がんばれ 大イチョウ!












境内では
9日まで 恒例の「ぼんぼり祭」が行われています






ぼんぼり仕立ての著名人の書画が ずら~り400点余
暮れて灯が入ったら それはきれいでしょうねェ






鎌倉小路歩き ②

2011-06-27 | 鎌倉・逗子・葉山


鏑木清方美術館を出て左へ行くと、ステンドグラスの
大きな窓があるお宅。 屋根の風見鶏も洒落ています。
      

右に曲がってさらに路地を行くと、広い通りに出ました。

川喜多映画記念館

鎌倉と映画を愛し、映画を通して国際交流に努め我が国の
映画文化振興に尽力された故・川喜多長政・かしこ夫妻の
邸宅を基に、鎌倉市が2010(平成22)年に開設しました。

旧宅の母屋


別邸(和辻邸)

(パネルより)


今日は美人画をゆっくり鑑賞したので、あまり時間がありません・・
内部の見学は次の機会にして、お庭だけ拝見して行きましょう。







記念館の長い黒板塀に沿って行くと、



鉄砲垣、御簾垣、大津垣・・・
垣根の見本のように、いろいろな竹垣が並んでいます。


竹垣に沿って入ってみると、奥に小さなお社が・・

(いわや)不動尊

弘法大師ゆかりの不動尊が祀られています。
鎌倉幕府成立の以前から不動堂があったそうで
数年前までは、お堂が洞窟内にあったようです。

狭い境内には、五輪塔がたくさん並んでいました。



前を通る道は「窟小路」。鎌倉時代以前からの古道だそうです。 
窟不動に因んで、こう呼ばれているのでしょうね。




鎌倉彫再興碑

明治時代の鎌倉彫先駆者を顕彰し建立されたものとか。
鎌倉彫は、宋文化の流入に伴って盛んになった美術工芸で
寺院で使われる須
弥壇や経机などの仏具がその原型といわれます。


傍らのお宅が、碑を建立された第28代目のお住まいのよう・・



窟小路の辺りは、とても鎌倉らしい雰囲気があって
いつまでも歩き続けていたくなります。




17,354歩




鎌倉小路歩き ①

2011-06-26 | 鎌倉・逗子・葉山


週末の小町通りは、梅雨時も人、人、人・・の賑わいです。



では、ちょっと横道に入って・・この小路は初めてです。
ちょっとドキドキ! そして、ちょっとワクワ  


おや、ステキな雰囲気のお宅ですね


門の両側に下地窓のある土塀。 お洒落だな~
      


車も入れない細い道です。
小町通りの雑踏が
ウソのように、ひっそりと静かで・・
地元の方でしょうか、足早に通り抜けて行きました。
「岩井堂小路」


レトロな味の看板・・
「ミルクホール」という言葉もレトロですよね~
      



民家の間を抜けて行くと・・右側に白壁の洋館


鎌倉聖ミカエル教会

1933(昭和8)年に建てられ、その後増改築が施されましたが
聖堂部は創建当時の姿をとどめています。 折りよく側面の両開き窓と
正面入口のドアも開かれていて、内部を少し拝見することができました。


教会前は車も通る広い道で、小洒落たレストランなどがあります。
「綾小路」




パスタのお店の横から、また路地に入ってみました。

民家の門口に



あら、行き止まり・・?


と 思ったら、
道はカギの手に曲がって続いていました。
その先も、またカギの手に・・・迷路みたいです(笑)
      

嬉しい出会いもあります☆




小路歩きを楽しむうちに、また広い道に出ました。 
右へ行くと、

鏑木清方記念美術館





それでは、暫し美術鑑賞☆
美人画もお庭の紫陽花も、とても綺麗でした。

(続)


長興山 妙本寺

2011-06-15 | 鎌倉・逗子・葉山


この辺りは、「比企谷(ひきがやつ)」と呼ばれるように
比企一族にゆかりのあるところです。


長興山妙本寺

日蓮宗のお寺

    創建: 1274(文応11)年
開山: 日蓮上人
      開基: 比企大学三郎能本
   本尊: 十界大曼荼羅

解説板によると;
此処には、源頼朝の重臣比企能員(よしかず)らの屋敷がありました。
能員の妻は2代将軍頼家公の乳母、頼家公の妻 若狭局は能員の娘、
というように、比企一族は源家と深い繋がりを保持していました。

