今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

尾張の社寺巡り:一宮・稲沢

2023年10月14日 | 名古屋周辺

今週末は帰京せずに名古屋宅にいる。
このブログでは、東京周辺の名所巡りを盛んに記事にしているが、もう一方の名古屋周辺については、30年以上居るのに、ちっとも巡っていない
名古屋城、熱田神宮、徳川美術館、犬山城、明治村、長久手古戦場清洲城それにジブリパークなどは訪れた。
週中の仕事がある時だけ名古屋にいて、週末と長期休業中は帰京するというパターンのためだ。

そのアンバランスを解消すべく、今週はあえて帰京せず、名古屋周辺を巡ることにした(結果的に、4日連続挙行!)。


まず初日の土曜は、尾張一宮(いちのみや)から始める。
すなわち尾張に住んで30年以上経過して、初めてそこの一宮を訪れる。
こうなったのも、諸国の一宮と違って、尾張の一宮は県庁所在地・一番の都市ではなく、そこから外れた地にあるため(三河の一宮は愛知第二の都市・豊橋)。
どこに在るかというと、その名もズバリ一宮市。

一宮市は名古屋の北、木曽川の向こうに岐阜県と向かい合う尾張北辺の地。
名古屋市との間には清洲市や稲沢市を挟むが、名古屋駅から JR東海道線の快速だと1駅先の近さ。


一宮駅は JRと名鉄が乗り入れて、駅ビルもあってそれなりに都会的(1階になんと三省堂書店がある。あと街中にも書店があった!)。
ただ、土曜であるためか、道ゆく人の姿はまばらで、駅周辺の個人商店もシャッターが閉まっている(つまり週末に人が集まる所ではない)。
駅から一宮に向かって進むと、車道がロータリーになっている(ヨーロッパの郊外にある、ぐるっと一周できで、信号がなくて、左折ができる仕組み)。
そのロータリーを左折して進むと、立派な楼門のある真清田神社に達する。
ここが尾張一宮。
拝殿の奥、すなわち本殿の周囲が厳かな森となっていて、神域の雰囲気が漂う(写真)。
手水を含め数カ所から霊水が出ていて、それが池になって龍神が祀られている。

本殿の隣に服織神社というのがあり、織物の町でもある一宮にふさわしい。
宝物殿は残念ながら閉鎖してあって予約制だった。
本殿前の広場に仮の通路のようなものが作られていて、明日の馬を使った神事のためらしい。
訪れるのが1日早かったということだが、明日は予定がある。

はっきり言って神社は、拝殿で参拝するとそれで終わりで、あとはせいぜい摂社巡りしかない。
そのため、私の神社参詣は、訪問先の産土神への挨拶という儀礼でしかない(その挨拶が30年以上なされなかったが)。
帰路に地元の店で昼食をと思ったが、開いてている処がなく、駅ビルに戻って名鉄百貫店(閉店発表済)の「きしめん亭」できしめんを食べた。


ここから名鉄鈍行に乗って1駅先で降り、駅名でもある妙興寺に行く。
ここは臨済宗の古刹で、五山の次の”諸山”と同格で、境内が広く塔頭もあって、京都の臨済宗寺院界隈の雰囲気。
境内中央の仏殿が無料公開されていて、中に入ると、案内の人がパンフレットを渡して説明をしてくれる。
中央の釈迦三尊像(南北朝時代)は、市の文化財レベルだが、しっかりした造りで、もう少し評価されてもいい感じ。
一方、同じ仏殿内の大応国師像は国重要文化財で、
外の勅使門も国重要文化財。
境内にはブッダガヤなどのインドの仏跡の模像や憤怒形相でない馬頭観音の石仏(写真:格子の間から撮ったため、このアングル)などもあって、かように寺だと見るものが多い。


寺の隣に一宮市博物館があり、”郷土博物館巡り”も追加できる。
常設展は、関東だと旧石器時代から展示が始まり、縄文土器がずらりと展開するが、ここは最初の展示が縄文晩期から。
濃尾平野に人が住んだのは結構後らしい。
真清田神社宝物殿にある舞楽面(重要文化財)はこちらで見れた。

企画展は「尾張の文人画」で、尾張には”煎茶”も盛んだったことがわかった(私も小笠原流礼法の教室で煎茶を習った)。


再び名鉄線に乗って「国府宮」(こうのみや)で降りる。
稲沢市にある国府宮神社の駅。
国府宮神社(写真)は、2月の裸祭りで有名。
その名の通り、ここも国府にまつわるので挨拶として参詣する。

拝殿の奥はその裸祭りで下帯一つの男たちが凝集する空間。
ここも拝殿での参拝で終わり、あとは帰るしかない。
神社を正面に拝む広く長い参道を歩いて駅に戻る。
できたら駅を越えて荻須美術館にも行きたかったが、徒歩では遠いので諦めた(15時過ぎていたので、間に合わない)。

以上、尾張北部の社寺+博物館巡りを終えた。