しかし頼家公の後継者争いの際、比企一族の勢力拡大を恐れた
北条時政らの軍勢によって、一族は滅ぼされました。(比企の乱)


逃れていた能員の末子 三郎能本(よしもと)が日蓮上人に帰依し、
一族の屋敷跡に供養の法華堂を建立したのが当寺の始まりです。




総門を入ると杉の巨木が建ち並び、森の中に
分け入るような、深い緑の参道が続きます。



正面の「二天門」は、只今改修中で覆いの中。

その奥に、堂々たる大屋根の「祖師堂」


たくさんの精緻な木彫で飾られています。






祖師堂右手の山際に、「比企一族墓所」



「一幡君袖塚」
母 若狭局と共に焼死した小御所山で見つかった
着物の袖を納めた廟所となっています。



                        祖師像
     


左手奥には 若狭局を祀った「蛇苦止堂」や、頼家公息女で
4代将軍藤原頼経公の妻 竹御所のお墓があります。


比企氏の無念を懐に秘めているような、静かな‘森のお寺’です。







琴弾の松風

2011-06-14 | 鎌倉・逗子・葉山


「おんめさま」の境内を通り抜けると「小町大路」。
右へ行くと、

妙厳山 本覚寺

日蓮宗の本山
「東身延」とも「日朝さま」とも呼ばれています。

   創建: 1421(応永28)年
   開山: 一乗院日出上人
本尊: 釈迦三尊像
源頼朝が幕府鬼門の鎮守として建立した夷堂(天台宗)を
日出上人が日蓮宗に改め「本覚寺」としました。
第2代 日朝上人が身延山久遠寺から日蓮上人の分骨を
受け、当山に祀ったことにより「東身延」と呼ばれています。

江ノ島鎌倉七福神の恵比寿神のお寺。 
山門は江戸時代のものとか。


左へ行くと、

蛭子(ひるこ)神社

小町の鎮守
祭神: 大己貴命(おおなむちのみこと)

本覚寺前の夷堂が此処に移され、元々あった七面大明神と
宝戒寺にあった山王大権現を合祀し、蛭子神社となりました。 
現社殿は、今宮から譲り受けたものだそうです。



社殿の扉に、蔓柏の紋




小町大路沿いに、近頃流行の蔵カフェ



右手に曲がり、静かな小路へと入って行きます。



落ち着いた佇まいの家の向こうに、朱塗りの橋が見えます。


滑川の流れに架かる橋が 「琴弾橋
      
橋から望む小御所山に、風が渡るとまるで琴を弾くような音のする
「琴弾の松」という松の木があったと伝わります。 小御所山には
3代将軍になる筈だった源頼家公嫡男 一幡君の館がありました。

琴弾の松風は、きっと哀切に満ち満ちた音だったでしょう・・




橋を渡って、きれいに整えられた生垣の道を歩いていると
観光客を乗せた人力車が、元気良く追い越して行きました。

生垣の続く小路は、静かで気持ちのいい散歩道♪

サンゴジュの生垣が尽きたところに、大きな山門が・・
比企一族の菩提寺「妙本寺」です。

(続)



鎌倉・牛馬道

2011-04-02 | 鎌倉・逗子・葉山


JR「北鎌倉」駅前の交番のそばに、石垣で築かれた土塁があり
その横を、まるでバス道(R21・鎌倉街道)に並行する
脇道のように、100mほどの道が通っています。


この道は、「牛馬道」というそうです。
聞いたところによると、この石垣までが 現在 バス道とJR横須賀線によって
隔てられている円覚寺の寺域で、土塁が寺と俗界を分ける境界でした。
お寺に関係の無い人や牛馬は、石垣の外側のこの道を通行していたとか。

関東大震災で倒壊するまでは、バス道に東西の木戸が残っていたといいます。


土塁の両端には、スダジイとビャクシンの大木が大きく枝を広げています。
      


バス道路からお寺の方向を見ると・・・
横須賀線の線路とバス道路で、参道が分断されているのがわかります。 
(踏切の先に、お寺の総門があります。)


いつも、不思議な道だなぁと思って歩いていましたが
この道は、歴史のある鎌倉古道のひとつだったのですね。


 


北鎌倉の小路 2

2011-04-01 | 鎌倉・逗子・葉山



光照寺の墓地の裏手の高台に上がってみると、
なかなかよい見晴らし☆

遠くに見える大屋根は、円覚寺でしょうか。


街を見下ろしながら歩いていると
周囲はいつしか、高台の閑静な住宅街になっていました。

遠くに白い大船観音のお姿も小さく見えています。




そろそろ帰宅の時間になって・・・
はて・・駅までどう下りて行けばいいのかな? と 
地図を広げ眺めていると、通りかかったご婦人が
ご親切に途中まで道案内をしてくださることに。 
感謝 感謝!

道々お話をしながら、
「こんな何もない所歩いて、おもしろいですか?」と言われるので、
「路地には、いろいろな垣根やお屋敷や祠があって・・」と言うと
では、と教えて頂いたのが、

三孫(さんまご)稲荷社
      
稲荷社の向かいの広いお屋敷がこの辺りの旧家で、屋号が「三孫」。
お稲荷さんはその家の屋敷神だそうです。



稲荷社前の路地も、趣のある構えの家が見られていい雰囲気☆









路地が終わったところで、緩やかな坂道に出ました。
どうやら、光照寺の門前を通る坂道に戻ってきたようです。
坂を左に下ると、「北鎌倉」駅へ続く
R21に出られました☆

R21を駅へと向かう途中の変わった建物・・・何でしょう?


鎌倉小坂郵便局」の看板と赤いポストがなければ、
きっと、郵便局とは気づかないでしょうね~
さすが、古都ならでは!


あとは駅まで真直ぐです。


北鎌倉の小路 1

2011-03-31 | 鎌倉・逗子・葉山


JR「北鎌倉」駅の道路を隔てた正面にある交番の
脇を入っていく路地が、前から気になっていました。

どこへつながっているのかな・・・?

今日は、この道を探検してみようと思います☆



細い路地を入って道なりに進んで行くと、右も左も竹垣の民家。
いい感じ いい感じ


大和塀の家も



路傍に、可愛らしい小さな石塔。

地元の人が「おちゃぶきさま」と呼ぶ
咳止めの神様だそうです。




右手の竹穂垣の先に、鳥居が見えてきました。

山中稲荷社
      
室町時代、この辺りに刀工 藤源治(とうげんじ)家の
工房があり、その屋敷神であったといわれます。





「西瓜川」という小さな川を渡り、更にその先の路地を行くと
木の電柱が1本立っていて、 「藤源治」の文字が・・
      



緩やかな坂道に出ました。
少し左方向に上って行くと、レンギョウに彩られた山門。

西大山 英月院 光照寺

時宗のお寺のようです。

解説板によると;
1282(弘安5)年 開祖一遍上人が念仏布教のために
鎌倉へ入ろうとしたのを、北条時宗の警護の武士に
阻まれ、やむなく野宿した地に建立されたと伝わります。
開山: 一向俊聖上人

山門には、珍しいクルス紋。

山門は、明治初期に廃寺となった東渓院から移築したものとか。
東渓院は九州の大名 中川氏が建てたお寺で、隠れ切支丹を
かくまったお寺だったという説があるそうです。


大寺ではありませんが、手入れの行き届いた
静かな境内にいろいろな花が咲く「花の寺」です。

連翹



寒緋桜                      黒椿
      


貝母ユリ                    沈丁花
      


光照寺は、別名「しゃくなげ寺」ともいうようです。
しゃくなげが咲く季節も、きっと綺麗でしょうね☆

(続)



鎌倉・東慶寺

2011-03-25 | 鎌倉・逗子・葉山


陽射しが戻ってくると、何だかホッとしますね。

風は少し冷たいけれど、今日は停電がないので
出かけても心配ないでしょう。


松岡山 東慶総持禅寺

臨済宗のお寺です。

  創立: 1285(弘安8)
           開山:覚山志道尼(北条時宗夫人)
開基: 北条貞時

山門の所に募金箱

「整美料 一人100円
この中におさめられた整美料は東北関東大震災の
義援金として日本赤十字社に送ります。」


いつも参拝者でいっぱいの境内ですが
今日は静寂そのもの・・・









見る人がいてもいなくても、花は咲きます。

ミツマタ



これは、十月桜
      





      





東慶寺のお庭には、春の陽がふりそそいでいました。




錦屏山 瑞泉寺

2011-02-28 | 鎌倉・逗子・葉山

 


「鎌倉小路歩き」などご報告しているうちに、あっという間の一週間(笑)
その間、本当に大勢の方にご訪問頂き ありがとうございます。
当人 大ビックリ~!!

blogって、毎日更新することが何より重要なんですね~

‘気まま猫’なので、なかなかそうもいかないのですが・・
宜しければ、これからもどうぞご贔屓に
      

さて・・
二階堂川に架かる「通玄橋」を渡り、緩やかに上って行くと
しっとりとした山の気に、全身が包まれるような気がしてきます。

やがて、の寺「瑞泉寺」。
参道は、はらはらとピンクの花吹雪。 あれ、梅はもう・・?
       


ご本堂に至る緩やかな石段。
この雰囲気が好きなので、ゆっくり上っていきましょう。







錦屏山 瑞泉寺

臨済宗のお寺。 

     創建: 1327(嘉禄2)年
開山: 夢窓疎石
       開基: 二階堂貞藤(
道蘊)
   本尊: 釈迦如来像
鎌倉後期の御家人 二階堂氏によって創建され、その後
夢窓疎石に帰依した足利尊氏が「瑞泉寺」と改称しました。
梅や水仙など「花の寺」として、また岩の庭園も有名ですね。



よかった☆ 梅はまだ見られました。

黄梅も、少しは残っていて・・

江戸時代から知られ、花弁がやや退化した花姿。
牧野博士により「黄梅」と命名されたそうです。
鎌倉市の天然記念物に指定されています。

此処の梅こそ、「木を見よ」の古木がたくさん! 
幹に生えたコケも趣を添えています。
      



楽しみは梅の花だけではありません☆



      


小路歩きをつないで「瑞泉寺」まで。
おつきあいくださって、ありがとうございました!



4月のような陽気に誘われて、今回もよく歩きました☆
18,950歩




二階堂小路

2011-02-27 | 鎌倉・逗子・葉山


鶴岡八幡宮の前を横切る「横大路」を東へ向かって進み、
「岐(わ)かれ道」を100mほど過ぎた所に、石碑があります。

関取場址
      
石碑の横に、市内の小学校の歴史委員による可愛い文字の説明書き。

それによると;
1548(天文17)年 北条氏康が荏柄天神社殿修復の為、此処に関所を設け
通行税を徴収した場所で、「関取場」と呼ばれました。天神社に現存する
掟書には「商人の麻・紙・布などの荷物は3文、馬で参拝する者には10文、
通行のみの僧侶・庶民・里民からは関銭を取らない」と記されているとか。


此処から「永(よう)福寺」への参詣道は「二階堂大路」と呼ばれました。
当時は、「大路」と呼ぶに相応しい広い道だったのでしょうね。
では、ここから「小路」歩きスタートです!



左にマンションを見ながら、小路へ入って行くと
やがて、右側には見上げんばかりに見事なサンゴジュの生垣
      
水分を多く含む常緑樹で、防火の役目も果たしているのでしょうね。



左手に鳥居を見ながら、荏柄天神の参道を突っ切ります。
(余談ですが・・天神社に寄り道して、先日撮り洩らした
「かっぱ筆塚」を撮ったので、UPしておきました)

生垣と竹林に包まれた、広いお屋敷が続いています。



「覚園寺川」沿いの道になりました。 
四つ角を左へ行くと「鎌倉宮」、
右へ行くと「杉本寺」へ。

 四つ角の左側は、ウバメガシの生垣のお屋敷。
立派な屋敷林ですね~☆



この辺りは、大きくて閑静なお屋敷が並んでいます。
いろいろな垣根や塀をウォッチングしながら歩けて、楽しい道デス♪

御簾垣


ひときわ目を引く凝った竹垣!






板塀もバラエティに富み、それぞれ個性がありますね☆










道が山に突き当たった所に、長~い石段。 
柵があって上っていくことはできませんが・・
そのすぐ近くに、石碑があります。

護良親王陵」              「理智光寺址」碑
     

「理智光寺」は、願行上人が創建した真言宗のお寺でした。
建武中興の立役者 護良親王の陵墓を守ってきましたが
明治初年に廃寺となりました。



山沿いに左の方へ歩いて「理智光寺橋」を渡ると

(よう)福寺旧蹟」碑


「永福寺」は、源頼朝が奥州攻めの戦没者慰霊のため、1192(建久3)年に
平泉の大長寿院を模して建立したお寺で、二階大堂を中心として
阿弥陀堂や薬師堂が並ぶ荘厳華麗な大寺でした。 池に船を浮かべて
歌舞音曲の宴を催すなど、幕府の賓客をもてなす場でもあったようです。


「二階堂大路」の名は、永福寺の二階大堂がその由来とか。

鎌倉市は、1967(昭和42)年度から土地買収をおこない
今後は史跡公園とするべく整備を進めているとのことでした。


永福寺跡に沿って左へ行くと、紅葉の名所「獅子舞ヶ谷」、
真直ぐ行って「通玄橋」を渡ると、紅葉ヶ谷の「瑞泉寺」です。

瑞泉寺の梅はまだ咲いているかな?
久しぶりに、ちょっと行ってみることにしましょう!

(続)




鎌倉・宇津宮辻子

2011-02-26 | 鎌倉・逗子・葉山


大巧寺さんに近い「鎌倉雪ノ下教会」の裏道を歩いています。



若宮大路と並行するこの小路(辻子)は、友人が教えてくれました。
地元の人々が日常行き来する道のようです。


「宇津宮」の名称は、鎌倉幕府の評定衆(幕府重臣)であった
宇津宮朝綱の屋敷がこの辺りにあったことに由来するそうです。
宇津宮氏は藤原道兼の直系で、下野(栃木)の守護職の家柄。
北条氏とは姻戚関係にあり、政争に巻き込まれ失脚したとか。


宇津宮稲荷大明神

創建: 1225(嘉禄元)年
宇津宮氏の屋敷神だったというお稲荷さん。江戸時代以降
家内安全・商売繁盛の地域の守り神として信仰されてきました。


きれいな四つ目垣ですね☆



少し先には、手入れの行き届いた黒竹の生垣☆
    



「清川病院」裏を過ぎて更に行くと、黒板の大和塀が続きます。

佛次郎氏邸

邸内は、只今メンテナンス中のようです。
桜の頃に、お庭を見学したことがありました。

道の反対側のお宅の塀も



美しいカーブを描く大佛邸の塀に沿って行くと、その先に

若宮大路幕府址」碑


将軍御所は尼将軍北条政子の死去により、4代将軍藤原(九条)頼経に
よって大蔵からこの辺りに移されたようです。以降 1333(元弘3)年の
鎌倉幕府崩壊まで、6代にわたり将軍(傀儡)の御所でした。



横大路(R204)を渡り、更に真直ぐ進むと左手に朱塗りのお社。

築山稲荷社

鶴岡八幡宮境内の東南隅に置かれた稲荷社。
八幡宮の四方に夫々あるそうですが、気づきませんでした・・
江戸時代末期の建立とか。


長い竹穂垣の中は、八幡宮の牡丹苑の辺り?



やがて竹垣になりました。 
ケヤキやエノキが並んで枝を広げています。



道の突き当たり、左側に八幡宮流鏑馬道東の赤い鳥居。
右側の角には、石碑があります。

畠山重忠邸址」碑

畠山重忠は、初め平氏方として源頼朝を攻めましたが
のちに源氏方となり、鎌倉幕府設立に貢献しました。
あのひよどり越えで、馬を担いで下りたという逸話の武将ですね。


宇津宮辻子(ずし)歩きは、ここまで。
あと、もう少し先まで歩けそうです~♪

(続)



鎌倉・大巧寺

2011-02-25 | 鎌倉・逗子・葉山


久しぶりに、「大巧(だいぎょう)寺=おんめさま」に来てみました。
よく手入れされた境内は、いつ来ても綺麗な花が迎えてくれます。


若宮大路に面した朱塗りの門から、いつも入るのですが
本来は、反対のこちら側が正面なのでしょうね。



境内には今、いろいろな椿が花盛りです。

      


名札の付いているのもあります。

これは「ロゼ・フローラ」
まだ咲き始めのようです。蕾がいっぱい!



「緋縮緬」
姿も色も、とても美しい椿です☆
      


「銀閣寺」
端整な、いかにも椿らしい一重咲き。



鮮やかな黄色は、春を呼ぶ福寿草♪



今日は、関東地方に春一番が吹いたようですね。
春は、もうそこまで!

この暖かな陽気につられて・・
これから「鎌倉小路歩き」に出かけてみようと思います!


(続)




山内荘跡を辿って

2011-02-08 | 鎌倉・逗子・葉山



鎌倉市北部から横浜市南部にかけてのかなり広い地域は
平安時代、山内首藤(やまのうちすどう)氏の荘園でした。

今日は武家興隆の源となった山内
の荘園地帯と、そこを開発した
首藤一族に思いを馳せながら、ガイドさんの案内で散策しました。


藤原秀郷(通称 俵藤太)の流れを汲む藤原資清(すけはる)は、主馬の
署(つかさ)の長である主馬首(しゅめのおびと)に任ぜられ、以後首藤氏と
称されるようになり、源氏との結びつきを強めて源頼義の郎党となりました。

首藤氏が山内に土着して山内首藤氏と称されるようになったのは、
12世紀前半(平安時代)首藤義通(よしみち)・俊通(としみち)父子が
源氏との関係から、山内を所領とするようになった頃だといわれます。
円覚寺と建長寺の間を北東に広がる谷戸を「明月ヶ谷(やつ)」といい、
現在の横須賀線踏切の右手辺りに、首藤氏の屋敷はあったようです。



JR「北鎌倉」駅からスタート、JR横須賀線の下り線路沿いに歩き
‘あじさい寺’の明月院前を通って、明月ヶ谷へと入って行きます。
今泉台の住宅地の中に、緑深い森の公園があります。

散在ヶ池森林公園


散在ヶ池(別称:鎌倉湖)

江戸時代末 耕地用水を確保するために造られた人造湖で
周囲772m 最大水深7.6m 面積約13ha。 周囲の鬱蒼と
茂る森には、1,000種もの動植物が生息しているそうです。
1982(昭和57)年に、森林公園として開園しました。

の季節に、天園ハイキングの続きで何度か来たけれど
季節外れのこの時期は初めてです。 んー、独りではちょっとねェ・・・



公園を抜けてバス通りを渡り、少し先の細い階段を上ります。
この階段、以前から気になって上って行ってみたかったので

畑の先の杉林の中を、道が続いていました。
     

視界が開けると、右下に「鎌倉パブリックゴルフ場」


やがて左手には、里山風景の向こうに市街が・・
鎌倉市から横浜市へと入ってきたようです。



皆城(みなしろ)
標高 101m
見晴らしのよい山頂には、荘園を見渡す砦(見張り台)があったかも?
展望台からのすばらしい眺めも、今日は生憎の空模様で・・・


それでも、首藤氏の荘園の広大さを偲びつつ・・
眼下に広がる住宅地は、栄区桂台。




横浜市側へ下ってきました。
変化に富んだ景観が広がっています。




鎌倉・今泉の森から続く自然がまだ残るこの辺りにも、開発の波は
押し寄せ、養護老人施設などの新しい施設が建てられている一方で
「荒井沢市民の森」などの自然が、市民の手で維持されています。

矢沢堀小川アメニティ
散歩木道・水車・トンボ池など、心安らぐ風景。
     





五峯山 一心院 証菩提(しょうぼだい)

真言宗のお寺。

     創建: 1189(文治5)年
       開山: 伝・大進僧都宗弁
開基: 源頼朝
   本尊: 阿弥陀如来
石橋山の戦で頼朝を逃がすために戦死した佐那田(真田)与一義忠を悼んで
頼朝が鎌倉の鬼門にあたるこの地に建立。古くは「無量寿寺」と称しましたが
後に義忠の父・岡崎四郎義実の法名に因んで、「証菩提寺」となりました。

本堂裏の丘に、岡崎義実の墓と伝わる五輪塔があります。
寺宝のご本尊 阿弥陀如来像(国指定重要文化財・鎌倉期)と、
収蔵庫の阿弥陀三尊像(平安期)等を、間近に拝観しました。

昨春 石橋山古戦場跡を訪ねた際、海を見下ろす丘の上に
佐奈田霊社」という小さなお社があったのが思い出されました。

この辺りは刀剣の製造地として、また食料補給地として
鎌倉武士の興隆に大きく寄与した地域だったようです。



証菩提寺をあとにして橋を渡り、「いたち川」に沿って歩きます。 

源流に近いこの辺りでは、まだささやかな流れですが・・
下流で柏尾川、藤沢で境川に合流して相模湾に注ぎます。

「いたち川」周辺は、奈良・平安の昔から
穀倉地帯の中心地でしたが
現在は栄区のシンボル・リバー。 川沿いに住宅が並んでいます。

いたち橋
     




いたち川を離れてR23を渡り、本日
最後の見学場所に向かいます。

春日神社


たくさんの石段を上って、ご本殿に到着。

平安時代 山内首藤氏が荘園の中に奈良・春日大社を
勧請して創建した神社であると考えられています。
祭神:春日大明神


首藤氏は石橋山の戦で平家方についた為、この地は土肥実平に預けられ
のちに和田義盛、和田の乱以後は北条義時の所領となりましたが、幕府の
崩壊とともに、当神社も衰退。 戦国時代 後北条氏により再建されました。

現在の本殿は「中宮」といわれ、
四面を飾る木彫(江戸末期)
が見事です。




山内首藤氏に関する資料は大変少なく、ガイドさんも説明に
ご苦労なさっていました。 何しろ古い時代のことですから・・

でも歴史に疎い‘猫’にとっては、鎌倉から横浜へ初めての
道を歩くことができただけで、充分に楽しい1日でした☆

27,487歩




鎌倉・荏柄天神社

2011-02-04 | 鎌倉・逗子・葉山


今日は「立春」☆
天神さまの梅は、もう咲いているかな?


荏柄(えがら)天神社


  創建: 1104(長治元)年
祭神: 菅原道真公
古くは「荏柄天満宮」とも称し、大宰府天満宮(福岡)・北野天満宮
(京都)と並んで、日本三天神のひとつに数えられてきました。

説明板によると;
平安時代中頃、雷雨と共に天神の姿絵が降りてきたのを
里人が敬い、神社を建てて祀ったのが始まりとされています。
源頼朝が大蔵(現・雪ノ下3丁目付近)に幕府を開くと、その
鬼門の守護神として武士達の崇敬を集め、大いに栄えました。


社殿の奥に建つ本殿は、1622(元和8)年に始まる鶴岡八幡宮造営に際し
八幡宮若宮を此処に移築したと考えられています。 国指定重要文化財。




社殿前の左右に、紅白の梅
     


この時期は特に、学問成就を願う参拝者が次々と・・
社殿の周りには、びっしりの絵馬!

 
天神さま、さぞかし大忙しでしょうね~



梅鉢紋の付いた門の右手 天神さまが降りたといわれる
場所には、市指定天然記念物になっている大公孫樹。

高さ 25m 胴回り 10m 推定樹齢 900年とか。
鶴岡八幡宮の大公孫樹が倒れてしまった今は、この木が
鎌倉一の公孫樹の古木ということになっているようです。


境内右奥には、「熊野権現社」
洞窟の奥に祠があります。
     


境内左手には、「かっぱ筆塚」
(写真を撮るの、忘れました・・・
注連縄をめぐらした巨石の下に、漫画家 清水
氏愛用の絵筆が
納められているとか。石には、川端康成氏による「かっぱ筆塚」の
文字と、清水氏によるかっぱの絵が刻まれてありました。

2/25 天神さまの前を通りかかったので、前回忘れた
「かっぱ筆塚」を撮ってきました~ 
それがコレです ↓


かっぱの絵と「かっぱ筆塚」の文字(わかりにくいけど・・)
     



その奥に、筆の形をした「絵筆塚」


1989(平成元)年建立。
当時 日本漫画家協会所属の漫画家有志が、それぞれの
キャラクターを河童のモチーフで描いた154枚の絵が
筆の柄に当たる部分にレリーフになっています。

     


     


     

一目で誰の絵か‘猫’にもわかる、そうそうたる顔ぶれで
見ていて飽きない、スゴく楽しい絵筆塚でした♪